第25話 彼女の、名前は

 5、6時間目で考えてみたけど、やっぱり嵐山さんの名前を思い出すことは出来なかった。 

 というよりも、呼ばれているのが4月の最初の時だけな気がする。 

  

 体育祭の時にジャージを着ていたけど、胸の刺繍は苗字しかされていない。 

 テスト用紙も思い至ったものの点数を聞いただけで、見せてもらったノートにも「嵐山」しか書いてなかった筈だ。 

 教科書とかにひょっとしたら書いてあったかもしれないけど、覚えていない。 

  

 いや、こんなの嵐山さんに直接聞けば一発なんだけど、なんでか分からないけど答えを教えてもらっているみたいで嫌だった。 

  

 そうして放課後を迎える。 

 飯島先生によるホームルームが終わると、しばらくして嵐山さんが俺の席へ鞄を持ってやってくる。 

 今日は彼女と放課後に話をする日だ。 

  

「んじゃあ、俺は行くな。またな、蓮」 

「ああ、また明日なー」 

  

 蓮に軽く挨拶をして、俺は教室を出る。その後ろには、嵐山さんが近い位置にくっついている。 

 前から思っていたことだけど、どうして教室の中だと俺の後ろにいるのだろうか。 

  

 とはいえそんな嵐山さんとの位置関係も、廊下に出れば横並びになる。 

 そして学校を出て、校舎裏へ。 

 最近は晴れた日が多くて、放課後に話すことが出来ている。 

  

 鞄をいつものように置いて、今日は俺から尋ねた。 

  

「そういえば嵐山さんの家族の人は、V系の音楽聞かないの?」 

「聞かないね。私だけだよ」 

  

 すぐに答えが返ってくる。 

 前からそうだけど、嵐山さんは家族の話になると少しだけ声色が低くなる。 

 だからあまり触れたくはなかったんだけど、今回ばかりは仕方なかった。 

  

「そ、そうなんだ……ところで、嵐山さんって家族から何て呼ばれてるの?」 

  

 そう、これは俺の完璧なる作戦、嵐山さんの口から名前を聞き出そう作戦だ。 

 こうして自然な流れで聞けば、嵐山さんも答えてくれるはずだ。 

 これは答えを聞いているんじゃない、聞き出しているからセーフ、セーフなのである。 

  

 嵐山さんは少しだけ首を傾げたけど、やがて答えを言ってくれた。 

  

「優木と同じだと思うけど……普通に名前で呼ばれているよ。っていうか、それが一般的じゃない?」 

  

 ですよねー。 

 この作戦の穴を綺麗に突かれて、俺の完璧な作戦はあっさりと崩壊した。 

 完璧な作戦なのに崩壊したら完璧じゃないじゃん。 

  

 仕方なく俺は第二の作戦を発動する。 

 聞き出すのが難しいのはあるかもしれない。けどこれなら行けるはずだ。 

  

「あ、あのさ嵐山さん、ちょっと英語表現の教科書貸してくれないかな。ちょっと授業で気になるところがあって……」 

「……いや、帰りに教室寄ればよくない?」 

「そ、そうなんだけど……今気になっていると言うか!」 

  

 流石に無理があるかと思ったけど、優しい嵐山さんならきっと、きっと貸してくれるはず。 

 そう思ったけど。 

  

「貸してあげたい気持ちはあるけど、私も教科書教室に置いたままだよ?」 

「ソウデスヨネ」 

「……なんでカタコト?」 

  

 そりゃそうである。 

 狙ってみたけど、ピンポイントで英語表現の教科書を持って帰っている可能性は低い。 

 つまり、あえなく俺の計画は失敗したわけだ。 

  

「あぁ、でもノートは持ってるよ。見る?」 

  

 と思ったけど神はまだ俺を見捨てていなかったらしい。 

 心優しい嵐山さんはノートを見せてくれるようだ。これで名前が分かる。 

 ……嵐山さんの優しさに付け込んでいるみたいで、申し訳なくなるけど。 

  

 嵐山さんは自分の鞄の中を漁って、「あ」と呟いた。 

 やがて立ち上がり、俺に差し出してくれたのはまさかの英語表現の教科書だった。 

  

「そういえば入れたんだった、忘れてた。これでいい?」 

「ああ、うん! ありがとう!」 

  

 お礼を言って教科書を受け取り、開くのではなく裏面を向ける。 

 自然な動きで名前を把握して教科書を開けば怪しまれないだろう。 

 完全な計画だと内心でほくそ笑んで、そして教科書の裏面を向ける。 

  

『嵐山』という文字だけが、俺を迎えてくれた。 

  

 動きが固まった俺は、静かに口を開いた。 

  

「ら、嵐山さん……どうして名字だけ?」 

「え? いや、別に理由はないけど」 

「飯島先生から、教科書には苗字も名前も書いておけって……」 

「いや、嵐山なんて名前、私しか居ないでしょ」 

  

 もう全部が全部嵐山さんの言う通りである。 

 こうして俺の5、6時間目をフルに使って考えた完璧な作戦は崩壊した。 

 俺の完全敗北である。完璧な作戦とはいったい。 

  

「……見ないの?」 

「え? あ……えっと……」 

  

 ずっとそのままでいたからついに嵐山さんに怪しまれた。当然である。 

 彼女は睨みつけるような視線を俺に向けてくる。 

 久しぶりの視線に、背筋が凍るような感覚を覚えた。 

  

「何か隠してるでしょ? なに? 言って。 私そういうの、すっごく気になるの」 

「あの……その……名前をですね……」 

  

 観念して訳を話すと、嵐山さんは睨むのを辞めて首を傾げた。 

  

「な、名前?」 

「はい……嵐山さんの名前を知りたかった次第でして……」 

「ああ……なるほど、だから家族の呼び名とか、教科書とか……名前を知ろうとしたの……」 

「はい、そうです」 

  

 正直に白状すると、嵐山さんは大きくため息を吐いて俺を冷たい目で見た。 

  

「そんなの、直接聞けばいいでしょ」 

「いやなんと言うか……それは負けた気になると言うか、やっぱり聞き出したかったと言うか」 

「なんなのそれ……」 

  

 呆れたように呟いた嵐山さんはポケットからスマホを取り出して起動する。 

 そして何回か画面をタップした後に、それを俺に見せてきた。 

  

「これが私の名前、呼びやすいし覚えやすいだろうから……これでいいでしょ」 

「あ、うん……ありがとう」 

  

 嵐山さんのスマホに表示されたのは、「莉愛」という文字だった。 

  

「呼び方は『りあ』。ね? 簡単でしょ?」 

「り……あ」 

  

 確かに呼びやすく、それでいて間違いにくい漢字だと思った。 

 これなら飯島先生が4月にいちいち聞かなかったのも納得できる。 

 それにしても……「りあ」か。 

  

 嵐山さんはスマホを再び弄り、スリープ状態にして俺の方を再度見る。 

  

「まあでも確かに私だけ知っているのは不公平だったかもね」 

「……え?」 

  

 聞き返すと、嵐山さんは得意げな顔をした。 

  

「だってそうでしょ? 夜空」 

「……あ」 

「藤堂君とか東川さんがよく呼んでいるから、自然と覚えちゃった。私は良い名前だと思うよ。夜空」 

「うん……俺も嵐山さんの名前、良い名前だと思う」 

  

 お互いに名前を知って、そしてその名前を良いと言い合う。 

「莉愛」……本当に心から、良い名前だと思った。 

 最初は怖いと思っていたけど、今は優しい人だと思う嵐山さんにぴったりな名前だ。 

  

 けど当の嵐山さんは笑顔を引っ込めると、ジト目で俺を見た。 

  

「だから、これからは変な探りなんか入れないでね。気になることがあるなら直接聞いて」 

「はい……そうします」 

「よろしい」 

  

 俺は英語表現の教科書を嵐山さんに返す。 

 彼女もそれを受け取って、鞄に戻した。 

 ふと思うところがあって、俺は彼女に再び尋ねる。 

  

「嵐山さん、じゃあ聞くけど、お姉さんの名前は何て言うの?」 

「あいなだよ。愛するの愛に奈良の奈で愛奈。こっちも読みやすいでしょ?」 

「そうだね。嵐山さんって二人姉妹?」 

「そうだよ」 

「じゃあどっちも愛の字が入っているんだね」 

「まあ、そうなるね」 

  

 鞄のジッパーを閉めた嵐山さんは振り返って、俺の方を見る。 

  

「優木は?」 

「ん?」 

「優木は一人っ子?」 

「…………」 

  

 急な質問に少し驚いたけど、俺は微笑んで答えた。 

  

「うん、一人っ子だよ」 

「そうなんだ」 

「でもお袋は真昼だし、親父は夕一だから、皆時間帯が入っているんだ。 

 そういった意味では嵐山さん達と似ているかもね」 

「昼に夕方ってことだね、なるほど」 

  

 嵐山の言う通りなので頷いて返せば、彼女は少しだけ笑った。 

 話が一段落したところで、俺は次の話題を嵐山さんに尋ねる。 

  

「そういえば、テスト返ってきたけどどうだった? 二人で対策したところも出たし、結構いい感じだったと思うんだけど」 

  

 実際、テスト後に嵐山さんと話した限りでは手ごたえはあるようだった。 

 だから結果にも期待していて、そんな俺の問いかけに嵐山さんは得意げな顔をした。 

  

「結構良い点数だった」 

「そっか。それは良かったよ」 

  

 具体的な点数は聞かなかったけど、嵐山さんも点数は良かったようだ。 

 俺も点数はまあまあだったし、お互い良い結果に落ち付けたようで良かった。 

  

 その後も俺達は相変わらず他愛のない話をして放課後の時間を過ごして。 

 そして以前とは違って、二人揃って校舎裏を後にした。 

 実は帰り道は途中まで一緒だったっていうのも、つい最近知ったことだったりする。 

  

 4か月も友人を続けてきたのに今更そんなことを知るなんて、とお互いに笑い合ったりした。 

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