第12話 失敗と嵐山さんの思いやり

 試験最終日は俺がーーいや、多くの高校生が最も苦手とする数Ⅱがあった。 

 試験を終わった後のクラスの様子も阿鼻叫喚で、「やべえー!」という声が聞こえてきたくらいだ。 

 その後は嵐山さんの得意な現代文や、副教科の試験があったりしたけど、問題なく解けたと思う。流石に赤点はないだろう。 

  

 帰りのホームルームが終われば、生徒たちはテストが難しかったという感想を言いながら帰りの支度を始める。 

 俺の隣に座る嵐山さんはいつも通りそそくさと帰りの支度をして、教室から出ていってしまった。 

 今日は嵐山さんと約束したカラオケの日だけど、分かっているんだろうか? 

  

「夜空―、数学終わったわ……マジで分からんかった」 

  

 閉じた教室の扉を見ていると、蓮ががっくりと肩を落として俺のところへ来た。 

 どうやら数学のテストで、色々な意味で終わってしまったらしい。 

  

「どんまい……でも赤点はないだろ?」 

「まあそれは大丈夫だと信じてる」 

  

 うちの高校は赤点が30点って決まっていて、何度も取るとヤバいけど、数回ならまだセーフだ。 

 風見先生に言ったら、結構優しい感じらしくて、他の高校では二回で退学とかもあるらしい。 

 恐ろしい高校もあるんだなぁ、なんて思ったりした。 

  

「何だったら不安な問題とか答え合わせするか?」 

「やめとくわ。下手したら合ってると思ったところも間違ってるってなるかもしれないしな」 

  

 蓮の言葉を聞いて、確かにと思った。 

 良いところも悪いところもあるんだよな、友達との答え合わせ。 

 中学の時はその延長線上で風見先生に聞いたら俺も友達もどっちも間違いだったのもあったし。 

  

「いいじゃん、やれば」 

  

 蓮の後ろから近付いてきたのは東川だった。 

 彼女は笑顔で蓮の隣に立つと、彼を覗き込むようにしている。 

  

「……頭のいい夜空と沙織と一緒に答え合わせなんかしたら、それこそ俺の間違いが分かっちまう!」 

「そのうち返却されるんだから同じだろ」 

「その時までの猶予が、俺は欲しいんだよぉ!」 

  

 頭を抱える蓮を見るに、数学の出来に自信はないみたいだ。 

  

「ねえねえ夜空くん、数学Ⅱの最初の問題の答えなんだけど――」 

「沙織ぃ!!」 

「うそうそ、冗談だって」 

  

 あははっ、と可笑しそうに笑う東川と、必死の顔で彼女に詰め寄る蓮。 

 この二人はいつも通り面白いなと思っていると、蓮が「あぁ」と声を上げた。 

  

「そうだ、この後何人かと打ち上げでボウリングに行くんだけど、夜空もどうよ?」 

「あぁ……悪い、今日は遠慮しておくよ」 

「そっか、まあ試験最終日だし予定あるだろうからな」 

  

 そう言うと蓮は東川を連れて俺の席から離れていく。 

 去っていくときの二人の会話が、耳に届いた。 

  

「あーあ、今回は夜空君に勝ちたかったんだけどなぁ」 

「代わりに俺と勝負しようぜ、沙織」 

「蓮、あんまりボウリング得意じゃないじゃん」 

「うぐっ……」 

  

 蓮には悪いけど、打ち上げがボウリングなのは良かったかもしれない。 

 もしカラオケだったら嵐山さんと一緒に行ったカラオケ店で会うかもしれないし、そうなると彼女の機嫌が悪くなるのは目に見えているからだ。 

  

 鞄を持って教室を出る。 

 スマホを確認すると、RINEに嵐山さんからメッセージが来ていた。 

  

 場所は少し遠い駅の最寄りのカラオケ店。 

 この高校の奴らとカラオケに行ったことはあるけど、提示されたカラオケ店には行ったことがなかった。 

 つまりクラスメイトと会う可能性は皆無で、元より俺の心配は必要なかったってことだ。 

  

 苦笑いをして、俺は下駄箱へと向かった。 

  

  

  

 ◆◆◆ 

  

  

  

 家に帰って私服に着替えた俺は、嵐山さんと待ち合わせたカラオケ店へと向かう。 

 待ち合わせ時間よりもちょっとだけ早く駅に着いて念のためにカラオケ店の場所を確認しようと思って向かっていると、入口に人影が見えた。 

  

 そこには、私服に着替えた嵐山さんが立っていた。 

  

「嵐山さん、ごめん、待たせたかな」 

「別に」 

  

 小走りで近づいて声をかけると、嵐山さんはそっけなくだけど返事してくれた。 

 彼女はズボンにやや大きめのシャツを着て、その上から薄手のカーディガンを羽織っていた。 

 首に長めのネックレスを掛けているのがチャームポイントだけど、あれもV系のグッズなのかもしれない。 

  

 そんな学校の制服とは違う嵐山さんの姿を見て、俺は少しだけどぎまぎした。 

 いつもと違う格好なのもそうだけど、まるでデートみたいだと考えて、何考えているんだって自分にツッコミを入れる。 

  

 意識を切り替えるためにカラオケ店の方を見てみると、俺がクラスメイトと普段行っているカラオケ店とは異なる内装をしているみたいだった。 

 店が違うから当然かと思っていると、嵐山さんは先に店の入り口へと向かってしまう。 

 自動扉の奥に消える彼女を、急いで追いかけた。 

  

 嵐山さんはこの店の常連みたいで、慣れた動きで受付をしていた。 

 途中で時間を聞かれたときは俺の方を見てきたから「任せるよ」と伝えると、「じゃあ2時間で」と伝えていた。 

 このお店はドリンクバー制らしいから、店員さんにドリンクバーの場所を教えてもらうと同時に伝票を貰う。 

  

 嵐山さんの後を追ったけど、彼女はドリンクバーでアイスカフェオレを作っていた。 

 俺も適当な炭酸の飲み物をグラスに入れて、嵐山さんについていく。 

  

 たどり着いた部屋はやや広めの部屋で、2人で使うには十分すぎるくらいだった。 

 機種も最新の物みたいで、青やピンクとカラフルに光っている。 

  

 4月のカラオケでスマホを弄っていた嵐山さんはポケットからスマホを取り出したけど、それをテーブルの上に置いて、カラオケの曲を入れる機器に手を伸ばした。 

 今回は積極的に歌うんだなと思っていると、ふと顔を上げた嵐山さんと目が合う。 

  

「私から入れていい?」 

「うん、いいよ」 

「ん」 

  

 俺の言葉に彼女は再び視線を落として、指を動かす。 

 初めて嵐山さんの歌声を聞くっていうのもあるけど、女の子と二人きりっていう状況に、ちょっとドキドキしている自分がいた。 

  

 嵐山さんは歌いたい曲を見つけたようで、それを早速入れていた。 

 マイクを手に、立ち上がる彼女。そして部屋に流れ始めたのは、やっぱりV系の曲だった。 

 以前嵐山さんが教えてくれた、NEXT DOORSっていうバンドの楽曲だ。 

  

 いつもの無表情のまま、左手を小さく動かしてリズムをとる嵐山さん。 

 そして彼女の歌声が、部屋中に響き渡った。 

  

「……うまっ」 

  

 思わず呟いてしまうほど、その歌声に聞き惚れていた。 

 歌っている曲は初めは低く、そしてサビは高くなる曲だ。 

 女性である嵐山さんは低い部分には少し苦戦しているみたいだったけど、それでも上手いと思えた。 

  

 それになによりも、サビの高音に関しては完璧だった。 

 動画サイトで曲を聴いたことがあるのに、それとは全く違うように聴こえる。 

 それでも違和感はあまりなくて、真似をしているというよりも嵐山さんの曲だと思えるくらいに違っていて、そして魅せられていた。 

  

 すごい。 

  

 この言葉に尽きる。 

 カラオケが趣味っていうくらいだから上手いんだろうとは思っていたけど、想像をはるかに越えてくる。 

 めっちゃ上手い、と驚いて嵐山さんを見てしまったくらいだ。 

  

 あっ…… 

  

 目を向けてみれば、目を瞑って丁寧に歌い上げる嵐山さんの姿が目に映る。 

 見たことのない彼女の姿が動画サイトで見たライブ映像のアーティストの姿と被る。 

  

 やっぱり、カッコいい。 

  

 嵐山さんが一曲歌いきるまで、俺は全身全霊で彼女の歌声に耳を傾けて、そして彼女の歌う姿を目に焼き付けていた。 

 家でライブ映像を初めて見た時と同じような衝撃は、彼女が歌い終わるまで続いていた。 

  

「ふぅ……」 

  

 歌い終えてマイクを下げる嵐山さん。 

 彼女が俺の方を見て、そこでようやく我に返った。 

  

「す、すごいよ嵐山さん、ものすごく上手いし、それにとってもカッコよかった!」 

「……そう」 

「こ、こんなに上手い人、初めて見たよ!」 

「おおげさ……」 

  

 心のままに伝えたけど、嵐山さんにはそっけなく返されてしまう。 

 あれだけ上手いんだから、ひょっとしたら言われ慣れているのかもしれないな。 

  

「っていうか、次入れた?」 

「あっ、ごめんっ!」 

  

 嵐山さんに言われて、慌てて曲を入れ始める。 

 聞くことに夢中になっていて、入れるのを忘れていた。 

 俺は前から歌いたいと思っていたアーティストの曲を選んで、入れる。 

  

 選んだのは、もちろんV系の楽曲。 

 これを歌うためにカラオケに来たんだから、歌わなきゃ損だ。 

 嵐山さんもいつもの無表情だけど、モニターの画面を凝視している。 

  

 大丈夫、何度も聴いてきたんだから、きっと歌えるはずだ。 

 そう言い聞かせて、俺はマイクを持ち上げて息を大きく吸った。 

  

  

  

 ◆◆◆ 

  

  

  

「…………」 

  

 約30分後、俺はうな垂れていた。 

 最初に入れたV系の曲は、あれだけ聴いていたのに、全然思ったように歌えなかった。 

  

 音程は合わせられないし、高音は全然でない。 

 あまりの歌えなさに、1番を歌い終わるころには冷や汗が止まらなかった。 

 今までカラオケに来たことは何度かある、でも今まで歌ったどの曲よりも難しいと思えた。 

  

 唯一助かったのは、嵐山さんが何も言わないでいてくれたことだ。 

 彼女は何も言わずに自分の曲を入れてくれた。それが嬉しかったけど、逆に少し辛くもあった。 

  

 2曲目、3曲目、知っている限りの曲を入れても、俺は満足に歌えない。 

 あれだけ聴いてあれだけしっかり覚えたのに、自分の頭の中では歌えているつもりなのに、声が出ない。 

 それが嫌で嫌で、悔しかった。 

  

「~~♪ っ! ごほっ、ごほっ!」 

  

 そして4曲目を歌ったとき、途中までは良い感じだったのに、サビのところで限界が来て咳き込んでしまった。 

 喉が変な感じで、少し気持ち悪い。 

 こんな風になったのは、初めてだった。 

  

 それでも歌い続けようとマイクを口に向けようとしたとき、俺の腕を誰かが取った。 

 驚いて目を向けてみれば、立ち上がった嵐山さんが俺の手を掴んでいた。 

 まっすぐに視線からは何も読み取れないけど、嫌な予感がした。 

  

 彼女は手を離すと、カラオケの機種本体に指で触れる。 

 押したボタンが「演奏停止」の赤色のボタンであるのが、よく見えた。 

  

 あれほど盛り上がってた部屋の音が急に消えていく。 

 音のなくなった空間で、嵐山さんの声がやけに大きく響いた。 

  

「これ以上はダメ」 

「ま、待って嵐山さん……俺は……まだ――」 

  

 声が枯れているのは自分でも分かっているけど、まだ時間は30分程度しか経っていない。 

 こんなので嵐山さんとのカラオケが終わりになるなんて、嫌だった。 

 だけど。 

  

「何度も言わせないで、ダメなものはダメ」 

「あっ……」 

  

 嵐山さんの言葉に、俺はゆっくりとマイクを持つ手を下ろした。 

 自分が、やけにちっぽけに思えた。 

  

 カラオケに来たいって自分から言って、それでいて満足に歌えなくて、しかも嵐山さんに気を使わせちゃうなんて何やっているんだろう、と思った。 

  

「……帰ろう」 

「…………」 

  

 俺が歌えないなら彼女も歌うつもりがないのか、嵐山さんは帰りの支度を始める。 

 彼女の優しさを感じたけど、それと同時にとても申し訳ない気持ちになった。 

 嵐山さんだって、もっと歌いたかったはずなのに。 

  

 心を痛めながら、俺も帰りの支度をする。 

 そして何も言わずに部屋を出た嵐山さんを、俯きながら追いかけた。 

  

 受付に行き、嵐山さんは伝票を置いた。 

  

「まだお時間ありますが、よろしいですか」 

「はい」 

  

 店員さんの言葉に、酷く悲しい気持ちになる。 

 表示された金額を見て、どうせなら全額出そうと思ったけど、嵐山さんは素早く口を開いた。 

  

「二人に分けてもらってもいいですか?」 

「はい」 

  

 嵐山さん、そして俺と料金の支払いを終えて、出口へと向かう。 

 カラオケ店を出ても当然まだ日は登ったままで、赤くもなっていなかった。 

  

「……V系の楽曲は難しいから、最初は満足に歌えないこともあると思う。でも無理して歌うと良くないって聴いた……」 

「うん、いや、そうなんだと思う……ありがとう」 

  

 止めてくれた嵐山さんにお礼を言って、胸の前で拳を作る。 

 色々な感情が出てくるけど、一番大きいのは悔しいっていう気持ちだった。 

 それに、何とかして歌えなかった曲を歌えるようになりたい……そう強く思った。 

  

 だから。 

  

「嵐山さん……俺、練習するよ。しっかり歌えるように、嵐山さんみたいに気持ちよく歌えるように、練習する」 

「…………」 

  

 嵐山さんは何も言わなかったけど、少しだけ驚いているようだった。 

 その証拠に、少しだけ目を見開いている。 

  

「だから……歌いきれる自信がついたら、また一緒にカラオケに行って欲しい。次はきちんと時間いっぱいまで、二人で楽しもう」 

  

 今回はダメだったけど、次こそは絶対に嵐山さんと楽しみたい。 

 そう心に決めて、彼女に訴えた。 

  

「いいよ」 

  

 そしてそれに、嵐山さんは答えてくれた。 

 少しだけ口角を上げて、受け入れてくれた。 

  

「だけど無理はしないでね……じゃあ私、こっちだから。じゃあね」 

「あ、うん」 

  

 小さく手を挙げて、嵐山さんは去っていく。 

 せっかくのカラオケもまるで楽しめなかったのに、それをまったく気にしていないようだった。 

  

「……次は……必ず……」 

  

 そう枯れた声で呟いて、俺は駅へと向かう。 

 止めてくれて、そして次のチャンスをくれた嵐山さんに感謝しながら。 

 次は絶対に歌いきってやると、そう心に強く誓いながら。 

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