第20話 嵐山さんの居る日常
二学期も始まってしばらく経ったある日、俺は放課後に嵐山さんと話をしていた。
最近はV系のこと以外にも他愛のない話をすることがある。
例えば最近の映画は見たかとか、こんな面白いことがあった、なんてことを。
その流れの一環で、俺は嵐山さんに尋ねた。
「そういえば、あと少しで中間試験だね」
試験開始まではあと2週間に迫ったと言ったところ。
来週から10月に入るけど、そうするとすぐに試験だ。
まだ余裕はあるけど、今回は今回で少し不安な部分があったりした。
「俺、数学Ⅱの三角関数が結構苦手でさ。大丈夫かなぁ……勉強しないとって感じだよ」
俺も嵐山さんも文系であるものの、うちの高校は2年生で数学Ⅱの授業がある。
当然試験もあるわけで、数学が得意じゃない俺からすると一番悩ましい科目だった。
塾の風見先生にはもう分らないところを聞き始めているし、試験後の授業も前倒して、試験前にやってもらう手はずも整えている。
そこまでしないといけないのに、理系の人は数B、さらには三年になると数Ⅲと数Cがあるとか。
風見先生からそのことを聞いた後に、興味で塾にある数Ⅲや数Cのテキストを見せてもらって、書いてあることが宇宙だったなぁ、なんてことを思い出した。
俺には絶対に進めない進路だろう。
いや、進みたくないと言うか。
「って、嵐山さん?」
そんな風に数学の難しさを思い出して遠い目をしていると、嵐山さんから反応がないことに気づいた。
声をかけてみると、彼女はいつもの無表情で俺を見る。
けどその目じりは、少し下がっているようで。
「……ちょっとヤバいかも」
「……ちょっと」
オウム返しをして、じっと嵐山さんを見る。
すると彼女は少しだけ目線を外した。
「……結構ヤバいかも」
「け、結構……」
ラ、ランクアップしたぞこの人、と思って、目線を外さずに見続ける。
すると嵐山さんは目線を俺から外したままで再び口を開いた。
「……いや、マジでヤバいかも」
「マジですか……」
どうやらかなりヤバい状況らしい。
7月の期末の時にも試験の話題は出したけど、「まあまあ」って言っていたから大丈夫だと思ってたが、どうやら今回は嵐山さんも苦戦しているようだ。
「ちなみに、どの教科がヤバいの?」
「英語全般と数学……」
「お……おう……」
まさかの結構重要な教科かつ授業数が多い英語も入っていた。
ふと、嵐山さんは俺と目を合わせ、そして尋ねる。
「……優木って、頭良かったりする?」
「え? いや、良くないと思うけど、塾には行ってるからテストはまあまあな点数だよ」
「前回の数学Ⅱ、何点だった?」
「……ちょっとミスって、60点くらいかな」
本当なら風見先生に教わったことが出来ていれば70点も夢じゃなかったけど。
正直に点数を伝えると、嵐山さんは目を見開いた。
「60!?」
びっくりするほど大きな声を挙げる嵐山さんに俺も驚く。
彼女は俺の方に少し近づいて、再び口を開いた。
「英語表現は?」
「……70点くらい」
「70!?」
これでもかと目を見開く嵐山さん。
ちなみに英語表現っていうのは英文法の事で、普段から塾でメインでやっている内容だ。
だから良い点数を取れたっていうのもある。
そもそも風見先生が出す英文法の課題はマジで難しいから、学校のテストが逆にできちゃうって言うか。
塾で出されるプリントを回想していると、嵐山さんは小さな声をだした。
「……お願いがあるんだけど」
何が言いたいのか分かって、俺は彼女に尋ねる。
「……一緒に、勉強する?」
俺の言葉に、嵐山さんは首を縦に振った。
「それもそうだけど、出来れば分からないところを教えて欲しい……かな」
「分かるところは頑張って教えるけど、俺にも分からないところはあるから、それは許してね」
「全然構わない。本当に助かるよ。ありがとう」
「う、うん……」
マジで感謝しているのか、右手を両手で強く握られた。
しかもそのまま上下に振られてしまう。
嵐山さん、いくらなんでも喜びすぎじゃなかろうか。
「……ところで嵐山さん、前回のテスト、何点だったの?」
「…………」
俺の右手を取ったままで、嵐山さんは明後日の方向を見た。
後に聞いた彼女の点数は得意な現代文以外、蓮と同じように赤点間近だった。
◆◆◆
その後すぐ、俺は嵐山さんと一緒に学校から離れたカフェに足を運んでいた。
俺は自転車通学だったけど彼女もそうだったみたいで、一緒にカフェの駐輪場に自転車を止める。
ここに来たのは、嵐山さんの分からないところを解決するためだ。
今日、俺は塾の授業はないし、蓮達と遊ぶ予定も夜に入っているだけだ。
嵐山さんも用事はないみたいで、この後すぐ教えて欲しい、って感じになった。
ちなみに最初は図書室を提案したけど、嵐山さんが渋ったためにカフェになった。
図書委員だから使いやすいと思ったけど、目立つのは嫌らしい。
確かに俺も図書館に嵐山さんがいたら、以前ならそっちを気にしてしまうだろうし。
そんなわけで俺達は適当にコーヒーを注文して、やや大きめのテーブル席に腰を下ろした。
そしてすぐに、嵐山さんは俺に尋ねる。
「できれば英語と数学を教えて欲しいんだけど、いいかな?」
「うん、いいよ。俺で良ければ力になるよ。とはいえ今日はどれかかな。試験までまだ時間はあるし、残りはそのうち一緒にやろう」
「うん。じゃあ英語表現を」
そう言った嵐山さんはバッグからノートや教科書、テキストを取り出す。
彼女が授業を真面目に受けているのは知っているから、書き込まれたノートを見ても意外には思わなかった。
店員さんがコーヒーを運んできてくれたことに二人してお礼を言った後に、嵐山さんは指で開いた教科書を指す。
単元は、今回のテスト範囲である「関係代名詞」だった。
「……授業は聞いているけど、正直意味が分からないの。テキストの問題を自力で解ける気がしないよ」
「ああー、確かに難しいよね」
何て説明しようかと少し考えて、ノートを俺も取り出す。
教科書の文言を写したりしながら、嵐山さんに分かるように「関係代名詞」の説明をしていく。
していくんだけど。
「……??」
「あー、えっと……これは……」
眉をひそめて、目に見える形でよく分からないという態度をとる嵐山さん。
俺も風見先生に教わったことを思い出しながら説明するけど、うろ覚えの部分もあってなかなか上手くいかない。
っていうか、今まであんまり人に何かを教えるってことをしてこなかったけど、こんなに難しいものなのか。
教える機会が出来て初めて、教師や講師という立場の人の苦労が分かった気がした。
「ってわけだから、これはこうで、だからこうなって……」
「こういうこと?」
「そうそう! そういう感じ!」
「なるほど……ここを見ればいいんだね」
けど何度も何度も根気強く教えることで、嵐山さんも何かを掴んだらしい。
寄っていた眉は離れ、小さくだけど頷いている。
彼女はそのまま教科書の下の方にある確認問題に取り組み始めた。
「じゃあこれは……ここに戻せるから……イが正解?」
「うん、そうだと思うよ」
「本当? じゃあ次は……ウかな?」
「うん、いいんじゃないかな」
「よしっ」
小さくガッツポーズをする嵐山さんを見て、微笑む。
最初は怖いと思ったし、表情に変化がないと思ったけど、最近は結構わかりやすい人だと思い始めてきた。
「ああ……だからこれはイじゃなくてウなんだね。戻せる場所がここじゃなくて、ここだから」
「うん、そうみたい。関係代名詞を解くときは戻す場所を意識しろって」
「あぁ、すっきりした。どうしてこの問題がウなのか、本当に分からなかったから」
これに関しては嵐山さんの気持ちに同意する。
俺も塾で風見先生に最初に指摘されたときは、なんでだよっ、って言ったっけなぁ。
確認問題を全部解き終わった嵐山さんは、少しだけ微笑んで自分の教科書を見る。
そして俺の方を見て、まっすぐに気持ちを伝えてくれた。
「ありがとう、優木」
その言葉は、彼女の表情は、雰囲気は。
本当に心から喜んで、そして感謝を伝えてくれていて。
「どういたしまして、嵐山さん」
こうやって人に教えて喜んでもらえるのも嬉しいことだなって、そう思ったりした。
嵐山さんは、今度は英語表現のテキストの方を解いていく。
問題を解いたり、分からない単語に線を引いて調べたりする中で、あることに気づいた。
「嵐山さん、結構英単語分かるんだね。今の問題のこれとか、俺分からなかったよ」
ちょうどスマホで調べていたからその単語を共有すると、嵐山さんは「ああ」と呟いた。
「V系の曲の歌詞であるから、それで覚えたのがいくつかあるの。これはたまたまその一つってやつ。でも単語力はないから、鍛えないと……」
「なるほど……そんなメリットが……」
歌詞が良いなと思う曲がいくつかあったけど、英語部分の歌詞については意味まで調べたことはなかった。
ただメロディや歌い方がカッコいいなって思ってただけだったけど、そっちも調べてみると良いかもしれない。
そんな事を思いながら、テキストと睨めっこをする嵐山さんを視界の隅に入れて、俺も自分のテスト勉強を始める。
俺達二人がお互いにある程度試験勉強をやりきるまで、静かにテキストや教科書に黙々と取り組んだ。
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