第6話 どっちかがお前のことを好きなんだろ

 *


「かなり強引にいったんだな」と、話を聞いた文弥ふみやは驚いていた。

「自分でもそう思う」と、暁斗あきとはベッドの上で転がっている猫のムギの喉を撫でながら答えた。


 唯花と会った四日後、遊びに来た文弥にあの日のことを詳しく話した。もちろん唯花に口止めされた母親が古典の先生だったことや、講習最終日に二人で帰ったことは話していないし、唯花がホラー映画を観ることも話していない。


「オレの人脈と情報網を駆使して須田さんのことを聞いたんだ」と文弥は得意げに言いながらコーラを飲む。

「少なくとも、知る限り、須田さんに彼氏はいない」

「それは本人も言ってたって」

「次。オレらの高校に須田さんと同じ中学のやつもいない」

「まあ、高山に住んでいてこの高校には来ないよな」

「そうだな」


 情報網を駆使しても、大して得られるものはないじゃんと暁斗は思ったが口にはしなかった。


「結局は自分で情報を得ていくしかないよな。連絡先は本人から教わったんだし。会ったあと、連絡したのか?」

 文弥が楽しそうに言うので妙にムカついた。

「あんなに躊躇されて出来るかよ」


 そう言いながら、そのうち連絡したいとは思っていた。唯花が勧めてくれた参考書は分かりやすくて、あんなにとっつきにくかった古典が面白いと思えていたからだ。

 あの日の唯花の顔が浮かんでくる。


「須田さんの、あの質問だけが分からねぇ」

「ああ、彼女と誕生日ね。あれは須田さんか土屋さんか、どっちかがお前のことを好きなんだろ」

「土屋さん?」

「その可能性はあるだろ。友達が好きな相手のことを知るために情報を聞き出す。あるあるだろ。オレらもやったろ」

「……」


 確かに真琴にいろいろ聞いてしまったことを思い出す。押し黙った暁斗を見て、文弥は苦笑する。


「もうひとつ、ふたりともお前を好きかもしれないっていう可能性もある」

「は?」

「イケメンは辛いねえ」と、文弥は茶化しながらムギのお腹を撫で回し囓られていた。

「ま、連絡先知ったんだから。夏休み中にもう一度くらい連絡してみれば? もともと休み中にやる古典課題も出てることだし」

「ああ、そうだな」

「で、オレにも回答教えて」

「教えない」

「おまえ、急に性格悪くなったな」


 そう言いながら楽しそうにムギのお腹にさらにちょっかいを出し攻撃を受けている文弥は、ポイントを突いていると暁斗は感心していた。何人もの女子と付き合っているだけのことはある。


 *


 暁斗と会ったことを電話で真琴に話すと、案の定すごく羨ましがっていた。偶然会ったことを強調し、暁斗の誕生日を教えた。


「十一月かぁ。修学旅行のあとすぐだね」

「プレゼントあげてみたら? あ、でもその前に修学旅行で話が出来るようになるのが先かな。彼女は居ないって言ってたよ」

「黒木くん、モテそうなのにな。意外」

「モテることは否定してなかった気がする」

「やっぱり」と、真琴は楽しそうに笑う。


「唯花、毎日塾に行ってるの?」

「うん。お盆時期の三日間は休みになるけどね。そのときはお婆ちゃんの家に行ってくる」

「長野だったっけ」

「そう。松本」

「講習終わってから会えてないでしょー。寂しいな」

果穂かほとは出かけてるんでしょ?」

「うん。果穂も三人じゃないとつまらないって言ってるよ。果穂なんて講習受けてなかったから、唯花とずっと会ってないもんね」

「私も寂しいけど、二学期に会えるの楽しみにしてるって伝えておいて」

「うん。勉強頑張ってね」

「ありがと。ごめんね。親が厳しいからさ。でも頑張る」


 通話の終了ボタンを押して、唯花は机の上に置いていた麦茶を一口飲んだ。

 今のクラスで仲良くしている真琴と果穂。高校を卒業したら交流するつもりはないのに……こんな自分を友達だと思ってくれていて申し訳ない気持ちになる。


 親が厳しいから勉強しているなんて嘘。でもそれを言い訳に、塾があるから遊べないと伝えてある。そんなに厳しいなら、なぜこの高校に来たのだろうと、真琴も内心は思っているかもしれない。それでもかまわない。


 唯花は電話帳を操作して、『おばあちゃん』と書かれた項目をタップする。呼び出し音が鳴り、しばらくすると祖母、サトの「もしもし」と言う声が聞こえた。


「唯花だよ」

「元気? 毎日頑張ってる?」

「うん。バッチリ。予定通り十二日に行くね。その前に荷物送るので受け取ってて」

「唯花の部屋に入れておくから大丈夫よ。二泊出来るんでしょ?」

「うん。大丈夫。楽しみにしてるね」

「気をつけておいでね。お昼御飯用意しておくから。お爺ちゃんも楽しみにしてるよ」

「ふふ。お爺ちゃんにもよろしく。駅に着いたら連絡するね」


 電話を切り、唯花は立ち上がると、部屋の隅に置いていた段ボールを組み立て始めた。


 この部屋の荷物は少しずつ祖母たちの家に送っている。本当なら中学三年からは祖母たちの家で暮らすはずだったのだ。それなのに、まだ私は此処に居る……いや、居なくちゃいけない。


 唯花は下唇をぎゅっと噛みしめてクローゼットを開けた。今は使わないが捨てられない本や参考書を段ボールに詰め始め、ふと手が止まった。


 暁斗は選んだ参考書を活用しているだろうか。

 あの日別れてから暁斗からの連絡はない。すぐに連絡が来るだろうと思っていたので拍子抜けしていた。あれだけ連絡先を知りたがっていたのに。暁斗にとっては、たくさんある女子の連絡先のひとつくらいの感覚なのだろうか。


 そう思うと、それはそれで腹立たしい。

 なんで私がこんなふうに思わなくちゃいけないのよ。そんなことを思ってしまう自分にも腹が立った。


 祖父母の家に行く日の朝、父の剛は唯花にお土産代として二万円渡してきたので素直に受け取った。貰えるものは貰っておく。

 母の素子が「気をつけて行ってらっしゃい」と言った言葉は無視して唯花は家を出た。


 甲府まで出て、そこから特急に乗る。窓側の指定席を予約していたので、読書をしながらたまに車窓からの景色を眺めていた。


 鞄に入れていたスマホが振動するのを感じた。祖母からだろうかと確認すると、暁斗からのメッセージだった。ドキンと胸が鳴った自分に戸惑いながらもメッセージを読む。


『こんにちは。あの日は参考書を選んでくれてありがとう。あれから勉強してて、まじで役に立ってます。他の教科の参考書もアドバイスもらえると助かります』


 そっか、ちゃんと使ってくれてるんだ。それが分かるとじんわりと胸の奥が温かくなった。微笑みながらそのメッセージを何度か読み返し、


『気になっていたの。役に立っているようで良かった』

 そう書いて送信すると、既読が付いた。

『すぐに報告出来なくてごめん。実際に使ってみてから返事をしようと思ってた』

『ありがとう。そのほうがちゃんと活用してくれてるって分かって嬉しい』

『今日も塾?』

『お盆休み。今から祖父母の家に行くの』

『家は何処にあるの?』

『松本』

『帰ってきたらまた塾だろうから、楽しんできて』

『ありがとう』

『他の教科の参考書の件も前向きに考えて貰えると助かります』


 唯花はメッセージをしばらく眺めた。

 暁斗は本気で勉強に力を入れようとしているのだろうか。それとも会う口実だろうか──


 きっと本当に参考書は欲しいのだろう。唯花は喫茶店で話をしていた暁斗の顔を思い出す。


『十四日は何をしてますか?』

 とメッセージを入れると、すぐに既読になる。

『とくに予定なし』

『その日の午後、甲府駅まで出てこられるなら、参考書選びに付き合います』

『ありがとう! 行きます!』

『じゃあ、また連絡します』

『ありがとう』

 感謝を表すスタンプが送信されてきたのを見て、唯花は微笑んだ。


 私は何をしているのだろう。

 スマホを鞄にしまいながら唯花は自分に問いかけた。この街の人とはいずれ縁を切るつもりなのに。ましてや暁斗は真琴が好きな人なのに。


 でも──楽しかったのだ。あの日、暁斗との会話が。

 お盆が終わればまた塾が始まるから、自由な時間はこの日しかない。二人で会うのはこれが最後、と思いながら、唯花は読みかけの本を開いた。

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