第40話 彼だけは、信じてほしい
その後の夜、就寝時間も過ぎた頃に東川は自分のベッドから上半身を起こす。
隣のベッドでは、同じ部屋割りの真下が深い眠りについていた。
大阪のホテルは京都の旅館と違い、三人一部屋。
だが部屋そのものは広く、ベッドが三つ入っているもののかなりの余裕がある。
そんな中で東川は三つあるうちの真ん中のベッドを使用している。
そして上半身を起こした彼女は真下の眠っているベッドとは反対側のベッドに視線を向けていた。
そこで横になっているのは、嵐山だ。
「……嵐山さん」
声をかけたのは、なんとなく彼女がまだ起きている気がしたからだろう。
けれど嵐山は動きを見せない。
にもかかわらず、東川は声をかけ続ける。
「嵐山さん、少し話がしたいの。外で、話さない?」
「…………」
少し時間を空けて、嵐山がベッドから起き上がる。
冷たい無機質な瞳が東川を射抜いた。
「何?」
「……ベランダで話すよ」
「…………」
少し緊張して言葉を紡ぐと、じっと睨みつけていた嵐山は何も言わずにベッドから降りた。
そのまま壁にかかっているホテルが用意してくれた上着を羽織ると、窓を開けて外に出ていってしまう。
東川も、もう一人のクラスメイトである真下を起こさないように注意しつつ、同じように上着を羽織ってベランダに向かう。
外用のスリッパを履いてベランダに出れば、11月の寒い風が東川を震わせる。
思わず、上着を強く握った。
窓を静かに閉めれば、落下防止用の高い柵の近くに嵐山は立っていた。
月明かりでその姿はよく見えるけれど、纏う雰囲気はこの夜の風と同じくらい冷たい。
彼女の横に並び立って、東川は口を開く。
「……ありがとう嵐山さん、誘いに乗ってくれて」
「別に……応じなきゃ寝させてくれないでしょ」
冷たくそう言う嵐山の視線は一切東川を捉えない。
ただ闇夜をじっと見つめているだけだ。
「で、何?」
「……嵐山さん、今日様子がおかしかったから」
「…………」
無言、いや会話をするという意志がそもそも感じられない。
明確な拒絶の意志を東川は感じた。
けれどそれでも、彼女は退かなかった。
「何があったのか、栗原さんからうっすらと聞いた。思ったのは、昼に会ったそいつらが最低だってこと」
「……うるさい」
何が言いたいのか分かったのか、嵐山が東川を見る。
底冷えするようなまなざしで、強く強く睨みつけた。
恐怖が東川の中で浮かんでくるものの、拳を強く握ってそれをかき消す。
「……嵐山さんに何があったのかは、聞かない。それに、何かを言うこともしない」
「しつこい」
「もちろん、私達に今のような態度をとっても全然構わない」
「しつこいって――」
「でも、彼は違うでしょ?」
「…………」
嵐山が言葉を止め、目を見開く。
東川は握り締めていた拳から力を抜いて、嵐山に語る。
「嵐山さんは知らないかもしれないけど、この修学旅行で夜空君はあんたの事ばかり考えてた。班分けが決まる前、修学旅行の期待でクラス皆が噂していたころから、彼はあんたを目で追っていた。心配そうな目で見ていた。だから彼は行動班であんたを誘ったし、それを見ていた私は部屋割りであんたを誘った」
拳を握り締めて、東川はやや早口でまくしたてる。
もう恐怖は感じていなかった。
ただ目の前に居る嵐山に届くように、言葉を紡ぎ続けた。
「もちろん私にだって嵐山さんと仲良くしたいって言う気持ちもあった。でも、そうしたきっかけは夜空君なの。昨日一昨日と、彼はずっとあんたと一緒に居た。あんただって、昨日の夜までは……今日の昼までは楽しかったでしょ? だってあんたも、私が部屋割りを決めるときに『寝るときに夜空君の高校一年の時の話をするから』っていう誘いに乗ったくらいなんだから」
「…………」
嵐山は何も答えない。
ただじっと、東川を見ているだけ。
けれどその眉は、少し下がっていた。
「……正直、あんたがクラスメイトの事を拒絶する理由に興味はないし、聞こうとも思わない。別にこれまで通りを突き通すなら、それはそれでいいと思う。きっとあんたにも、私達の事を信じきれない何かが昔あったんだろうし……でも」
大きく息を吐いて、目を瞑って、そして懇願するような目で、声で、東川は言った。
「でも、夜空君だけは違うでしょ? 彼だけは、信じてあげなよ」
それが本心だった。
嵐山がクラスメイトを信じていないことを東川はなんとなく分かっている。
けれど彼だけは、優木夜空だけは嵐山にとって「違う」だろと、訴えかける。
「彼はあんたのために色々考えて、動いてくれた。だから夜空君に対してだけは……今までのあんたで居なさいよ。彼は違うって、あんたも分かってるんでしょ?」
「…………」
嵐山は答えない。
けれどその目は見開かれていて、瞳は揺れている。
東川の言葉が心に届いているのは、明白だった。
「……それ……は……」
たどたどしく嵐山の口から漏れる言葉。
それを聞いて、東川は再び口を開く。
「あんたが今思っていることが、一番の答えなんだよ。他ならぬあんたが一番分かってるんでしょ? こんなこと、望んでないって」
「…………」
二人の間に、しばらくの間沈黙が流れる。
やがて、口を開いたのは嵐山だった。
「……うん」
小さな、小さな返事だった。
「ごめんなさい」
「……え?」
そして続けて出た突然の謝罪と頭を下げる嵐山に、東川は驚いた声を上げる。
嵐山が頭を上げて、さらに東川は驚いた。
嵐山からはそれまでの冷たい雰囲気や無機質な瞳が、消えていた。
「……あなたの言う通りだと思う……そう……だよね」
「嵐山さん……」
「もう大丈夫……心配かけてごめん」
「いや……」
月の下で、嵐山は自分の胸の前で拳を作る。
その姿と決意に染まった瞳を見て、東川は綺麗だと、そう感じた。
「私は明日に備えて寝るね」
「う、うん……」
戸惑いつつも、嵐山はそう言って東川の横を通りすぎる。
「あっ」
「?」
突然あげられた声に、東川が振り返ったとき。
「ありがとう」
嵐山からの初めての言葉を東川は聞いていた。
驚いて目を見開き、何も言えなくなる。
そんな東川に嵐山は振り返ることなく、部屋の中へと戻っていってしまった。
「ははっ」
東川一人になったベランダで、風に吹かれながら彼女は小さく笑う。
「あんな風になっていたのに、夜空君の事を出すだけですぐこれだもんなぁ」
誰にも聞かれない小さな呟き。
けれど東川はそれでいいと言わんばかりに、微笑んでいて。
そんな東川の事を、ただ月だけが見下ろしていた。
やれることは全部やった、そう思って部屋の中に戻ろうとしたとき。
「東川さんは……すごいわね」
声が聞こえ、東川は驚いて体を少し跳ねさせる。
慌てて振り返って見てみれば、隣のベランダに栗原の姿があった。
急な声と登場に叫び声を上げなかった自分を褒めて欲しいくらいだと、東川は思った。
「驚いた……びっくりさせないでよ」
「ふふっ、ごめんなさい。寝ていたら話し声が聞こえたから、気になって出てきちゃった」
おそらく栗原は窓際のベッドだったんだろう。
隣の部屋で寝ていても聞き取れるなんて、どれだけ良い耳をしているんだか、と呆れる東川。
いずれにせよさっきの話は聞かれていただろう。
聞かれていても、別に問題はないけれど。
「で? ……何よ、急に」
東川が尋ねると、栗原は寂しげに目を伏せた。
「さっき言った通りよ。ただすごいと、そう思っただけ。私は嵐山さんに何もできなかったから」
「……まあ、私も大したことはしていないけど」
東川は優木の話を出して、彼の事をより強く嵐山に伝えただけだ。
彼女からすれば嵐山の気持ちを立て直させたのは優木で、自分がやったのはちょっとしたフォロー程度だと考えている。
けれど栗原にも思うところがあるのだろう。
彼女もまたクラスの輪を意識して、嵐山の事を気に掛ける一人だから。
そんな沈んだ様子を見せる栗原に対して、東川は溜息を吐いた。
「……私は委員長みたいに難しく考えるのは苦手なの。ただ思ったことをやっただけ。今回は良かったけど、時には失敗することだってある。何を気にしているのか知らないけど、私はもう寝るわ。おやすみ」
「ええ、変なことを言ったわね。おやすみなさい」
東川は部屋に戻ろうとするときに、気になって隣のベランダの方へ振り返った。
その時には、もうそこには栗原の姿は無くなっていた。
もう夜も遅いし、寒い。委員長は上着を着ていなかったようだし、すぐに部屋に戻ったんだろう。
そう考えた東川は大きな窓に手をかける。
部屋の中に入り、静かに閉めて鍵もかける。
部屋の中ではこの少しの時間で眠りについたのか、嵐山がベッドに入っていた。
一番奥では真下も先ほどと変わらない寝息を立てているように思える。
東川も自分のベッドに向かい、二人と同じように中へと入る。
暖かい布団の中で、隣で眠る嵐山に目を向けた。
その寝顔までは暗くて窺い知れないけれど、眠っているのは耳をすませば小さな寝息が聞こえるので分かった。
出来ることはやった、後は嵐山と優木次第だと思い、東川は瞼を閉じる。
けれどきっと大丈夫だという確信があったのか、彼女はすぐに穏やかな眠りの世界へと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます