第10話
「この解答が、"遺物"の正体を断定する決定的な手がかりです」
識は、俺の目を見つめて真剣に言う。
わずかに細められた目は悪戯っぽい。
だが、こういう時の識は誰よりも真剣だってことは俺が一番分かっている。
にしても、不可解な事件だ。
「……被害者不明、か」
「えぇ。ですが、確かに臓器は流れています」
「それがカギだと」
「まだ事件の全体像も見えていませんから」
「…………」
「まずはそれを明らかにしましょう」
昔、推理とはパズルゲームだと識は言った。
事件に関わる不明点をすべて抜き出して、そこを推論と証拠で埋めていくものだと。
推理力の高さとは、知識、注意力、想像力、そしてそれ以上に情報処理能力を指す。
この悪魔のような少女は、それがずば抜けて優れている。
この少女は、なぜか俺にもそれを求める。
それを面倒だと思う気持ちがないわけではない。だが、こうも思うんだ。
────識は誰かに理解して欲しいんじゃないか、って。
「ここまでの聞き取りで事件に"遺物"が関わっていることは確定しました」
「どうしてだよ」
「来る前に話したこと、忘れてしまいましたか?」
「……あっ」
「悲しいです。ぐすん」
……歩み寄ろうとした俺の気持ちを返せ!
識はわざとらしく泣き真似をする。こういう仕草が似合ってしまうところも腹立たしい。
しかし、確かに重要な事を忘れてしまっていた。
俺たちはここに来る前、確かに確認していたはずじゃないか。遺物について。
「ぐすんぐすん」
「おい、いつまで嘘泣きしてるんだよ」
「酷い人。私はあなたとの会話を全て覚えているというのに、あなたは私の事などどうでもいいんですね……」
「どんなに好きでもそれ出来るのお前くらいだぞ」
「あら、私の事好きだったんですか?」
「言葉の綾だよ!」
「残念です」
ただでさえ神秘的な瞳を伏せる。輝く白髪と相まって神秘的なその容姿に喉が鳴る。
絵画のワンシーンのようなその姿に、一瞬推理の事を忘れそうになる。
も、もしかして本当に残念なのだろうか。
「……俺に好かれたいのか?」
「えぇ。使い勝手のいい召使は必要ですから」
「期待した俺が悪かったよ!!」
「それで、思い出したようですね」
「あぁ。お蔭様でな」
いつもの流れで散々人の事をからかって満足したのか、本題を促される。
どうして"遺物"、人智を越えた力が関わっていると断定できたか、だったよな。
「予想出来る死人と血液の量がどう考えても合わない」
「……まぁ及第点でしょう」
識はそうつぶやくと視線を上げ、辺りを見回しヒラリヒラリとスカートを揺らしながら俺の前を歩く。
田舎の畦道は足場が舗装されていない。土の感触を踏みしめる。
点々とまばらに位置する民家に月明かりが降り、煌々と輝く。コンクリートと違って反射なんてしないのに。見渡すと水田が照っているようだった。
その輝きの中、俺たちは答え合わせをしていく。
思考を交わすこの時間が、理解し得ない人間同士だという事を忘れてしまう。
「赤崎卓は、事業が軌道に乗ったのはここ四年だと言っていました」
「つまり、殺人は四年前から行われている?」
「その可能性が高いでしょう」
「……鶴羽染めの染料は血液、ってのは確定なのか?」
「あなたも見たでしょう。川を下る臓器を」
「…………」
「バラバラ死体が流れている割には異常に川が澄んでいましたよね」
「……血液が抜かれているから、汚染が最小限ってことか」
「えぇ。つまりそれは、"誰かが血液だけを集めている"という事を指します」
鶴羽染めの異常なまでの人間に"合う"色は血色で、それを再現するために本当に血液を採取している。その猟奇さに吐き気がする。
あまりにも現実味のない人間のパーツも、下処理が施されていたからだろう。
嫌な納得感があった。
「依頼状にも、"毎夜"流れて来るとありました。もし事業を行っている四年間毎晩のように解体が行われていたとすれば、既に千人以上があの小屋で死んでいることになります」
────依頼状が信頼に当たるかは別の議論になりますが。
識はそう前置きする。
あの差出人不明の依頼状の真偽はさておき、千人以上も殺せるとは思えない。俺も同感だ。
だが、これではまだ確定したとは言い切れないようにも思う。
「だが、その可能性も0じゃないだろ。実際それだけの量の血液を採れているんだし」
「なるほど。では視点を変えてみましょう」
識はぐいっと俺に顔を近づける。
月に照らされた睫毛に一瞬緊張するが、その口元が意地悪に歪んだのを見てげんなりする。
────こいつ論破しにくるつもりだな。
「……はぁ。お手柔らかに頼むよ」
「はて、なんのことやら」
言葉とは裏腹に、心底楽しそうにケラケラと笑う。
帰り道は半ば、この時間はなんだかんだ嫌いじゃないのも悔しい。
俺も思わず笑みが漏れる。なんだかんだ識の推理は好きだ。
「こほん。……では、推定死亡者数千人。その被害者はどこの人間でしょうか」
「観光客とか、町の人とか外部じゃないか?」
「ぶっぶー。的外れです」
わざとらしく唇を尖らせて煽ってくる識を手で払う。
赤崎家は人当たりが良い人物が多い。人慣れしているということはそれだけ観光客がいるってことだと俺は思った。
「……赤崎家は来客の対応に慣れていただろ?」
「えぇ。ですがこの村はそうではありません」
「……でも記者は来てる」
「しかし、雑誌は出ています」
「記者は帰れてる……」
「補足するなら、同業者も無理ですね。数少ない取材記者が行方不明になっては、鶴羽農村地区が原因だと一発でバレてしまいます。狙えてせいぜいがフリーの記者でしょうか」
「……大人数を殺す前提な以上、足が着くような危ない橋は渡れないって事か」
「えぇ。つまり、外部の人間はあり得ません」
強く否定される。確かに外部の人間は対象に出来ないようだ。
例えば浮浪者や独居人なら、と思ったがその立場で鶴羽の辺境まで来る理由もないように思う。
加えて、仮にそうだったとして交通の利が無さすぎる。
四年間毎晩人を集め続けるのは難しいだろう。
────とすれば、殺されているのは一体どこの人間なのか。
「……住民ならどうだ? この発展に対して住民が多くて百人って話だっただろ? 毎晩住民が減っていったからなら辻褄が合いそうだが」
「……はぁ。私、泣いちゃいそうです。私の言葉だけでなく今日一緒にしたことも忘れちゃったんですね」
「え」
「一緒に地図、描いたじゃないですか」
「あ」
今日の午前は住宅の数を計算していた。
本当にウルウルとする眼からは今にも涙が零れ落ちそうで、本当に悲しんでいるように見える。
のんびりと歩いた比較的楽しい時間だったからか、一瞬忘れてた事に罪悪感を覚える。
「す、すまん。そっか、建物が25棟なんだったな。昔は住民がたくさんいたなら、家の数はもっとたくさんあるだろうし、あったとして建て壊した痕跡があるはずだもんな」
「ぐすん」
「悪い。それに関してはホントに何か埋め合わせするよ」
「では私の靴を舐めなさい」
「俺の罪悪感返してもらっていい???」
「ふふ、やれば出来るじゃないですか」
スン、と澄ました顔を見せる識にムッとする。
俺は女の涙には弱いんだ。……特に優しさなんかじゃなくどうしたらいいか分からなくなるって意味なのが情けないが。
だが、お陰で思い出せた。
とはいえ外部も、内部もあり得ないとするなら一体、どこの人間が殺されているんだろうか。
「……お手上げだ」
「はい。素直に負けを認められるのも、あなたの美点ですよ」
「褒めてるか?」
「それはもう」
識は満足そうに笑みを深める。
つまり、普通の手段でそれだけの人間を殺す事は不可能。
「というわけで、十中八九"遺物"の効果でしょう」
「正体はもう分かってるのか?」
「いえ、ただ、絞り込むことは出来ます」
「……どうやって?」
「少しは考えてみてくださいな」
「って言っても"遺物"の推測って簡単に出来るもんなのか? それこそなんでもありだろ」
「そうでもありませんよ。では、一度"遺物"のおさらいをしましょうか」
"遺物"
この世界のイレギュラー。怪異と呼ばれるものが残していった現代の資産。
3つだけ願いの叶う猿の手。
藁人形で人を呪う丑の刻参り。
偶像崇拝で起こす神の奇跡。
例をあげればそんなものが指されるだろう。
識はそんなイレギュラーの推理を生業としている。
極端な話、推理なんて"論理的な思考があれば誰でも出来る"。
だが"遺物"は別だ。怪異の痕跡、常識外の異能。推測なんて出来る訳がない。
────識を除いて。
さも当然の事を語るかのように識は俺の隣に並ぶ。
遠くに赤崎邸が見えてきた。今日はもう疲労困憊だ。そんな俺を横目に、明日の晩御飯でも決めるかのように識は自然に話す。
「"遺物"とは、怪異の道具であり技術です」
「…………」
「道具は勝手に動くことはない」
「……つまり、必ず使用者がいるってことだな」
「そういうことです」
「でも道具っていっても自動で動く、なんてものもあるんじゃないか?」
「あったとして、それも誰かが起動しなければ動き出しませんよ」
鋏、とか銃みたいもの。それ自体に凶器性があったとして、使用者がいなければ無害だ。
自動的に作動するものも、スイッチを押す人間が必要なんだろう。
「必ず使う人物がいる、でもそれだけじゃ特定は難しいな……」
「そうでもありません。"遺物"は怪異が残したもの、しかし怪異自体はもう全て討伐されています」
「……というと?」
「"どんな怪異が残した"もので"どんな効果があるのか"さえ分かれば推理は出来ます。妖怪も、UMAも、幽霊も、おとぎ話も、神話も、その全てが"怪異の記録"ですからね」
「……ほぅ」
「何も分からないって顔をしていますね」
流石、俺と長く一緒にいるだけある。俺の頭がオーバーヒートしたことが伝わったんだろう。
識はこめかみを抑えてやれやれとカぶりを振る。
いや、それが出来るのはお前だけだということを考慮して欲しい。
そもそも、『覚の木片』みたいにややこしいものもあるだろうに。
「一先ず、遺物の正体については置いておきましょう。大切なのは"遺物"が関わっていることが間違いないというのが確定したということです」
「そう……だな。普通じゃあり得ない死体の量だもんな」
「そこ」
「え?」
「そこです」
識は俺の胸元を人差し指でつつく。識の細腕では痛みは一切感じないが、チクチク嫌味を言われているような気分になる。物理攻撃で精神ダメージを負わせてくるなんて質の悪い女だ。
俺は困惑していた。指摘の意味が咄嗟に分からなかったから。
識は丁寧に解説してくれた。
「"なぜ"大量の死体が出ているんでしょう?」
「それは、たくさん殺されて……はないんだもんな」
「えぇ。しかし死体が流れているのは事実です」
────つまり、一人が何度も死んでいるということになります。
識は底冷えするような声でそう言った。
俺は怖い。そんなことを至極平然と言える識が。
【死神姫】その異名に恥じないあり方に恐れを抱く。
識をどうも苦手に思うのは、この底冷えする恐ろしさ、理解できない空洞のせいなんだろう。
誰かが死に続けている。その事実が恐ろしかった。そして悲しかった。
神社の少女との問答を思い出す。
"「だから、私は怖いよりも悲しい」
「悲しい?」
「誰かが苦しんでいるかもしれないから」"
なんとか自分を奮い立たせる。もしそんな人がいるなら、終わらせてあげたかった。
「……それは、誰なんだ?」
「…………」
「お、おい? なんで勿体ぶるんだ」
「あ、いえ。……その目、好きですよ」
「こんなタイミングまでからかうなよ……」
「むぅ……えい」
「お、おい、なにすんだ」
識は俺の頬をむぎゅむぎゅと掴む。二人きりで言葉以外で攻撃されるのはなかなかないからむず痒い。
ぷくぷく膨らませた頬を俺もつかんでやろうかと思ったが不毛な争いなので辞めておく。
俺の方が大人な対応だぞ!
どうだ、とドヤ顔で識を見ると頬を指で弾かれた。
「いてっ」
「知りませんっ。ほら、被害者の正体の話ですよ」
「俺はずっとその話してるけど!?」
識はプイっとそっぽを向くと、何事もなかったかのように話を続ける。
「被害者は毎日死体になっている、となると遺物の効果も推測出来ます」
「……そうか」
「えぇ。"遺物"の効果は、不死、再生、時間遡行、その何れかでしょうか」
「"遺物"を使っているのは被害者の方、ってことか」
「はい。何故逃げないのか、何故黙って殺され続けているのか。はたまた自ら命を絶っているのかは分かりません。ですが、被害者が"遺物"の使用者であることは間違いないでしょう」
その推理に驚く。事件を起こす動機はいつも犯人の側にあって、"遺物"を使っているのも犯人だろうと思っていたから。その動機は理解出来なかった。
「ただの事件であれば動機なんてどうでもいいんですけれどね」
「なんでだよ。二時間サスペンスなら動機は重要だろ」
「崖から突き落としますよ」
「そんなに!?」
「えぇ。だって、人間の頭の中は証明出来ない、それを理解してないのなら生きづらそうですもの」
「そんな有難迷惑な介錯があってたまるか!」
「誰かに心が壊されてしまうなら私が止めを刺そうかと」
「……今、ちょっと本気だったか?」
「あら、私はいつも本気ですが」
真顔で怖いことを言う識のことは置いておいて、言いたい事を咀嚼する。
確かに、動機なんて考えるだけ無駄かもしれない。理由なく人を殺す快楽殺人鬼も、愛するからこそ殺す殺意も、俺には推測出来ない。動機は推理の一助にはなるが、頭の中を覗けない以上、決定打にしてはならない。
だが"遺物"が関わっているなら話は変わる。こと今回の事件において、それは重要な気がした。
識の推理が正しければ被害者は望んで死に続けていることになる。
解決するにしろしないにしろ、その意思は考慮しなければならないだろう。
「明日は被害者の特定をしないとな」
「その必要はありません」
「……まさか」
「えぇ。被害者はもう特定出来ています」
ごくりと喉が鳴る。識の続きの言葉を聞くことが怖かった。
薄々気がついていたこととはいえ、信じられない、その気持ちが大きい。
綺麗な形の唇をペロリと舐め、識は言い放つ。
────被害者は赤崎詩織、あの小屋のお姉さんです
と。
俺たちを出迎えてくれたあのフレンドリーな女性、彼女が被害者だと識は言う。
「ま、待てよ! どうしてあの人になるんだよ! 初対面の印象でしかないけど自殺するようには見えないぞ」
「……あんな短時間で絆されてしまいましたか?」
「うっ」
識は咎めるような視線で俺を貫く。これが事件で、気を抜くなと再三言われているにも関わらず、既に視野を狭めていることが気にくわないんだろう。
実際、絆されていたわけではない。だが、あんなに気さくに話してくれたお姉さんがそんな事をしているとは思いづらかった。
「……やっぱり胸ですか?」
「それは関係ないからな!?」
「私との初対面なんて最悪だった癖に」
「自分の人当たりの悪さを思い返してから言ってくれ」
人付き合いがうまい方ではない識には初対面の対応を言われたくない。あのお姉さんはこの少女と比べるまでもなく、そこが優れていた。だからといって自殺する訳ない、とは断定しきれないのは冷静になった今なら見えてきたが。
識の澄ました顔を見ていると、こういうおふざけすら俺を落ち着かせる為のポーズなんじゃないかと疑ってしまう。
……いや、自分の胸元触ってるな……本気で気にしてるんだな。
悲しい発見は見なかったことにし、今度は落ち着いて聞いてみる。
「ただ、俺らが話した時にそんな素振りなかったな、と思ってさ」
「そうですね」
「自殺しているなら素振りくらいありそうだと思ったんだが」
「私は自殺で確定した、だなんて一言も言っていませんよ」
「え?」
「そもそも、遺体は都度解体されて血抜きまでされているんです。犯人、ないし共犯者がいるのは間違いありません」
「確かに……」
「まさか自分で自分の内臓を捨てているわけでもないでしょうしね」
うっ……その光景を言われて想像する。随分と猟奇的で、流石にないような気がした。そして、それ以上にそんなことをしていれば小屋は血塗れになってしまう。あり得ないだろう。
「じゃあ、犯人は一体誰なんだ」
「決まっているでしょう。赤崎家の誰かです」
「……でも、彼らにはアリバイがある。夜から朝まで門が開かなかったことは俺が聞いた。彼らは家から出てないよ」
「本当に?」
「……そうだよ」
ぐいっと近づかれ、一歩たじろぐ。
人形のように均整のとれた左右対称の顔が目に入る。
無機質で、少し怖かった。
「ですが、鶴羽染めの利益を手にし、製法を知るのは彼ら一家だけです。血抜きをしているのは間違いなく赤崎家の誰かでしょう」
「……なら、赤崎詩織の可能性もあるか」
「? 話を聞いていましたか? 彼女は被害者です」
「あぁ、いや、小屋のお姉さんの方じゃなく、神社にいた女の子の方だよ」
「は?」
「その子も赤崎詩織って名乗ってたんだよ。ってあれ、話してなかったっけ?」
「…………」
「あれ? おーい。識?」
識は顎に手を当てて途端に考え込む。ずっと俺の頭を悩ませていた問題だ。共有……そういえばしてなかったような気もする。
「……聞いてないです。バカ」
「あ、はは、あはは」
「笑っても許しませんから。帰ったらお仕置きです」
珍しく冷たく言い放つ識に謝り倒しながら、赤崎家の離れへとようやく帰宅した。
容疑者、赤崎家にはアリバイがある。
神社の少女、小屋のお姉さん、本物の赤崎詩織は誰なのか。
お姉さんはどうして死に続けているのか、誰が殺しているのか、"遺物"の正体とは?
答えは、もうすぐ見えそうだ。
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