第38話 彼女の暗く重い影
修学旅行の三日目は全体行動の日だ。
金閣寺や清水寺といった有名な観光名所を巡ることになっている。
この三日目があるから、二日目はどちらかというとマイナーな観光名所を訪れていたわけだけど。
昨日と同じく京都の旅館で起床して朝食を食べた俺達は、今日は観光バスに乗っての移動が主だ。
午前中は金閣寺を見に行くことになっていたけど、バスを降りてしばらくしてから蓮が声をかけてきた。
「……なあ夜空、嵐山さん、今日機嫌悪くないか?」
「え?」
急に言われて驚いた。
蓮の視線の先には嵐山さんが居て、蓮の目からは彼女が不機嫌なように映っているんだろう。
「そんなことないって、きっとしばらくすれば気にならなくなるよ」
「……そうなのか? まあ、お前が言うなら……」
蓮は納得いかない表情をしているけど、俺が言うならという事で引き下がってくれた。
すまない蓮、嵐山さんの名誉のためにも真相を言うわけにはいかないんだ。
俺は嵐山さんの方に近づいて声をかける。
「嵐山さん、まだ眠い?」
「ん……まだ体が覚醒していない感じがする」
不機嫌そうに見える嵐山さんは、ただ眠いだけだったりするのを俺はさっきの観光バスの中で彼女から聞いていた。
修学旅行で睡眠時間が少し変わったらしく、その影響が出ているらしい。
一泊目が睡眠時間短めだったから、昨日は長めにとったらしいけど、その反動で眠いんだとか。
あんまり寝なかった次の日に取り返すように沢山寝ると、それでも眠い時あるよなぁ、なんて思ったりした。
「……それにシャワーを浴びてないのもあるかも」
「嵐山さんって、朝にお風呂に入る派なんだ」
「ううん、朝はシャワーだけ。夕方か夜にお風呂は入るよ。朝は目も覚めるし、結構おススメ」
「なるほど……」
俺は朝顔を洗うだけだけど、嵐山さんは少し違うらしい。
結構朝に余裕を持って起きるタイプなんだなと思ったりした。
「少しすれば目が覚めると思う。きっと……金閣寺の金の光で」
「そこまで光ってはないんじゃないかなぁ……」
実際に見たことはないし、写真でしか見たことはないけれど、目が覚める程輝いていることはないだろう。
そう思って苦笑いすると、嵐山さんは小さくだけど笑った。
このあと俺達は金閣寺を回ったけど、その頃には目も覚めてきたのか嵐山さんはいつも通りに戻っていた。
その様子を見て、本当に言う通りになった、と驚いた目で蓮は俺の事を見ていたりした。
◆◆◆
金閣寺を始めとするいくつかの寺院も観光し、俺達はバスに乗って清水寺の方へ。
昼食を食べた後に、少しだけ自由時間になった。
集合時間に間に合えば、周辺であればどこに行ってもいいらしい。
学校側が用意した、京都のお土産を買う時間ということだろう。
昨日買えなかった生徒も居たらしいから、配慮してくれたという事か。
一方で既に昨日お土産を買ってしまっていた俺はというと、適当に見て回ることにした。
周りには蓮に栗原さん、青木に矢島さん、それに嵐山さんも居る。
自由時間だから班別行動ってわけじゃないんだけど、なんとなくで集まったメンバーだ。
昨日までと同じメンバーで適当に店を見て回りながら、時折嵐山さんと話をしたりする。
そんなときだった。
「……嵐山……さん?」
ふと声が聞こえて振り返れば、女子高校生であろう人達が四人立っていた。
その内の一人は嵐山さんをじっと見ていて、残りの三人は不思議そうな顔をしている。
制服を見るに、違う高校の修学旅行の班だろうか。
この時期は色々な高校が修学旅行をするから、ちらほらと他の学校の学生服を見ていたけど、声をかけられたのは初めてだった。
「なにミキち、友達?」
「あー、分かった、中学の時の友達だ!」
一体嵐山さんとどういう関係性かと思っていると、向こう側の女子が少し騒ぎ始めた。
しかし、彼女達の言葉にミキちと呼ばれた生徒は、あー、と微妙な顔をしている。
「えっと、嵐山さ――」
彼女の様子を伺おうと思って名前を呼び、そちらに目を向ける。
けれど、俺は言葉を続けることが出来なかった。
嵐山さんは、酷く冷たい目で目の前の女子生徒を見つめていた。
なにも感じ取れない空虚な瞳は、6月に話しかけたときの嵐山さんを思い出させる程だった。
「違う違う、ただの元クラスメイトだよ。行こう?」
「えー、でも久しぶりに会ったんだから少し話していけば?」
そうこうしているうちに向こうの女子生徒たちが勝手に話し始める。
嵐山さんに話しかけた女子生徒はここから離れたい……いや嵐山さんから距離を置きたい? みたいだけど、久しぶりに会ったことを聞いて他の女子が気を使っているみたいだ。
しかしその女子生徒は、嵐山さんに目を向けて、いいよ、と面倒なことになったという気持ちを隠さずに呟く。
酷く相手を嫌っている……あるいは恐れているような目だった。
「この人、結構中学でヤバい感じでさ。あんまり関わらない方が良いよ。クラスの雰囲気、一時期最悪だったんだから」
「……は?」
突然の女子生徒の言葉に、思わず声が出た。
しかし聞こえなかったようで、目の前の女子生徒たちは好き勝手に話し始める。
「あー、そうなん? 確かにちょっち怖いし……」
「まあミキちが言うなら別にいいんだけどさー」
「……いこっか」
女子生徒の言葉から何かを感じ取ったのか、他の女子生徒もこの場を離れようとする。
その様子が、態度がやけに癪に触って、思わず声をかけた。
「おい、ちょっと待てよ」
「あー、すみません声かけちゃって」
「いや、そうじゃなく――」
「でも、よく一緒にいられますね」
頭が沸騰するような感覚に襲われる。
俺と会話をするよりも嵐山さんから離れたいのか、会話を一方的に遮って去ろうとする女子生徒。
その行動も言葉も許せなくて、握る拳に力が入る。
ほぼ無意識に逃げようとする女子生徒の腕を掴もうとした。
そのくらい、彼女が放った言葉は許せなかった。
嵐山さんの中学時代は知らないけど、いくら何でも言っていい事と悪い事があるだろうと、そう思って。
「おい、待て――」
足を踏み出そうとした瞬間に、強く腕を引っ張られた。
驚いて隣を見てみれば、嵐山さんが俺の腕を強く握っていた。
強く、強く、痛くなりそうなほど強く、握っていた。
嵐山さんに止められているうちに去っていく女子生徒たち。
結局彼女達は俺達の方を一度も振り返ることなく、人込みの中へと消えていってしまった。
もう追いかけることも、二度とあの女子生徒の言葉を訂正させる機会も失ったんだと、悟った。
「嵐山さん……どうして」
「…………」
俺の言葉に嵐山さんは何も答えずに、俺の腕から手を離す。
彼女は俯いていたけれど、やがて顔を上げた。
酷く無機質な瞳で、俺を見ていた。
これまで、小さくだけど笑顔はよく見せてくれていた。
時々、本当に時々だけど笑ってくれることだってあった。
でも今は、何も分からない。
初めて会話をした6月のように、何も感じ取れない冷たく無機質な嵐山さんが、そこに立っていた。
彼女は振り返り、俺に背を向ける。
その動きすら、冷たさを感じた。
「ら、嵐山さん……」
「そろそろ時間」
冷たく、低い声、そして短すぎる言葉。
全てがあの6月を彷彿とさせる。
「う、うん、そうだね……そろそろ集合時間だね」
「…………」
声をかけても、返事はない。
横を歩いていても、物理的な距離は近いのにその間には果てしなく遠い距離があるように感じられた。
辺りを見てみると、少し前方でさっきまでのやり取りを見ていたのか、蓮と栗原さんと目が合った。
その背後には心配そうにこっちを見る青木や矢島さんの姿もある。
先ほどの女子生徒に対して怒りを抱きつつも、どうしていいか分からない表情の蓮と、悲しげに眉を下げる栗原さんの姿がやけに脳裏に残った。
きっと俺も、彼らと同じような表情をしているだろうから。
この後、俺達は清水寺を始めとする場所を観光し、再びバスに乗って今度は大阪のホテルへと向かった。
けれど昼過ぎから夕方にかけて観光をしている間も、バスで隣に乗っている間も、嵐山さんは一言も自分からは言葉を発さなかった。
少しだけ声をかけてみたけど、それに対しても無言か、そっけない返事をするだけ。
重々しい雰囲気を出す嵐山さんに、俺はどうすることも出来なかった。
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