第2話 気になる存在というだけ

 *


 唯花ゆいかが図書室に行くと、真琴は古典の課題をしていた。唯花が入ってきたことに気づき笑顔を見せる。


「講習おつかれ」

「待たせちゃってごめんね」

「平気。でもお腹空いたから、なんか食べて行こうー」

「オッケー」


 ふたりは学校を出ると、高校前のバス停を通り過ぎ十分ほど歩いたところにあるJRの駅前でファミリーレストランに入った。唯花も真琴もJRに乗って高校に通っている。

 店内はそんなに混雑はしていない。それぞれ注文を済ませるとドリンクコーナーから飲み物を持って来て席に着いた。


 真琴が「名前が分かったの。及川に聞いた」と嬉しそうに切り出す。

「黒木暁斗あきとくん。C組なんだって。今まで通りだとA組からC組までが同じ日程で修学旅行だよね」

「そうだね」

「楽しみだなー。あんなカッコいい人が居たなんて全然知らなかった」


 真琴は黒木暁斗に一目惚れをしたようだ。


「この講習のあいだに会話出来るようになれるといいね」

「えー、恥ずかしいよ。無理ぃ」


 真琴は見た目は大人びていて、恋愛経験が豊富に見えるタイプだ。だが実際は白馬の王子様を待つお姫様タイプなんだよね、と唯花は思った。


「黒木くんと一緒に居る彼もかなりイケメンよね。小杉文弥くんって言うんだって。C組の女子が羨ましい」

「でも黒木くんが良いんでしょ?」

「もちろん。唯花は? どっちが好み?」

「うーん、どっちも別に」

 首を傾げてストローに口をつけると「唯花はほんっと興味無いよねぇ」と真琴が笑った。


 此処では彼氏はいらないんだ。

 心の中で返事をした。

 絶対に東京の大学に行く。この町と縁を切るために。それまでは勉強を頑張る。恋愛にうつつを抜かしている暇はないと思いながら、唯花は真琴と楽しそうに食事をした。


 JR駅構内に入り、そこで真琴とは別れた。真琴は下り列車、唯花は上り列車のホームに向かう。既にホームに到着している列車に乗り、座席に座ると唯花は参考書を広げた。最寄り駅までは約四十分。家からわざわざ遠い高校を選んだ。通学に時間はとられてしまうが、家に居る時間はなるべく短い方がいいからだ。


 *


 風呂から出て課題をしていると、暁斗のスマホにメッセージが入った。文弥からだ。

『及川からの情報。今日、土屋真琴に暁斗のことを聞かれたらしい。唯花の朗読に聞き惚れていたのは誰? って。彼女たちもお前のことが気になってるのかなって言っていたぞ』

 そのあとに嬉しそうな顔文字が付いていて、メッセージはさらに続いた。


『須田さんは女子とはすごく楽しそうに話すけど、男子とは殆ど話をしないらしい。どちらかというと近寄り難い存在だって。だからもし須田さんが暁斗のことが気になったんだとしたら意外って言ってた』


 なんと返事を書いたらいいのか逡巡していると、さらに文弥から『これはもうプッシュするしかないな。プッシュ!』とメッセージが入ってくる。

『面白がるな』

 それだけ入れてスマホをベッドに放り投げた。


 まだ存在を知って二日目だ。自分自身ですら唯花を好きになっているのかは分からない。気になる存在というだけだ。机の上にあるカレンダーが視界に入る。講習は一週間とはいえ、日曜日に学校はない。


 あと四日なのか、と暁斗は思った。講習が終わって二学期になれば、唯花との接点はなくなる。あのソプラノの声が聞けなくなる──少し寂しさを覚えた。


 講習三日目ともなると、他のクラスの生徒とも話す機会は増えた。だが、確かに唯花には近付きづらい。意識しているから余計に近付けないのだ。

 他のクラスの女子が唯花に話しかけて、文法を聞いている。


「覚えるのはク活用だけで大丈夫だよ。えっと、ここはね──」と、良く通る澄んだ声が暁斗の居るところにまで聞こえてくる。最初にもっと近くの席に座っていれば……と一瞬思ったが、もし近くでも、きっと暁斗は声を掛けることは出来ないだろう。


 視線を感じたのだろうか。土屋真琴が振り返り暁斗を見た。まともに目が合い、バツが悪くなり視線を逸らすとき、真琴が微笑んだように見えた。

 あとで「黒木くんが唯花のことを見ていたよ」とでも言いそうだ。暁斗にしてみれば、真琴が唯花の砦になっているように思える。

 ただの八つ当たりに違いないのだが──


 その日の講習のあと、暁斗は強引に文弥に図書室に連れて行かれた。まずは真琴に話しかけてみようと言うのだ。


「オレはいいよ。話すことないし」

「何言ってんだよ。それとなく須田さんのこと聞けばいいだろ」

「何を聞くんだよ」

「何処に住んでいるのかとか、趣味とか、いろいろあるだろ」

「いいよ、知らなくて」

「オレは興味出てきたぜ」

「え?」


 文弥が唯花のことを気になってきたというのか。戸惑った表情の暁斗を見て文弥は吹き出す。


「安心しろ。おまえの好きな女子にチョッカイ出したりしないよ」

「好きな女子って、別に──」

「今の顔が正直な気持ちだろ。素直になれって」

「──」


 しぶしぶ文弥に付いていき、図書室の扉を開ける。中はしんとしていた。数人が机に向かって勉強をしている。そのなかに真琴の姿があった。唯花のノートを見ながら、自分のノートに書き写しているようだ。


 二人に気づいた真琴は驚いた表情をした。

 文弥が小さい声で

「いつも此処で勉強してるの?」と尋ねると、真琴は黙って頷いたが、驚きの表情はそのままだった。


「唯花の講習が終わるのを待ってて……」と、蚊の鳴くような声で答える。見た目とは違い、ひとりだとシャイな性格なのかもしれない。文弥が真琴の隣に座ったので、暁斗はその後ろに立った。


「ふたりは何処から通ってるの?」

 もちろん質問するのは文弥だ。真琴は文弥と暁斗を交互に見て、明らかに戸惑っている。

「私は佐々で、唯花は高山」

「JRなんだ」


 真琴は頷く。高山とはまた遠いところから通っている。通学だけでも大変だろうと思う。もっと近くに良い高校があっただろうに。


「それ、須田さんのノート? ちょっと見てもいい?」

「あ、うん……」

 真琴がそっと文弥に差し出したので、暁斗も上から

 覗き込んだ。

「へえ、すごい丁寧にノート取ってるんだ。さすがだな」

「そうなの。唯花のノート見ると授業で先生が言っていたポイントが分かりやすいんだ」

「二人は休みの日もよく一緒に遊ぶの?」

「唯花の家が遠いから殆どないかな。でもたまに一緒に映画に行くよ」

「へえ。どんな映画?」

「ハリウッド映画が多いかな」


 そのとき、図書室の司書が近づいてきて、口に人差し指を当てた。文弥は肩をすくめて頭を下げると、

「じゃ、また」と真琴に言って席を立つ。暁斗も後に続いて図書室を出た。


「高山は遠いな」と文弥。

「うちの高校、校舎が新しい以外は特に魅力があるわけでもないよな」

「ハリウッド映画だって。今、やってるじゃん。誘えば?」

「まともに話もしてないのに誘えるかよ、バカ」


 *


 真琴の興奮っぷりは凄かった。

 イケメン二人に囲まれて舞い上がっちゃったと、いつものファミレスで鼻の穴を膨らませて話している。


「小杉くん、唯花のことが気になってるのかもしれないね。黒木くんもだけど、小杉くんも背が高いし切れ長の目のイケメンだよね」

 頬を染めて楽しそうに唯花の顔を覗き込む。


「私じゃなくて真琴のことかもしれないよ。私は出汁に使われてるだけかもしれないじゃん」

「私は黒木くんが良いもん」

「黒木くんが自分で話せないから、小杉くんにいろいろ頼んだのかもよ。真琴のこと聞きたくてさ。よく目が合うんでしょ?」


 唯花が面白がって言うと、それだったら嬉しすぎると真琴は破顔する。真琴は兎に角イケメン好きで惚れっぽい。黒木くんのこともいつまで持つのかな? と、内心思いながら唯花は話を聞いていた。


 一年の時は、通学途中に駅で会う他校の生徒だった。唯花から見ても確かに整った顔立ちの生徒だったが、彼女らしき生徒と歩いているのを見かけて、真琴の恋は散ったのだった。そのあとは駅前のスーパーで焼き鳥を売っているお兄さん。そして今は黒木くんだ。


 黒木くんは同じ学校だし、同じ学年。今まで好きになった人達よりは長く恋するのかもしれない。そのうち告白もするのだろうか?


 駅で別れていつもの列車に乗る。ひとりになると、帰る家を思い出し、鬱々とした気持ちになる。

 女同士の恋愛話は気楽だ。

 本当の悩みを打ち明ける必要もない。誰が好き彼が好きと言って、そして話を聞いていれば連帯感が湧く。それだけで秘密を共有している友達や親友になれる。


 あと一年と少し、頑張ろう。

 唯花は気持ちを切り替えて鞄から参考書を出した。

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