第21話 オットーの報告
扉には逆さ十字がはめられ、本物の人間の頭蓋骨がかかっている。実に悪魔らしいが、悪魔界の法の外にいるボスのような人種しか使わない悪趣味なものだ。オットーは部下の守衛にボディチェックをされ、重厚な木製の扉を押し開いた。内部は、まるで時が止まったかのような中世の貴族の館を思わせる造りだった。
薄暗い玄関ホールには、燭台の炎が揺らめき、壁には等身大の肖像画が並ぶ。相当なナルシストであることが一目でわかる。それらの目が、監視カメラの働きをしている。オットーは目をあわせないようにうつむいて足早に過ぎた。床には血のように赤い絨毯が敷き詰められ、足音を吸い込んでいく。
階段を上がると、廊下の両側には甲冑が立ち並び、まるで今にも動き出しそうな錯覚を覚えるが、実際に動く。魔力を帯びた自動人形だ。ボスを狙うものを襲う。オットーは喉の渇きを感じながら、ボスの書斎へと向かった。
ノックの音が響く。低い声で「入れ」という返事が聞こえ、オットーはゆっくりとドアを開いた。アタッシュケースを握る手に、わずかな汗が滲む。
書斎内部は、さらに陰鬱な雰囲気に包まれていた。天井まで届く本棚には、古びた魔道書が並び、その間には珍しい魔獣のホルマリン漬けの標本が飾られている。オットーは自分が標本になることを想像してぞっとした。暖炉には青白い炎が燃え、部屋に不気味な光を投げかけていた。
巨大な机の向こうに、ボスの姿があった。高背の椅子に腰かけ、影に半分顔を隠している。机の上には、人間の骨で作られたペン立てが置かれ、その隣には赤ワインの入ったグラスが、はたまた血液か。
「待っていたぞ、オットー。報告だな」
ボスの声が静かに響いた。椅子を回転させ、振り向いたボスは眼帯をしている。かつて軍人で大将として軍隊を率いていた時代、天使大戦の際、天使を矢によって目を射抜かれたためだ。聖なる力ゆえ、悪魔の力でさえ完全に治癒することができなかった。
「はい、上々です。都合の良い人間の協力者を見つけまして……なんと神父なのです、滑稽ですよね」
「悪に手を染めた聖職者か。人間の心は複雑だ。ゆえに魂は美味」
オットーはアタッシュケースを開け、宝石に封じられた魂をボスの前に並べ始めた。ルビーやサファイア、そしてダイヤモンド。それぞれが不思議な光を放っている。そのひとつひとつに人間の魂が閉じ込められている、性質により宝石の質が決まる。
「見事なコレクションだ……」
ボスが宝石に手を伸ばす。目の前に持っていき、輝きに目を細める。
「これだけの純粋な魂があれば……」
「はい、堕天使への道も、そう遠くはありません」
ボスは満足げに頷き、宝石のひとつを長い舌を出すと、そこに乗せ、飲み込んだ。
瞬間、彼の体が強張る。喉から胸へ、そして全身へと、灼熱の波が広がっていく。ボスの顔が歪み、痛みと快感が入り混じった恍惚の表情を浮かべる。彼の皮膚の下で、青白い光の筋が走り、血管のように浮き上がる。
「ぐっ……」
ボスが喉を鳴らす。その声は悪魔のものとも思えないほど不気味だ。突然、彼の背中から何かが膨らみ始める。布地を裂く音とともに、黒く光沢のある羽が現れ、ゆっくりと広がる。羽の先端は鋭く、まるで刃物のようだ。
ボスの顔つきが変わる。頬の骨が突き出し、顎がより鋭くなる。唇が薄くなり、その下からは鋭い牙が覗く。
「ふっ、天使どもに対抗する力だ。こんなすばらしいもの奴らは独占している。それももう終わりだ」
彼は痛みが疼くかのように眼帯を抑えた。眼帯の下から、青白い光が漏れ出す。ボスがゆっくりと眼帯を外すと、そこには燃えるような金色の瞳があった。かつての傷跡は消え、視力が戻る。
「見たか、オットー。これが魂の力だ。おまえの望み通り、研究所と部下をつけてやろう。おまえも私と共に新しい時代を作るのだ!」
ボスの声は以前より若さと深みを増し、部屋中に響き渡る。彼の周りには、目に見えない力場が広がり、空気そのものが震えているかのようだ。
「続けろ。もっと多くの魂を。我々の目的のために」
オットーは畏怖の念を抑えきれず、小さく頷いた。彼の目の前で、ボスが徐々に堕天使へと変貌していく様を、恐れと興奮の入り混じった感情で見つめていた。
(この私が魂を取り込めば、ボスを倒せるだろうか?いいや、オットー、やめておけ。悪魔とて身分不相応という考えはあるのだから……)
オットーは実に落ち着いた表情でボスの館を後にしたが、周りに誰もいないと気づくと、静かにガッツポーズをした。そして大きな笑みを浮かべて、笑いをこらえた。
「どうだ、私を認めなかったリッツェンシュタイン製薬の愚かな社長め!」
オットーの脳裏に過去の記憶が蘇る。
豪華な役員室。窓際に立つリッツェンシュタイン社長の背中。
「オットー君、君の研究は確かに興味深い」
「それでは!」
「しかし……」
「しかし、なんでしょう?」
社長は振り返り、冷ややかな目で答えた。
「倫理的に問題がある。それに、リスクが高すぎる。大戦以降、我々悪魔界でもコンプライアンスが遵守されるようになっただろう」
「でも、成功すれば画期的な薬に……」
オットーは腰を低くして、取りすがった。
「いいや、我が社はそんな危険な賭けはしない。君の才能は認めるが、この研究は中止だ。それに君は勝手にわが社の資材を使い、私的研究をしていた、これは問題行為だよ。しばらく、違う部署で働いてもらう」
「……そんな!」
しかし、社長はもうオットーに興味がないかのように、部屋の外に来ていた娘のノーラに笑顔を向けている。オットーはすれ違うノーラを睨みつけ、社長室を後にした。
「必ず、あの男を見返してやる。私の研究が正しかったと証明してみせる。それにあの娘、エレオノーラといったか。人間界にいるようじゃないか、彼女になにかあれば、あいつは……」
オットーは笑いを抑えられず、大笑いした。その声は悪魔界の夜空に響いた。
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