第6話 この国のお姫様
血のように赤黒く染まった空。
燃えたぎる家々に、たくさんの人たちの悲鳴。
目の前に広がる光景は、かつて味わった、全てを失ったあの夜の出来事。
父は死に、妹は目の前で怪物と化し、弟は自分達のために犠牲となった。
『……』
幸せを掴み取ったというのに、たった一晩で何もかも消え去った。残ったのは、この世界の惨状と腕の中で静かに眠り続ける愛する人だけ。
どれだけ後悔しても仕方がないということは分かってる。自分にもっと力があれば、なんて淡い幻想を抱いてもいない。どうしようもなかった。避けられなかった。それくらいとうの昔に理解してることだったのに。
あの時の悲劇がどうしても頭から離れない。
失いたくなかった。死んでほしくなかった。
置いていってほしくなかった。
『……あぁ』
いっそのこと、あの場で怪物に食われていれば。
その思いに呼応するように、肉塊の怪物と化した妹が目の前に現れる。
膨れ上がった肉塊、その腕でゆっくりとカイを握りしめる。そのまま持ち上げられて、裂けるほどに巨大な口へと持っていかれ……――。
意識が覚醒した瞬間、弾かれるように勢いよく起き上がった。
「――――っ⁉︎」
全身から滝のように汗が出ていた。脈が尋常じゃないくらいに速く、荒くなっていた呼吸を必死に鎮める。
「……もうしばらくはまともに寝られていなかったからかな」
さっきまでのは全て夢。見たくもない、忘れられない悪夢そのもの。
この十年、エマを守りながら戦ってきたカイはまともに寝る時間すら与えられなかった。久方ぶりの安全地帯。ようやく取れる休息で、ベッドに倒れ込むように眠っていたカイは全身で感じる安心感と共に、まるで呪いのように剥がれ落ちない最悪の記憶が、休ませはしないと悪夢を見せてきたのだ。
カイは夢の中でさえ戦い続けなければならないのかと自嘲気味に笑う。こんな悪夢を生み出した元凶を倒す、そしてエマを救うその第一歩が昨日踏み出せたのだ。あとはもう進むのみ。
「じゃあ、行ってくるよ」
そう新たな覚悟を胸に、隣で眠るエマに優しい声で告げる。そっと彼女の頬に触れ、かすかな笑みを浮かべたカイはベッドから飛び起き、支度を始めた。
「城塞都市の奪還?」
午後十二時。再び、昨日訪れた大テントへと足を運んでいたカイは、シュッツから告げられたその言葉に首を傾げた。
「ああ。城塞都市『フォートヴェイル』。十年前、魔物による大侵攻によってこの王国の次に落とされた場所だ。元々、ここにいるグレイグ、テッカード、それと今はいないけどエルドリックの三人で向かってもらう予定だったんだけど事情が変わってしまってね」
つまり、その変わってしまった事情とやらでカイも参加せざるを得なくなったと言うことらしい。と言うよりは、本来参加するはずだったエルドリックという騎士が今ついている任務に遅れが出ているらしく、そのせいで奪還作戦の人員が足らなくなってしまい、ちょうどそのタイミングで『亡霊』カイ・フリーデが協力関係になったから都合がよかったとのこと。
すまないねと笑うシュッツに仕方なさそうにカイは呆れた息を吐き出す。
「そういやアンタはいいのかよグレイグさん。アンタ相当俺のこと嫌っていただろ」
昨日カイに激昂した男――グレイグに問う。グレイグは鼻を鳴らし、顔を逸らしながら応える。
「……ふん。私情で作戦に支障をきたすほど俺は愚かではない。それにこれは団長が決めたことだ。従うしかあるまい」
「あっそ。じゃ、作戦の内容を聞こうか」
「城塞都市フォートヴェイル。ここには我が王国が誇っている無数の魔具が眠っている。我々の目的は城塞都市の奪還、そして魔具という強力な武器を持ち闇の軍勢との戦いをさらに有利なものにするための足掛かりとするのだ」
魔具――魔力を持つ武器の総称。
魔力を秘め通常の武器とは一線を画している、それだけで強力な物になっているが、刻まれている術式によっては炎を出したり光の刃の剣があったり、使用者の魔力関係なしに高度な魔法を運用することができる。つまりはそれ一つで何年、何十年と研鑽され積み上げられた魔術の高みへと簡単に上り詰めることができてしまう魔術師が激怒するレベルの武具ということだ。
そんなものがある都市が落とされてしまったという事実を耳にし、カイの中に当然の疑問が生まれる。
「そもそも、フォートヴェイルを奪われて十年経つんだろ? とっくに魔具は持ってかれてるんじゃないのか?」
十年という長すぎる歳月があってそれほどまでに強力な武具を目の前に闇の軍勢が放置しているとは考えにくい。というより、奪い、利用していなきゃおかしいほどだ。
「ああ、それは心配いらないよ。魔具が保管されている武器庫は特殊な結界によって守られていて、その術式の構造を理解している人間じゃないと開けることはできないんだ」
「なるほど。話の腰を折ってすまない。続けてくれ」
考えて当然の疑問を投げかけるカイだったが、その心配はどうやら必要なかったらしい。
納得したカイは頭を下げ、話の続きを促す。
「目的は明確に定まっている。だが、それに際し一つ大きな障害となるものがいる。それがこいつだ」
グレイグが拡げた城塞都市内の地図、その中の城がある位置を示す。
「城?」
「この国で最も堅牢だと言われていたフォートヴェイル城。そこをたった一体で陥落させた魔物――黒竜シュバルスケイル。奴は十年前からここに鎮座し、常に監視の目を光らせている。奴との戦闘は避けられないものと思ってくれていい」
グレイグから渡された資料に目を通す。そこには黒竜の詳細な情報が載っていて、文面だけだというのにその化け物さがよく分かる。
空を覆うほどに巨大な漆黒の翼。鋼を容易く斬り裂くほどの強靭な爪。極め付けは奴の口から放たれる黒炎のブレス。対象を灰にするまで消えないという死の魔炎だ。
「なあ、一応聞くがこんな化け物を相手に勝算があるのか?」
目を通せば通すほど、勝利するイメージが遠のいていく気さえする。カイの戦闘経験の最大値はベーゼ複数体との戦闘だが、今回挑む相手は比にならないほどの規模となるのは必至。
「それこそ、団長……シュッツさんも来てくれた方が成功率は上がりそうなもんだが」
シュッツ・シルトという男の戦っているところなど当たり前だが見たことはない。しかし、それでも彼が自分より遥かに強いということは分かる。武の道を歩んでいるわけでもないカイでも、彼が放つオーラと秘めている魔力を考えればいやでも伝わってくるもの。
少しの希望を込めて言ったカイの言葉に、シュッツは申し訳なさそうに首を横に振った。
「悪いねフリーデくん。それはできないんだ。僕がいなくなればここの護りは手薄になるし、トップを失えば組織というものは機能しなくなる」
「……つまり、俺たちはアンタの手駒ってわけね」
彼が言っていることは理解できない話ではない。しかし、要はカイ達はシュッツの思うがままに動く盤上の駒。王を守る為の、たかだか一体のポーンに過ぎないのだ。
「……そういえば忘れていたが、この国の王はどうしたんだ? ここに来て一度も見たことがないが」
ここはリガリス王国。王国というからには王がいなければ王国として成り立たない。ふと頭に浮かんだ疑問を彼らにぶつけると、何やら思い詰めるような顔をする。
「父はこの国が落とされた十年前に亡くなったわ」
すると突然、背後から凛とした強い女性の声が耳に届く。
振り向いてその声の主を見ると、グレイグが声を上げた。
「姫! 帰っておられたのですか!」
姫と呼ばれたその少女は身につけている白鎧にかかっている自分の赤い長髪を手で払い、ふんと小さく鼻を鳴らす。黄金色の瞳がカイを見つめ、近づいてきた。
「あなたが『亡霊』ね。噂は聞いてるわ。ソフィア・エル・リガリス。よろしくね」
「カイ・フリーデ。……率直な疑問なんだが、姫さん。アンタ戦えるのか?」
昔からカイの中では姫というのは守られる立場にある。魔王にさらわれた姫を勇者が助けに行き、数々の困難を乗り越えで見事姫を助け出しハッピーエンド……それがよくある物語の通例だろう。
しかし、今目の前にいる姫は白銀の鎧に身を包み、腰には刀身が細い剣を携えて、見るからに戦う騎士の格好だ。イメージの姫と照らし合わせるとどうにも噛み合わない姿に困惑してしまう。
カイがそのような素朴な疑問を口にすると、テッカードやシュッツが頭を抱えた。
「フリーデそれは……」
「あちゃー……」
「え、何」
目元を抑えた二人を見て、何かまずいことを言ってしまったらしいと気づく。恐る恐る彼女の方に目を向けると、目の前のソフィアはぷくーっと頬を膨らませて見るからに怒りをあらわにしていた。
「あなた、私がか弱い女だから戦えないって、そう言いたいの?」
「いや、別にそんなんじゃ」
「一応言いますけどね、私をそこらへんの有象無象と同列に語らないでもらいたいわ。なんてったって私は王女! この国の姫! 世界最強のバトルプリンセスなのよ!」
「あ、ああ、そう……」
どんどん上がっていく彼女のテンションとは対照的に、カイの中の姫のイメージからどんどんかけ離れていきカイはそんな反応しかできなくなってしまっている。
「何その反応。あなた、疑っているわね?」
「疑っているわけじゃないが……だって姫さんいくつだ?」
「十八よ」
「ってことは八歳の頃からこの世界を生き抜いてきたわけだ」
八歳……つまり、妹のミアよりも幼い時に世界の破滅を経験していることになる。
「だったら、それなりに戦えはするんだろう。じゃなきゃ今ごろ天国の親父さんと仲良く茶でも飲んでるだろうしな」
「へえ……あなた、結構わかってるじゃない」
感心したような声を漏らすソフィア。どうやら上手く彼女の機嫌を取ることに成功したらしい。シュッツ達も安心したのかホッと胸をなでおろしている。
すると、突然ソフィアは大きく手を叩いた。
「じゃあこうしましょう。あなたには特別に私の力を見せてあげるわ!」
「そ、それはどういう……」
「そんなの一対一の決闘に決まってるじゃない。いいわよね、シュッツおじさん」
聞かれたシュッツはそれから少し考え、やがて小さく頷いた。
「……ええ、構いませんよ。幸い、次の城塞都市作戦まではまだ時間があります。それに、フリーデくんも背中を預けることになる仲間の実力は知っておいた方がいいだろう?」
「……! おい、つまりそれって」
「ああ。彼女……ソフィア姫もこの作戦に参加する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます