第24話 そういえば知らない、彼女の名前

 中間試験最終日、最終科目である数学Ⅱのテストが終わる。 

「そこまで」という先生の声と同時に、多くの生徒が机に突っ伏した。 

 俺はそうしなかったけど、近くで音を聞いたから後ろの席の蓮が撃沈したんだろう。 

  

 後ろからプリントが回ってくるから後ろを向けば、そこにはやっぱり撃沈している蓮の姿があった。 

 苦笑いしながらテストの用紙を受け取って、前の席に流す。 

 今回のテストは対策を頑張ったこともあって、そこまで悪い出来ではなかった。 

 手ごたえもあったし大丈夫だろう。嵐山さんも大丈夫だといいんだけど。 

  

 試験監督をしていた飯島先生は用紙を専用の封筒に入れると、そのままホームルームを始める。 

  

「まずは試験お疲れ様。だが試験は復習をするのが大事だ。先生からテスト用紙が返却された後は、各々しっかりと復習するように」 

  

 ごもっともなことを言う飯島先生だけど、それをするクラスメイトが何人いるだろうか。 

 ほとんどの生徒は、右から左に先生の言葉が抜けていそうではある。 

  

「また、しばらくすると修学旅行もある。毎年行っているが、行えているのはお前達の先輩が礼儀正しく、現地の人に迷惑をかけていないからだ。楽しみに思うのも分かるが、そこはしっかりと肝に銘じるように。まあ、近づいてきたら再度中位はするがな。あと試験後だから遊びに行くのは構わないが、これも周りへの迷惑をしっかりと考えるように」 

  

 先生のありがたい言葉に、クラス中から「はーい」という返事が出る。 

 満足げに頷いた飯島先生は「では以上」と言ってホームルームを終わらせた。 

  

 その様子を見ながら、俺は考えていた。 

 俺が朝嵐山さんを誘って、そして昼休みに嵐山さんが話しかけてくれたあの日を境に、俺達を取り巻く環境は少し変わった。 

 まず、噂が完全になくなった。俺は嵐山さんに脅されているのではなく、嵐山さんと仲の良い唯一の人、という事になったらしい。 

 逆に、嵐山さんとも仲良く出来るなんて、優木くんは凄いね、とまで言われてしまう始末だったけど。 

  

 そして当の嵐山さんに関しては、教室の中でもそれなりに俺と交流を持ってくれるようになった。 

 挨拶も交わすし、昼に一緒に食べに行くときや、放課後に話すときは入口に近い俺の席に来てくれる。 

  

「なあ夜空―、数Ⅱのテストどうだったよー?」 

  

 そして蓮もまた、ちょっと態度が変わった一人だ。 

 今まで俺を揶揄っていたものの、それがなくなった。 

 どうやらようやく俺と嵐山さんが友人関係にあることを分かってくれたらしい。 

  

 俺は振り返って、蓮の問いに答える。 

  

「まあ、悪くはなかったよ。でもああいうのは塾の先生に見せたりすると間違いが見つかったりするからなぁ……」 

「でも赤点はないだろ?」 

「それは大丈夫だと思う……っていうかお前は?」 

「俺も大丈夫!……だと信じたい……」 

  

 どうやら蓮はあまり自信がないらしい。 

 こうは言っていてもいつも赤点をギリギリで回避していくから、きっと今回も大丈夫だろう。 

  

「そういえば、今日この後カラオケ行くんだけど、一緒に行くか?」 

「ああ、行くよ。誰が行くの?」 

「俺に沙織だろ、それに……」 

  

 蓮から誘われて、一緒に行くメンバーの確認をする。 

 その中に、嵐山さんの名前はなかった。 

 俺達の環境は変わったけど、変わらなかったものもある。 

  

 俺と嵐山さんが友人だという事は広まっても、嵐山さんに対して誰かが近づくようなことはなかった。 

 クラスメイトにとって、まだ嵐山さんは怖い人、というイメージらしい。 

 嵐山さんとも友達になれるなんて、すごいね、と言った子にも、「嵐山さんは良い人だよ」って伝えたんだけど、まったく効果はなかったみたいだ。 

  

 まあ、当の嵐山さんはまったく気にしていないみたいだけど。 

  

 そんな事を思っていると、教室の一番後ろを出口に向かって歩いている嵐山さんを見かけた。 

 もう帰りの支度は済ませていたから、ちょうど帰るところなんだろう。 

 彼女は俺の方をチラリと向いて、そして無表情だけど手を挙げて横に振る。 

  

 俺は笑顔で彼女に手を振り返した。 

 結局嵐山さんは笑顔を浮かべないまま、教室を出ていってしまった。 

 教室では全く笑ってくれないなぁ、なんてことを思ったりした。 

  

「…………」 

  

 そんな俺らのやり取りをじっと見ていた蓮だけど、俺が手を振り終わると口を開いた。 

  

「じゃあ行こうぜ夜空……久しぶりに歌いたい曲があるんだ」 

「あぁ、俺もいくつかあるんだよね」 

  

 今回のカラオケで俺はやりたいことがあった。 

 嵐山さんとしか話せないV系の曲。 

 それを、クラスメイトの前で歌う事だ。 

  

 皆はきっと知らないだろう。 

 でも聞くことで、同じようにカッコいいと思ってくれる人が居るかもしれないから。 

  

 俺と蓮は鞄に筆箱を入れて、席から立ち上がり、東川の方へと向かった。 

 ちなみにカラオケで歌ったV系の曲は聞き入ってくれる人はいたけど、曲そのものに興味を持ってくれる人はいなかった。 

 カッコいいんだけどなぁ……。 

  

  

  

 ◆◆◆ 

  

  

  

 期末テストから数日後、俺は昼休みに蓮の机の所に集まっていた。 

 今日は嵐山さんとの昼食の日ではないため、蓮の席で昼食を食べている。 

 メンバーは俺に蓮、そして蓮の幼馴染である東川だ。 

  

 チラリと目線を向けてみると、嵐山さんはもう食べ終わったのか机に伏して眠っているようだった。 

 昼食は食べ終わって、俺も蓮も東川も紙パックの飲み物を飲んでいる。 

 カフェオレを飲んでいた東川がストローから口を話して、俺に尋ねてきた。 

  

「そういえば前から気になっていたんだけど、夜空君って嵐山さんとどんなこと話すの?」 

「え? いや他愛ないことだよ。好きな音楽とか、最近あったこととか」 

  

 急に聞かれて驚いたけど、正直にそう答える。 

  

「ふーん」 

  

 東川はなんとなく聞いただけで、特に興味は無さそうだった。 

 いや、自分から聞いておいてあっさりとした反応だな、と思った。 

  

「お前らさ、お互いの事名前で呼ぶわけ?」 

「え? いや、呼ばないけど……」 

  

 嵐山さん、優木と苗字で呼び合うだけだ。 

  

「俺達は夜空君って呼んでるんだから、名前で呼び合えば?」 

「いや、二人の事は二人で決めるべきでしょ」 

「東川の言う通りだろ……呼び方なら、そのうち変わるかもな。そもそも蓮だって東川だって、最初は優木呼びだったじゃんか」 

  

 俺は今も東川は苗字呼びだけど、と付け加えると、蓮は「確かに」と呟いた。 

 そうしてフルーツ牛乳をストローで啜った蓮は、再び口を開く。 

  

「っていうか、嵐山さんって名前なんて言うんだ?」 

「……確かに知らないかも。なんていうの?」 

「……え?」 

  

 蓮と東川に聞かれて、答えに困る。嵐山さんの名前……聞いたことがなかったな。 

 っていうか、あれ? 6月から10月まで4か月も一緒に居るのに、名前知らないの? 

 と思って考える。 

  

 日常生活で嵐山さんが呼ばれる場面なんて、飯島先生の出席確認の時くらい。 

 でもその時も嵐山、って名字で呼ばれるだけだ。 

 名前が呼ばれたタイミング……そうだ、2年生に上がったときフルネームで一人一人呼ばれたはずだけど……。 

  

「……知らないかも」 

「……まあ名前なんて呼ばれないからなぁ」 

「2年生に上がったとき、全員の名前フルネームで呼んだじゃん? 飯島先生なんて言ってたっけ?」 

  

 東川も同じことを思い出したようだ。だけど彼女も嵐山さんの名前は分からないようで。 

  

「難しい漢字や変わった読み方をする場合は確認を取っていたけど、それがなかったから読みやすい漢字なんだと思う。俺は呼び方念のために聞かれたし」 

  

 俺の名前の呼び方なんて「よぞら」以外にないと思うんだけど、念のためにってことだろう。 

 そう伝えると、東川も首を横に振った。 

  

「ダメだ、覚えてないや。結構昔の事だしね」 

「つーか夜空、お前結構長い付き合いで友人なのに知らないって……」 

「言うな蓮……」 

  

 俺もそう思っていたところなんだから。 

 とはいえ、名前を知らないのはなんだかもやもやする。 

 飯島先生に聞けば教えてくれるだろうけど、そのためだけに聞くのもなぁ。 

  

 こんなことなら、飯島先生から依頼を受けたときに聞いておけばよかった。 

 昔の自分の痛恨のミスを感じて、俺は大きくため息を吐いた。

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