第10話 この喜びを共有できる、唯一の人

 7月、暑さにうんざりするほどで、クラスメイトたちも汗をかきながらノートで扇いでいることも多い季節だ。 

 俺も同じように暑いのは苦手だしうんざりするけど、それはそれとしてもう一つ気にしていることがあった。 

  

 足りないのである 

  

 何が足りないのか……それは単純に、V系について話す時間である。 

 この音楽のこのフレーズが良いよね! とか、この歌詞、共感したわー! と語り合えない。 

  

 いや、語り合う相手は居るんだけど、一人は一週間に一回しか会わない+授業が大半になる風見先生だし、もう一人の嵐山さんとは週に一回か二回しか話す機会がないわけで。 

 つまり俺は今、絶賛V系語りロスの最中なのである。 

  

 だからある日の放課後、俺はこのロスを解消してくれる唯一の人物に頭を下げていた。いやもう、頭を下げるしかなかったのである。 

  

「頼むよ嵐山さん! もう少し会う機会を増やしてくれないかな……もっと……もっとV系について語り合いたいんだ!」 

「……は?」 

  

 絶対零度の視線を向けてくるのは、この暑い中でも制服の上から学校指定のジャージを着ている嵐山さんだ。 

 この暑い中あんなの着て暑くないのか、と思うけど、汗をかいている様子は一切なかった。体温バグってない……? 

  

 塾の風見先生との授業を増やすのは無理だし、クラスメイトにはV系について話せる人が彼女を除いてほかに居ない。 

 つまり俺のこの伝えたい気持ちを何とかできるのは、俺の回りには彼女しか居ないわけだ。 

 だから頭を下げて頼んでいるんだけど、嵐山さんは相変わらず校舎の壁に背を預けながらじっと俺を見るだけだ。 

  

 頭を下げていると、少ししてから嵐山さんが口を開いた。 

  

「……そもそも、そっちが無理でしょ。藤堂や東川はどうするの?」 

「う、うん、放課後は無理なんだ……」 

「じゃあ無理じゃん」 

  

 嵐山さんの言う通り、放課後に彼女と会わないときは蓮や東川と一緒に帰ったりしている。 

 流石にこれ以上放課後に会う時間を増やせば、二人に怪しまれるだろう。 

 注目を浴びるのを嵐山さんは望んでいないから、なるべく周りにバレないようにするっていうのは、俺の中での暗黙のルールになっていた。 

  

 正直蓮に関しては何となく察している気もするけど。 

 どちらにせよ、放課後はこれ以上増やせない。だから。 

  

「だ、だから……昼休み……とか、どうかな?」 

「……は?」 

  

 ちょっとだけ顔を上げて様子を伺ってみれば、相変わらずの絶対零度の視線が俺に突き刺さっていた。 

 ちょっと怖いけど、俺も引けない。この気持ちを共有できる相手が出来るなら、その時間が増えるなら、なりふり構ってられない。 

  

「放課後会わない日に、たまにでいいんだ……ダメ……かな? もちろん場所は嵐山さんが好きに決めてくれていいし、クラスメイトにはバレないようにする」 

「…………」 

「頼むよ、もっと嵐山さんとV系について話したいんだ!」 

  

 正直に心を打ち明けて、もう一度顔を地面に向ける。 

  

「…………」 

  

 けど、嵐山さんは何も言わなかった。 

 やっぱり放課後にこうして会って貰っているだけでも彼女としては十分なんだろう。 

 これ以上彼女に頼むのは辞めるべきなのかもしれない、そう思って口を開く。 

  

「……ごめん、やっぱり忘れて。これ以上嵐山さんの時間を――」 

「場所はここでいい?」 

「……え?」 

  

 思わず顔を上げると、嵐山さんと目が合った。 

 いつもの無表情に冷たい視線だけど、不機嫌な雰囲気ではなさそうに見える。 

 これは……受け入れてもらえたのだろうか……受け入れてもらえたん……だよな? 

  

 それを理解して、俺の中で喜びが湧き溢れてくる。 

 やった、これで嵐山さんとV系について話せる時間が増えるぞ! 

  

「う、うん、ここで……ここでいい!」 

「ん」 

  

 喜びに耐え切れなくなって少し大きな声になってしまったけど、嵐山さんは短く答えてポケットに手を入れる。 

 出てきたのは、ストラップがいくつかついたスマホだった。 

 彼女はそれを操作して、俺に差し出してくる。 

  

「え……っと?」 

  

 嵐山さんの意図が分からなくて思わず聞き返すと、彼女は表情を少しも変えることなく言った。 

  

「連絡先……昼休みも会うなら、念のために交換した方が良いでしょ?」 

「あ、ああ……」 

  

 ようやく嵐山さんの言いたいことが分かって、俺もスマホを取り出す。 

 すぐにRINEを起動して、嵐山さんのスマホに表示されたQRコードを読み取った。 

 表示されたのは、どこかイケてるアイコンの嵐山さんの連絡先。 

  

 それを「友達」に追加してスタンプを送る。 

 同じように嵐山さんからもスタンプが送り返されたのを見て、お互いに連絡先が共有されたことを知った。 

  

「…………」 

  

 ちょっと気になって、俺は嵐山さんのアイコンをタップする。 

 アイコンが大きくなってイラスト? が表示される。 

 これは……なんだろう? なんのイラストなんだろうか? カッコいいようには思えるけど……。 

  

「嵐山さん、嵐山さんのRINEのアイコンのイラスト……これ何?」 

「私の一番好きな曲のジャケット」 

「え!? なんていう曲名なの!?」 

「RINEのミュージックに指定してるから、右上とかに表示されてない?」 

  

 嵐山さんの言葉を聞いて左上を見てみる。 

 すると白文字で、「ENDLESS / LOST STARDUST」と書かれていた。 

「ENDLES」が曲名で、「LOST STARDUST」がアーティスト名かな? 

  

「……これもV系?」 

「そう。かなり昔で、今はもう解散しちゃってるけど」 

「へぇ……今度聴いてみるよ」 

「そう」 

  

 静かにそう言う嵐山さんの声を聞いて、俺は自分のスマホをポケットに戻した。 

 彼女はいつも通りの無表情で、ただ俺をじっと見ていた。 

  

  

  

 ◆◆◆ 

  

  

  

 翌日、俺は昼休みになって少しだけ時間を置いてから教室を後にした。 

 昼休みは適当に過ごすことが多くて、蓮と食べることもあれば、クラスメイトの誰かと食べることもある。 

 もちろん一人で学食に食べに行くことだって、気分転換に外で食べることだってある。 

 だから俺が一人で行動していても、疑問に思うような人はいないだろう。 

  

 コンビニで購入したパンの入ったビニール袋を片手に、チラチラ周りを気にしながら校舎を歩く。 

 校舎の外に出て、裏へと回れば、人の気配のない静かな場所へと入っていく。 

 7月に入ったばかりだけど暑くて、蝉の鳴き声がよく聞こえた。 

  

 草木の生い茂る道を進めば、いつも放課後に待ち合わせている場所に出る。 

 そこには鍵の閉まった裏口の前に腰を下ろしたジャージ姿の嵐山さんがいた。 

  

「嵐山さん」 

「ん」 

  

 いつものように軽い挨拶を交わして、俺は彼女の横に腰を下ろした。 

 俺の昼食は買ったパンだけど、嵐山さんが持参していたのはお弁当だった。 

 意外なことではあるけど、彼女はたまにお弁当を持ってきて食べているから、ひょっとしたら料理が出来るのかもしれない。 

  

「あ、そうだ嵐山さん、ENDLESS、聞いたよ」 

「…………」 

「あれも良い音楽だった……最初は世界に絶望しているちょっと泣きそうな歌声なのに、最後はそれでも前を向いて生きていこうっていうことを力強く歌っていて……俺、最初に聞いたときから惹きこまれちゃったよ。なんかメッセージ性がある曲っていいなって、そう思ったよ」 

「……そう」 

  

 そっけない返事をしてお弁当のおかずを口に運ぶ嵐山さん。 

 いつも通りの短い返事だけど、俺の言葉に耳を傾けてくれているのだけは分かった。 

 聞いてくれるなら、それだけで十分だ。 

  

「でも動画サイトで見てみたけど、再生数はあんまりだったね……すっごく良い曲だからもっと再生されても良いと思うんだけど……」 

「ENDLESSは有名曲じゃないから」 

「うーん……でもそういう有名じゃない曲の中にもやっぱり良いなって思う曲はあるんだよねぇ。それを発掘する喜びに目覚めちゃいそうだよ」 

「発掘しているのはどっちかと言うと私なんだけど」 

「いや本当、嵐山さんにはめっちゃ感謝してます」 

  

 俺の感謝の言葉に嵐山さんは何も言わないけど、少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がする。 

 お弁当を食べながら遠くに目線を投げかけているけど、耳は俺の方を向いてくれているみたいだった。 

  

「昨日も言ったけど最近はライブの映像にもはまってるんだ。ライブでの歌い方はCDや普通の曲の動画とは違うけど、それはそれでまた味があって良いなって思ってさ。 

 昨日は昨日で麒麟のライブ映像を見たりしたよ……そのおかげでちょっと寝不足なんだけどね」 

「武道館ライブで、観客を煽るときの麒麟は最高」 

「やっぱりそうだよね!? 曲のラストのサビ前でのあの盛り上がり、すっごく良いんだよね……会場が一体化していくっていうかさ……もう解散しているっていうのが、信じられないよ……」 

  

 基本的に短い返事の嵐山さんだけど、時折俺の欲しい言葉を言ってくれる。 

 今なんてまさにそうで、あの言葉はじっくりとライブを見ていないと出てこないものだった。 

 自分がはまっているものを共有できるのがこんなに素晴らしいことだとは、思っていなかったな。 

  

 嵐山さんの方を見ながら話していたからちょっとだけ気になって、俺は聞いた。 

  

「ねえ、嵐山さんが髪を染めたりピアスをしたりしているのって、V系の影響……ってことだよね?」 

「…………」 

  

 嵐山さんをきっかけにV系を知ってから、ずっと気になっていた事だった。 

 皆が怖がる嵐山さんの恰好は、V系を意識しての事なんじゃないかなって。 

 ただ皆は世代的にV系を知らないから、嵐山さんを怖がっているだけなんじゃないかって。 

  

 俺の質問に嵐山さんは少しの間黙っていたけど、やがて箸を膝の上の弁当箱の上に置いて、小さく口を開いた。 

  

「……うん」 

  

 それは酷く小さくて力のない答えだったけど、彼女は肯定してくれた。 

 やっぱりそうだったんだって、俺は内心で嬉しくなった。 

  

「やっぱりっ! そうだよね、嵐山さんの恰好、すごくカッコいいから!」 

「……は?」 

「ん?」 

  

 気持ちを正直に言ったのに、嵐山さんは弾けるように顔を上げて俺を見て声を上げた。 

 その反応が予想外で、俺も聞き返してしまう。 

 というか、嵐山さんの驚くような表情、初めて見たな、なんてことを思った。 

  

 彼女は俺を信じられないものを見るような目で見て……ゆっくりと口を開く。 

  

「……変だって、思わないの?」 

「え? んー? いや最初はちょっと怖いと思ってたけど、V系を知った今だとやっぱりカッコいいって思うかな。 

 俺はピアス開けるとかは怖くてできないし、髪を染めるにしても茶髪にしたいかなってくらいしか思ってないけど、でも……見ててカッコいいって思ってたんだ。 

 だから嵐山さんの事も、今はカッコいいって思うよ」 

「…………」 

  

 自分で恰好を真似したいとは思わなかったけど、画面の向こうで髪を染めてメイクをして、ピアスをして、音楽を奏でる彼らの事はカッコいいなってずっと思ってた。 

 だから嵐山さんがそれと同じだと思ったときに、彼女に対するイメージが怖いからカッコいいに少しずつ変わってきたんだ。 

 けど嵐山さんは半信半疑みたいで、俺を訝しげな瞳でじっと見てくる。 

  

「……でも、私みたいな格好している女子高生、他に居ないよ?」 

「それが良いんじゃないか。ライブの映像では観客に同じような格好の女の人はいたけど、俺の知る限り同じ年では嵐山さんだけだし、だから余計にカッコいいなって思うんだよ」 

「私が……カッコ……いい……」 

  

 目を丸くする嵐山さんに頷いて、俺は笑った。 

  

「俺にとって嵐山さんはV系について教えてくれる先生で、とってもカッコいい人だよ。俺、嵐山さんと知り合えて本当に良かった。こんなに嵌れる世界を知るきっかけになったんだから」 

「…………」 

  

 嵐山さんはすぐには返事をしなかったけど、俺と目を合わせて少ししてから。 

  

「……そう」 

  

 その一言と彼女の表情に、驚いた。 

 初めて見た、と心の中で呟いた。 

 今まで雰囲気が柔らかくなったり、喜んでいるのかな? と感じることはあった。 

  

 でも彼女の口角が上がっているのを見たのは、初めてだった。 

  

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