第3話 古い校舎は怖くて嫌

 その翌日からは真琴は明らかに暁斗と文弥を意識していた。話しかけてくれば? と唯花が言うと、それは無理としおらしくなるあたりが可愛らしい。


 図書室にまで来て真琴に話しかけたのだから、文弥たちが真琴のところに来れば良いのにと思いながら唯花がふたりの男子生徒を見ると、文弥はニコっと微笑むが暁斗は視線を逸らす。男子の考えていることは分からない。


 唯花が日本史の講習を受けているあいだ、真琴は図書室で課題をやっているが、もう二人が現れることはないそうだ。図書室の司書さんに注意されちゃったからじゃない? と唯花は言ったが、真琴は明らかに落胆している。また来てくれると思っていたようだ。


 最終日を迎え、日本史の講習に行く前、席を立ちながら唯花は暁斗と文弥に目を向けた。最初に暁斗と目が合ったが、いつものように暁斗は目を逸らす。文弥が気づいてニコっと微笑んできた。それきりだ。


 真琴をからかったのだとしたら、ちょっとムカつくわ、と思いながら「じゃ、またあとでね」と真琴に声を掛け教室を出た。


 *


「ほんとにイイのかよ。今日で終わりだぞ」

 バス停前のファストフード店でハンバーガーを頬張りながら文弥が暁斗に聞いた。

「いいんだよ」

「さっきだって須田さん、こっち見ていただろ。話しかけられるの待っていたんじゃないか?」

「──」


 真琴に図書室で声を掛けた翌日から、唯花は明らかにこちらを意識しているとは暁斗も感じていた。真琴にいろいろ聞かされたに違いない。でも意識の対象が暁斗なのか文弥なのかは分からない。もしも文弥だとしたら、きっと落ち込む自分が居る。

 答えない暁斗を見て文弥が小さく溜息をついた。


「まあ、顔なじみにはなったことだし、夏休みが終われば修学旅行もあるし。チャンスはまだあるってことだ。暁斗は自分から好きにならないと駄目っぽいしな。ちょっとは勇気だせよ。そんなんじゃ、いつまでも彼女出来ないぞ」

「分かってるよ」


 そりゃ彼女はほしい。でもその相手は大事に思える人がいい。自分にとって唯花は大事に思える存在だろうか。まだ分からない。あまりにも知らなすぎる──そう思って、知ろうとしていない自分にも気づく。話しかけなければ、唯花のことは分からない。


「分かってるよ」と、もう一度小さく暁斗は呟いた。

「おい、あれ。土屋さん」 


 ガラス越しに外を指さしながら文弥が言う、振り返り外を見ると確かに真琴だけが歩いてきている。


「須田さんはどうしたんだろう。オレちょっと聞いてくるよ」

「おい、やめておけって」


 暁斗の言葉を聞かず、文弥は店の外に出て真琴を呼び止めている。真琴は一瞬驚いたようだったが、そのあとは普通に文弥の問いかけに答えているようだ。あれじゃ唯花に興味があるのが文弥と思われるのではないだろうか。


 しばらくすると真琴はJR駅のほうに歩き出し、文弥が戻ってきた。文弥の行動になかば呆れつつ、何を話していたのかは気になって仕方ない。


「日本史の講習のあと、鈴木と個人面談だってさ。須田さんたち、一年の時の担任が鈴木だったんだって。須田さんはそのときから鈴木にかなり目をかけられてて、彼女も進路の相談をよくしてるんだってさ」

「一年のときから進路相談?」

「すげーよな。早すぎ。で、なんでこんな遠い高校に来たんだろうねって聞いた」

「そしたら?」

「校舎が綺麗だからって」

「まじでそれだけ?」

「須田さんちから通いやすい高校はE高じゃん。あそこ確かに偏差値高いけど、めっちゃ校舎古いよな。古い校舎は怖くて嫌だったんだってさ。理由が可愛いよな」


 その理由には違和感を覚える。あの暁斗を見るときの凜とした表情は、お化けの類いなど怖がりそうにないのに。それに高山から電車に乗れば十五分程で甲府に出られる。そこならいくらでもレベルが高くて綺麗な高校もあるだろう。県内では一番新しいとはいえ、何を好んで県境の辺鄙な高校を受験する必要があるのだ。


「高校生活楽しむなら、綺麗な校舎の方が居心地よさそうだからって話してたらしいぞ。オレ思わず須田さんって可愛いんだねって言っちゃったよ。あれ誤解される発言だったな。すまん」

「──」

 明らかに誤解されたと思う。


「きっとさ、もともと頭いいのにこの高校に来ちゃったから内心は慌ててて、それで一年から進路相談してるのかもな。大学はそれなりのところに行きたいんじゃないか?」

 そうなのかもしれない。きっと唯花は偏差値の高い大学を目指しているだろう。自分はどうだろう。とくにやりたいことがあるわけでもない。そんな自分が唯花に釣り合うとは思えなかった。

 文弥のスマホが鳴る。


「あ、やべ。エミだ」

「早く行ってやれよ」

「悪い。じゃ、またな」

「ああ」


 文弥は慌てて鞄を抱えるとスマホを耳にあて「今から行く」と電話の相手に話している。去年の学祭に来た他校の女子高生と文弥は付き合っている。もし須田さんが文弥に興味を持っていたら可哀相だな。そんなことを考えながら飲みかけのコーラを口にした。


 なんとなく立ち去りがたく、店に残っていたが、唯花が通る気配はなかった。高校からの一本道だから必ず此処を通るはずなのに……個人面談はそんなに時間がかかるものなのだろうか。まさか鈴木と──という変な妄想を打ち消し、暁斗は店を出ると学校に戻ってみた。


 グラウンドでは野球部の生徒が声を出しながら練習している。校内に入り、古典の講習があった教室を覗いたが誰も居なかった。職員室に行くのは憚られ、足は自然と図書室に向いた。


 そっと扉を開けると、自習机には数人の生徒がいる。そのなかに唯花の後ろ姿があった。もう面談は終わっていたのかと、ホッとして図書室に入る。

 少し離れた席に座り唯花を見ると、勉強をしているわけではなさそうだ。一冊の分厚い本に目を落としている。


 オレはなにをしているんだと思いながらも、講習で使った小冊子を出し、問題を解くふりをしながら唯花を見ていた。長い黒髪が邪魔をして表情は見えない。

 この空間に唯花と居る。このまま時間が止まってもいいと暁斗は感じていた。


 どのくらいの時間そうしていただろう。唯花が本から顔をあげたとき、視界に暁斗が入ったらしく目が合った。凜々しい眉に大きな目。驚きの表情が暁斗を捉えた。暁斗は軽く会釈をする。それから意を決して唯花に近づいた。唯花が明らかに緊張したのが分かった。


「その本は?」

 唯花の隣に座りながら聞く。

 唯花は本を閉じ、表紙を見せた。泉鏡花全集と書かれていた。

「泉鏡花」

 そう答えた唯花の声はもちろん小声だが、澄んだ響きが暁斗の胸に直接届いたように感じる。

「泉鏡花って、なんか怖い話書く人じゃなかったか?」

 古い校舎が怖いという唯花が読む本には似合わない。

「そういう話もあるけど、幽玄で綺麗な話も多いよ」

 そう言いながら唯花は図書室内を見渡す。

「小杉くんは?」

「──彼女とデート」

「そう」


 やっぱり気になる相手は文弥なのか──そう思いながらわざと本当のことを言った。しかし唯花の表情に落胆した様子はない。

「土屋さんは?」

 帰ったことは知っているが聞いてみた。

「先に帰ったよ」

「どうして?」

「私が鈴木先生に呼び止められたから」

「鈴木に? なんで?」

「進路のことでいろいろ」


 唯花はじっと暁斗を見る。女子と喋っているときのような柔らかさはそこにない。聞かれたこと以上の話はしないという意思すら感じる。

 唯花は腕時計を見ると、ゆっくり立ち上がり、本を書棚に戻し、席に戻って鞄を手にした。


「帰るのか?」

「うん」

「途中まで一緒に帰っていい?」

「……別にいいよ」


 暁斗は急いで小冊子などを鞄にしまうと唯花のあとを追って図書室を出た。並んで歩くと唯花は思っていたよりも小さい。暁斗の胸の辺りに顔がくる。ほっそりしているので軽く抱きかかえられそうだと、意味の分からない妄想をした。


「高山から通ってるんだって?」

「うん」

「なんでこんな遠くの高校に」

「綺麗な校舎だし──」

 その続きを言おうとした唯花の言葉がそこで止まった。

「──家の都合」


 泉鏡花を読んでいるのを見られたから、怖いのが嫌いという理由を言わなかったのだろうか。そうすると家の都合が本当の理由? もしかして唯花には真琴にも言わない何かがあるのだろうか。


「──鈴木に呼び止められたあと、図書室で読書──昼飯食わずに腹減ったんじゃないか?」

「そうでもない。読書してると時間忘れるから」

 少し無言で歩いていた唯花は暁斗を見ると、

「いつから図書室に?」と聞いてきた。

「あー、講習のあと駅前でハンバーガー食って。文弥が彼女と会うことになったから図書室に行ってみただけ。ちょっと復習でもして帰るかなって思って」

「ふぅん」

「夏休みは、どこかに行ったりするの?」

「週明けから塾の夏期講習」

「へえ、さすが。高山にある塾?」

「ううん。甲府まで出る」

「ああ、なるほど。あそこならいろいろあるもんな」


 次の話題を探しているうちにバス停に到着してしまった。しかもタイミングの悪いことに暁斗の乗るバスが近づいてきている。唯花が察したらしい。


「あのバス?」

「そう」

「じゃあ。さようなら」


 そう言うと唯花はJRの駅に向かって歩き出した。

 さようなら、か。暁斗はその言葉を噛みしめながら定期券を見せ、座席に座る。


 確かに「また」じゃおかしいよな。文弥と違い、夏休み中に会うわけでもないし、クラスも違う。今日の講習で交流は切れるわけだから「さようなら」は正しい。「バイバイ」と気軽にいう間柄でもないのだから。

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