第60話 気持ちは、止められない
その日はお姉ちゃんのマンションに帰って一夜を明かした。
そして迎えた翌日。
一昨日、一昨昨日に文化祭があって、昨日は文化祭片付けだったから今日は振替休日だ。
休みの日であっても、私の起きる時間は変わらない。
しいて言うならほんの少し……一時間くらい長く眠って起きるくらいだ。
いつものようにお姉ちゃんは居ないから、朝食を自分で作って食べて、朝のニュースを見て過ごす。
今日は例年より冷え込むみたいで、体調を崩さないように気を付けるよう、天気予報のお姉さんがテレビの中で言っていた。
「……何しようかな」
昨日までは文化祭関連でやることがあったけど、今日からはそれもない。
思えば修学旅行から文化祭まで少し忙しかったから、何もない日っていうのは久しぶりだ。
でももう12月に入るし、そうなると期末試験が待っている。
ちょっと勉強でもしようかなと、そう思ったときだった。
「……ん?」
テーブルの上に置いていたスマホが振動した。
こんな時間になんだろうと思って手に取ってみると、画面には一件のメッセージが表示されていた。
『昨日はありがとう! もうだいぶ良くなったよ』
その文言を見て、私は素早い動きでタップしてアプリを開く。
送信元は優木だった。
確認してみると、昨日一日休んだことと薬で熱も下がり、体調も回復しつつあるらしい。
「そっか……良かった……」
安心したという旨と共に、一応安静でベッドに居た方がいいよ、と送る。
すると返信はすぐに来た。
『うん、そうする。でも病気が治って安静の時って結構暇なんだよね。寝すぎちゃって今は全然眠くないや』
『分かる。ずっと前にインフルエンザになったときも、2,3日で治ったけど学校には行けなくて、ずっと暇だった』
『あー、確かにそうかも。でもインフルなんて小学校の頃からかかってないや』
『私もそう』
『そうなると俺も嵐山さんも、お互い運よくインフルの脅威からは逃れられていたのかもね』
行きかうメッセージが次々とスマホの画面に表示されていく。
思っていることを打ち込んで送ればすぐに既読がついて、そして少し待てば返信が返ってくる。
そんな風に優木とメッセージのやり取りをしているのが楽しいけど。
「…………」
会話をしているみたいなのに、それでも少しのタイムラグは発生する。
その少し待っている間が、話しているのに優木が目の前に居ないことが、もどかしかった。
だから気づけば、メッセージを送っていた。
『ねえ、今日もそっちに行っていい?』
スマホの画面のメッセージのやり取り欄。
その一番下に表示される自分のメッセージ。
それを自覚したときに、私は何を打っているの、とそう思ったけど。
『今日もお見舞いに来てくれるの? 俺としては嬉しいけど、嵐山さんの方が大変じゃない?』
すぐに帰ってきた優木からの返信で、私の指は勝手に動いていた。
『ううん、私の方は大丈夫だよ。じゃあ今から行くね』
『分かった。待ってるよ』
スマホの電源をスリープにして、私は椅子から立ち上がる。
もう私の頭の中には、早く優木に会いたい、という気持ちしかなかった。
◆◆◆
お姉ちゃんのマンションを出て自転車を走らせる。
まだ朝だったから人は少なく、体を吹きつける風は冷たい。
けど私の心はこれまでのどの場面よりも跳ねていて、自転車を漕ぐ足には力が入っていた。
昨日も訪れた優木の家。
自転車を今日も置かせてもらい、私はインターホンの所へとそそくさと移動する。
そしていざ呼び出しをと思って指を近づけたところで、その指を止めた。
「…………」
今私は自転車を全速力で漕いできたところだ。
まだ息が上がっているし、少し落ち着くべきだろう。
そう思って息を整えていると、ふとあることが気になってスマホを取り出した。
暗くなった液晶を鏡代わりにして自分の髪を確認する。
自転車による風で崩れていないか心配になったけど、あまり長くないからか目に見えて可笑しいところはない。
それでも細かいところが気になったりして、指で髪を少し弄ったりする。
これ、いつもの自分の髪型だろうか、なんてことを思ったりした。
そして整える髪の下、ギラギラ光るピアス達を見て、私は動きを止めた。
――これは、大丈夫だろうか?
よく考えるとこれから優木のお母さんに会うわけで、なのにこんなにピアスを付けているのはどうなの? と思われないだろうか。
いや、でも昨日の時点では何も言われなかったわけだし、嫌な顔もされなかった。
でもでも、そもそもの話、昨日の時点で外してくるべきだったんじゃ……。
色々なことを考えて混乱する。
昨日は優木が心配でそれどころじゃなかったけど、今日は比較的余裕があるからか、自分の失敗? に気付き始めていた。
そ、それに服だってここに来ること最優先で結構適当に選んじゃったけど……。
そこまで考えたところで、私の後を誰かが通った。
私の方を訝しげな顔で見るスーツのおじさん。
これから出社なのだろう、お疲れ様です、なので私をそんな目で見ないでください、不審者ではありません。
「……あ」
そして気づいたときには、怪しまれないように優木の家のインターホンを押していた。
やってしまったと思う数秒間。
そして少しして、声が聞こえた。
『はい』
「あ、あの……優木君の友達の嵐山です。昨日の今日で申し訳ありません、お見舞いに来たのですが……」
『え? あ、はあ……ちょっと待ってくださいね』
少し戸惑う声が聞こえたけど、すぐにインターホンは切れてしまった。
さらにしばらく待つと、玄関の扉が開く。
昨日出迎えてくれた優木のお母さんが顔を出した。
「あらあら嵐山さん、昨日ぶりね。……どうぞ中に入って」
「あっ、ありがとうございます」
とてもいい笑顔で、私の事を歓迎してくれているみたいだった。
ちょっと嬉しくなると同時に、さっきまで自分の身だしなみで悩んでいたのが馬鹿らしくなった。
優木のお母さんに連れられて家の中へ。
靴を脱ぐと、彼女は満面の笑みで私を見ていた。
「それにしても今日は文化祭の振替休日でしょう? なのに二日連続で足を運んでくれて……きっとあの子も喜ぶわ」
「す、すみません、こんな頻繁に……」
「いいのよ、気にしないで。部屋の場所は分かるわよね?」
「はい、大丈夫です」
「そう」
そこまで行って、優木のお母さんはどこか穏やかな表情になった。
今まで向けられたことのない顔に、どう反応していいか困ってしまう。
「あの子の事、お願いね」
「え……」
「さあさあ、後はお二人でごゆっくり」
優木のお母さんの言葉に困惑したものの、彼女は私の背中を押して階段の方へ押しやってしまう。
仕方ないので階段を上り始めると、手を振る優木のお母さんが見送ってくれた。
数段登ってから前を向く。
なんだろう、反応的には漫画や小説なんかで見た異性の部屋を訪れる子を揶揄う親って感じなんだけど、それだけじゃないような、そんな気が。
少しだけ考えていると、当たり前だけどすぐに優木の部屋の前へ着く。
私は考えを頭の中から取り払って、扉をノックした。
『嵐山さん? 空いているから入っていいよ』
すぐに優木の声が聞こえて、それだけで声が弾む。
私は彼に言われたとおりにドアノブに手をかけて、そして開いた。
昨日はカーテンが締まりきっていた部屋。
しかし今日は風邪が完治したこともあって空気の入れ替えをしているのか、カーテンも窓も開いていた。
そしてベッドの上、見るからに暖かそうな部屋着に身を包んだ優木が私の方を見て微笑んでいた。
その微笑みを見るだけで、胸の奥が痛くなる。
でも嫌な痛みじゃなくて、その痛みが逆に心地良かった。
「こんにちは嵐山さん、昨日ぶりだね」
「うん、昨日ぶり……元気になったみたいで良かった」
扉を閉めて優木の元へ近づく。
ベッドのそばのカーペットの敷かれた床に腰を下ろした。
「換気しているんだね。寒くない?」
「大丈夫だよ。でももう十分換気したから、閉めようかな」
「あ、やるよ」
そう言って手を伸ばそうとしたから、私は立ち上がって代わりに窓を閉める。
その際に優木の体に自分の左手が触れたけど、気にしていない振りをした。
無事に窓を閉め終えて、私は再度床へと座り直す。
優木は私の方を向いて、微笑んだ。
「ありがとう嵐山さん。それにしても久しぶりに体調不良になったけど、一日で治って良かったよ」
「優木に体力があるってことなのかも」
「それは嬉しい事だね。……ところで俺が返った後、その……お母さんとはどうだった?」
その言葉を聞いて私は胸が熱くなる。
ああ、彼は体調不良で倒れているときも私の事を考えていてくれたんだろうなって、そう思ったから。
「うん、仲直り……っていうのはちょっと変だけど、ちゃんと話したよ。あの後実家に泊まったんだ。お母さん、張り切って夕飯作り過ぎちゃって……女三人しか居ないのにあのテーブルを埋め尽くすくらい作っちゃったんだよ?」
「ははっ……それは流石に食べきれないね。嵐山さんのお父さんが居ても厳しいんじゃない?」
「ちなみにそのお父さんはテレビ通話の向こうで、食べたい食べたいってうるさかった」
「あ、そうなんだ」
「あんまりにもうるさいから、お姉ちゃんにカメラの部分を指で塞がれてた」
「ちょ、ちょっとそれは可哀そうかな……」
あの後あったことを話すと、優木は笑ってくれる。
そして彼は、でも、と言葉を続けた。
「そうやってまた嵐山さんがお母さんと……家族と笑い合えるようになったみたいで、良かったよ」
どこまでも私の事を考えてくれる言葉。
それを聞いて、私は考える前に口を開いていた。
「優木のお陰だよ。優木が、私とお母さんの間に会った問題を解決してくれたんだよ」
全部全部、優木のお陰なんだよ?
「ねえ優木? 聞いて欲しいことがあるんだけど」
そう言って私は自分の逸る気持ちを必死に抑える。
それを遅くすることが出来るだけで、止めることは出来なかった。
この思いを伝えるなら今だと、そう体が、心が決めていることに気づいていた。
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