第23話 彼女との距離を再び縮めるために
次の日の朝、俺はわざと少し遅れて学校に行った。
昨日は寝坊だったけど、今日遅れたのにはちゃんとした理由がある。
教室の扉の前に立ってスマホで時間を確認すれば、時間はホームルームまであと5分といったところ。
俺は息を大きく吐いて、勢いよく扉を開けた。
「おはよう」
「おはよう優木―」
「優木くん、おはようー」
昨日と同じようにクラスメイトは挨拶を返してくれるけど、遠くでは俺の事をチラリと見るようなクラスメイトもいた。
俺は挨拶には返しつつも視線は無視して自分の席へ。
「はよー、優木、今日も遅いな」
「おはよう蓮、ちょっとな」
そう言って机の横に鞄をかけた俺は、席に座ることなく蓮の後を通り過ぎた。
「ん?」
不思議そうに挙げた蓮の声を耳に残しながら俺は教室の一番後ろまで歩き、右に曲がる。
そしてそのまま目的の人物――教室窓際の一番後ろに座る嵐山さんの元に向かった。
この時間帯、彼女はヘッドフォンで音楽を聴くのを辞めていることを知っていた。
「嵐山さん」
「……え」
声をかければ、彼女はひどく驚いたように俺を見た。
見開かれた目に、「どうして?」ということがまるで書かれているような表情。
それらを目にしたまま俺は言葉を続ける。
「今日の昼休み、一緒に食べよう。学食でも、教室でも、どこでもいいから」
そう言って俺はコンビニのビニール袋を持ち上げて嵐山さんに見やすいようにした。
嵐山さんは突然の事に驚いて、戸惑っている。
けど彼女が声を出すよりも早く、教室中がざわざわし始めた。
今まで嵐山さんが俺を脅しているっていう噂が流れていた。
けど今、こうして俺から嵐山さんに話しかける事態が起こっている。
「ゆ、優木くん……? 嵐山さんとその……一緒にお昼食べるの?」
そうなれば、そういう風に聞いてくるクラスメイトも現れるかもしれないと思っていた。
だから俺は彼女の方を向いて、微笑む。
「ああ、俺と嵐山さんは友達だからね。当たり前でしょ?」
「…………」
大きな声でそう伝えれば、聞いてきた女子生徒は口をあけて固まっていた。
他のクラスメイトも俺の事をじっと見ているのが分かる。
それらを感じながらも、俺はもう一度嵐山さんの方を向いて、微笑んだ。
「じゃあ、また昼休みに」
「え……あ……」
軽く手を挙げて、俺は嵐山さんの元を離れる。
自分の席に戻る間に聞いたのは、噂とは違うっていう話や、優木くんと嵐山さんって友達なの?っていう戸惑う声、そして優木くんなら嵐山さんと友達でもおかしくないよね、という声だった。
「……やるねぇ、夜空」
「別に……思ったことをしただけだよ」
席に戻ると蓮に揶揄われるけど、俺はそれを適当に返す。
「でもさっきのお前、カッコよかったじゃん」
「……そうか」
思わぬ言葉に、少しだけ照れ臭くなった。
教室の前の扉が開いて飯島先生が入ってくる。
ホームルームでの先生の話を聞きながら、俺はさっきの行動を思い返していた。
正直、俺のさっきの行動は目立ちたくないっていう嵐山さんの気持ちとは反するものだ。
けどだからって、このまま噂が消えるまで待っているのはどうしても嫌だった。
そもそもどうして俺達の関係を周りの人にとやかく言われないといけないのか。
特に嵐山さんは、何一つ悪いことをしていないのに。
だから少しの申し訳なさはあるけど、後悔はない。
今の俺に出来るのは、昼休みをじっと待つだけだった。
◆◆◆
昼休みのチャイムを聞いて、クラス全体がため息を吐く。
今日の4時間目は数学Ⅱの時間で、理解できている生徒なんてごく少数だろう。
俺もノートは取っているけど、かなりの分量で疲れてしまった。
試験前になんていう問題をやるんだと、担当の先生を睨みたい気持ちに駆られる。
ノートと教科書を閉じて机の中に仕舞い、机の脇にかけていたコンビニのビニール袋を手に取って立ち上がった。
さあ、嵐山さんと話をする時だ、と思って振り返ろうとしたとき。
「優木」
久しぶりに聞いた声が、耳に届いた。
振り返ると、そこには手提げ袋を持った嵐山さんが立っていた。
「嵐山……さん?」
「行くんでしょ?」
「あ……ああ……うん、行くよ」
あの嵐山さんが、自分から俺の席に来てくれたことがとても嬉しくて、思わず声が弾んでしまった。
俺達の様子をクラスメイトがじっと見ている。
後ろの席の蓮も、声を挙げた。
「なんだよ夜空……いい雰囲気じゃんか」
「蓮……だから前から言ってるだろ、嵐山さんとは気の合う友人だよ。じゃあ行こうか、嵐山さん」
「うん」
蓮のいつもの揶揄いをいなして、俺と嵐山さんは教室を一緒に出る。
俺が前で、嵐山さんが後ろって感じだったけど、今回は初めて一緒に教室を出たんだ。
「気の合う友人、ねえ……時間の問題だろ、あれ」
だから俺は蓮の呟いた小さな声は聞こえなかった。
◆◆◆
二人並んで廊下を歩いて、言葉を交わすこともなく自然に校舎裏のいつもの場所に足を運んでいた。
いつものように腰を下ろせば、ようやく一息付けたって感じだった。
「……いきなり誘うなんて、びっくりした」
「ごめん……でも居てもたってもいられなくて」
今日はコンビニで買ってきたのか、ビニール袋を横に置いて口を開いた嵐山さんに苦笑いで返す。
すると彼女はふるふると首を横に振った。
「ううん、昨日のことでしょ? それを気にして声をかけてくれたんだって、分かったから」
「だから、さっきも俺の席に来てくれたの?」
「優木が動いてくれたなら、私も動いた方が効果が二倍でしょ」
小さく息を吐く嵐山さんは、少し緊張しているようだった。
クラスで俺に声をかけるっていう行為は、彼女からしてみれば緊張することだったんだろう。
でもそれをしてくれたことが、嬉しかった。
彼女はコンビニのビニール袋からパンを取り出し、包みを空けながら呟く。
「でもこれで、もう変な噂は立たないと思う……逆に別の噂は立ちそうだけど」
最後はかなりの小声だったけど、なんて言ったのかを聞く前に彼女はパンを口に運んでしまった。
俺も同じようにコンビニの袋からパンを取り出して、それを空けてかぶりついた。
十分に噛んで飲み込んでから、尋ねる。
「やっぱり昨日の態度やRINEは、噂が原因?」
嵐山さんの表情が、少しだけ曇った。
「……うん。私はいいけど、優木に変な噂が立つのは嫌だった。だから距離を置こうとしたの……でも、そんなことしなくて良かったんだって、朝ので思った」
「うん、そうだよ。俺達の関係を誰かが口出しすることや噂すること自体おかしいんだ。俺は嵐山さんと一緒に居て楽しい。嵐山さんも俺と一緒にいて楽……楽しい……よね? それでいいじゃないかって、思ったんだ」
自分で言っておいてなんだけど、これで嵐山さんが楽しいと思ってなかったらどうしようと思って尋ねる形になってしまった。
嵐山さんはパンを持つ手を下げて、俺の方をじっと見る。
そしてゆっくりと、口を開いた。
「楽しいよ」
その言葉で、俺は目を見開いた。
「優木と一緒に居て、楽しい。だから私達は、それでいいんだよ……ね?」
「うん、いいんだよ」
そういって俺と嵐山さんは笑い合う。
お互い視線を外して、昼食を続けた。
言葉はいつもより少なかったけど、またこの関係に戻れたことが嬉しかった。
食べている途中でふと気になって、俺は声をかける。
「そう言えば、今日はコンビニなんだね」
「……作る元気がなかったから」
「あ……」
嵐山さんも嵐山さんで思うところがあったってことだろう。
それを知って俺は少しだけ照れ臭くなり、思わず話題を変えることにした。
「き、昨日はお弁当の予定だったけど、俺の分のってどうしたの?」
「家に帰ってお姉ちゃんに食べてもらった。お姉ちゃんはすごく不思議そうな顔してたけど」
「そ、そうなんだ……」
確かに夕食でお弁当が出てきたら、何があった? って思うよなぁ。
嵐山さんが今度は私の番とばかりに尋ねる。
「優木は昨日どうしたの? その……私ここに来なかったし……」
「食べなかったよ。帰る途中に適当に買って、それで家に帰って食べたって感じ」
正直に伝えると、嵐山さんは目に見えて焦り始めた。
「ご、ごめん……私のせいで……」
「うん、ちょっとお腹がすいた5、6時間目を過ごしたかな……」
「本当にごめ――」
「だからさ」
俺は嵐山さんに謝ってほしいわけじゃない。
その思いを込めて、彼女に言う。
「だから……また明日作って来てくれないかな。嵐山さんのお弁当、楽しみだったんだ。それに渡す筈のお金もまだ持ったままだしね」
もう一度、昨日をやり直そうと、そう言った。
俺が嵐山さんとのカラオケをやり直せたように、昨日だってやり直せるから。
嵐山さんは俺の言葉を聞いて目を見開いていたけど、やがて笑顔を浮かべて、大きく頷いた。
「うん、任せて……明日はとびっきりの作ってくる。だから、楽しみにしてて」
「ああ、楽しみにしてるよ……でも気合入れすぎて勉強しないのは勘弁ね。もうすぐ試験始まるんだからさ」
「いやなこと思い出させないで」
心底嫌そうな顔をして顔を背ける嵐山さんに、俺は笑った。
その後俺達は昼休みの終わりの時間が近づくまで、他愛ない話をした。
ありふれた話だったけど、俺達の間には確かに笑顔があった。
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