第9話

辺りはすっかりと暗い。


 襲撃を警戒しつつ足早に山を去った俺たちは、赤崎甚平氏に話を伺うべく市民会館へと足を運んでいた。


 


 赤崎邸に一度顔を出したのだが、卓さんに"父は出払っている"と聞いたため。どうやら本日はこの地区の自治会があるようらしい。村長ともなると出席しない訳にはいかないのだろう。


 回覧板や地域会なんてすっかりと無くなってしまったものだと思っていたがそんなことはないらしい。残るところには残っているのだろうか。まぁ、大方飲みの口実といったところだろうが。


 


 市民会館は料亭一棟分の大きさだろうか。


 通された御座敷には10膳程度の食事が用意されている。いずれも川魚や山菜、肉はジビエだろうか。懐石料理中心のようで、行商の少なさと生活の質は特段比例していないように思う。


 


「なんか緊張するな」


 


「シャキッとしてくださいな。お上りさんみたいですよ」


 


 田舎なのにお上りさんとはこれ如何に。物珍しいという意味では確かに見慣れないものばかりだ。


 掛け軸に甲冑、印象的な絵画なんかもある。


 


 しかし、鶴羽染めは飾られていなかった。


 


 こういうところには郷土品を置いているものだと思っていたがそうでもないのかもしれない。


 この後に自治会兼飲みの席があるため、そう時間がない。


 慌ただしくしているのだろうか。話を聞く時間が無くなってしまうのではないかとソワソワする。


 


「にしても遅くないか?」


 


「何度もお伝えしますが私達の立場は赤崎卓の後輩ですよ。依頼の件について甚平氏はつゆ程も疑っていないはず。丁重なもてなしを期待するだけ無駄ですよ」


 


「それは分かってるけどさ」


 


「もぅ、お腹が空いてしまいましたか? 飴玉くらいならありますよ」


 


「んな児童みたいな理由じゃねぇよ。ほら、人がいたら話しづらいこともあるだろ? 集まってくる前に片付けないとマズイと思ってさ」


 


「"彼"にはそこまでは踏み込むつもりはありませんよ」


 


「え、なんで」


 


「まだ秘密です」


 


 素っ気ない口振りだが、彼女の中では何か確信があるんだろうか。彼が事件と無関係という証拠か、はたまたここで踏み込んで決着を付けるのは時期尚早と判断したか。


 いずれにせよ、こうなると確証を得るまで識は話してくれないことを知っている。


 俺に出来ることは可愛らしく不満を口にすることだけだった。


 


「ケチ」


 


「ダメなものはダメです。先入観を与えたくありませんから」


 


「飴玉といい大阪のおばちゃんみたいな癖に」


 


「…………今、なんと?」


 


「…………悪かった」


 


 とんでもない速度で識が振り向いてくる。


 さっきの訂正。可愛らしく不満を伝えることも俺には許されていないらしい。


 背中に肩に突き刺さる冷たい視線に冷や汗をかく。


 


「待っている間に頭でも働かせてればいいものを。"遺物"の正体も掴めていないんでしょう?」


 


「……あぁ」


 


「躾が足りなかったようですね」


 


「いや、俺だってあの水車小屋の中で探ったさ。でもあの家の中では感じられなかったんだよ」


 


 


『遺物感応体質』は近くにある"遺物"を無作為に探知出来るような便利な能力ではない。


 例えば『覚の木片』ならば持ち主である識に意識を合わせなければならないし、もっと大規模に土地なんかなら広く探らないといけない。


 あの水車小屋では終始気を張っていたが収穫はなかった。


 


「どうでしょうか。大方、胸ばかり見ていて見逃したのでは?」


 


「ソンナコトハナイゾ」


 


「どうして片言なんでしょうか。……私のを見ればいいのに」


 


「え? いや、無いものは見れないだろ」


 


 ゴツン、と日傘で頭をはたかれる。そんな言ったって揺れて視界に入ってくるんだから仕方ない。男心に免じて許して欲しい。


 


「見たら見たで怒る癖に……」


 


「あら、そこまで狭量ではありませんよ。代わりにお手伝いをお願いするだけです」


 


「手伝いのレベルが猟奇殺人事件とかじゃねぇか!」


 


「可愛いお願いでしょう?」


 


「可愛いを一回辞書で引いてこい」


 


「日本語の形容詞で、いじらしさ、愛らしさ、趣き深さなど、何らかの意味で愛すべし、愛嬌があると感じられる場合に用いられる単語で……」


 


「なんでその早さで出てくるんだ……」


 


「ま、つまり私の事ですね」


 


「否定はしないけどな」


 


 識が頭の中で辞書を開けるといっても全く驚かない。"ふふん"と笑うこのふてぶてしい腐れ縁にどうすれば勝てるか考えるが知恵熱が出そうだ。その上に結論は出ない。厄介極まりないお姫様に苦笑いを浮かべる。


 


 ガチャ


 


 そんなやりとりをしていると漸く扉が開いた。


 


「お待たせしたかな」


 


 中なら出てきたのは白髪混じりの髪の毛をオールバックにまとめ、気崩したスーツが偉い人であることを意識させる。


 


 柔和な笑顔、人好きのする目元の小皺。50代という年齢で村長を継ぐ人物。


 


 鶴羽染めを牛耳る赤崎家の当主、赤崎甚平が現れた。


 


 


 


 


 


 


 


 ◇


 


 


 


 


「息子の珍しいお客さんだというのに大したもてなしも出来ず、すまないね」


 


「いえ、お話を聞かせて貰えるだけで有難いです」


 


 赤崎甚平は落ち着いた人物だった。威厳というものが強くある訳でもない。


 有名人特有のオーラのようなものは殆ど感じられない。


 それは彼が為政者ではなく、一職人であることが由来しているのだろうか。


 


 俺たちは静子さん、詩織さんにしたように簡単に挨拶をする。


 


「ほぅ。鶴羽をテーマにするというのか。大学の研究にうちを選ぶとはまたモノ好きだね」


 


「はは、ご謙遜を。鶴羽染めの経済発展のめざましさはよく聞いていますよ」


 


「ふむ。勉強熱心だ。構わんよ。なんでも聞くといい」


 


 識から"私が話すまで知らなかったじゃないですか"と言わんばかりの視線を浴びせられながらも、赤崎甚平のファーストインプレッションはそこまで悪くないように思う。


 だからこっそり足を突くのはやめて欲しい。


 


「では、生産の効率化はどのように?」


 


「……ふむ。卓からは経済学部と聞いていたのだがな。拡販について、ではないのかい?」


 


 赤崎甚平は少し眉を顰める。怪しまれているのか。


 それにしても随分と過敏であるように思えた。別にそこまで不自然な質問ではなかったはずだ。


 


「だからこそ、ですよ。年間DC利益推算3000万。それだけの経済効果を生み出しながら関係者が一家のみ、というのを実現させた。そのメカニズムが気になりまして」


 


「大したことはしていない。価値あるものを、この"私が"手ずから作っているだけのこと」


 


「……昔は神業なんて取沙汰されていたそうですね」


 


「それは妻から聞いたのかな? 静子の口癖のようなものなんだ。私の栄華を自慢に思ってくれるのは嬉しいがね」


 


 自身に満ちた言葉とは裏腹にその口調に自信は薄いように思う。


 水車小屋の女性、自称赤崎詩織のことばが本当なんだとすればこの態度にも説明はつくが。


 彼女との会話を思い返す。


 


 "「……さぁ。お父さんに生地くらいは渡してるけどね。染色は知らないよ」"


 "「デザインもあなたが?」"


 "「全部じゃないけどね」"


 


 しかし、昨日の静子さんとの会話の後、取り上げられたという番組の確認を識としている。そこには赤崎甚平の旧性、間宮甚平の名もあった。


 東都家政大学の服飾過程を収める間宮甚平は、その仕立ての速さから本当に天才と扱われていたらしい。


 まだ、どちらが嘘を吐いているのか、判断をするのは早い。


 


「昨夜からこの話を伺いたかった。お時間をいただき恐縮です」


 


「昨日は夜通し家で作業していてね。今日は休養日なんだ」


 


「休養日にまで会合とは……お疲れ様です」


 


「はは。ほとんどただの飲み会だがね」


 


 朗らかに話す様子からも彼が殺人を行っているようには見えない。現状いる赤崎家の家族全員が人当たりがいいことに困惑する。商いの家系というより商人が近いはずなのだが。まぁ、殺人鬼だからといって皆が皆分かりやすくいてはくれないのだろう。


 


 そのお陰か有益な情報も取れた。赤崎甚平が仮に本当に家にいたとするならば、昨晩門が音を立てなかったことから甚平、静子、卓には犯行は不可能なように思う。


 


「こういう地域特有の繋がりってなんかいいですよね。羨ましいです」


 


「そうかい?」


 


「はい。こっちはなんていうか……冷たい感じがします。なっ、識」


 


「えぇ。そうですね。家の隣人の名前すら知りません」


 


「お前の隣の家は俺だろうが……!」


 


「あなたの家は私の家ですよ?」


 


「至極当然のように強奪!?」


 


 なんとなく緊張しているのか口数の少ない識に話を振ってみるととんでもない返しをされた。


 いつもの冗談だと思って突っ込もうとするが当の識はキョトン顔。


 まさかほんとに俺のものは私のものとか考えてるんじゃないだろうな……。


 


「はは、でもなんとなく分かるさ。田舎の人には名前がある、という言葉があってね」


 


「名前がある?」


 


「あぁ。名前がある、って何を当たり前のことをって思うだろう?」


 


「えぇ。まぁ」


 


「でも、当たり前じゃないんだ」


 


「というと?」


 


「私も昔はビル街に住んでいたことがあってね。こう見えてシティボーイだったんだ」


 


「大学時代ですか?」


 


「おうとも」


 


 赤崎甚平が通っていた東都家政大学は俺たちの住所以上に大都会だ。日本の首都に位置するだけのことはある。そこに暮らしていたというのなら、一聴の価値がある言葉な気がした。


 存外、俺は年長者の話を聞くのが好きなんだ。無駄に食って掛かる識がいるせいで中々そんな時間はとれないが、自分の知識が増えていくようでなんとも気持ちいい。


 俺は、少し楽しみな気持ちで続きを聞く。


 甚平氏は少し微笑みながら、昔を懐かしむように語る。


 


「都会にいる頃は、マンションの隣の部屋の人の名前も知らなかった。まるでそこに誰もいないかのようにね」


「」


「それは……なんとなく分かります」


 


「それだけならまだいい。でも、それと同じように隣の部屋の人も私の名前を知らないんだ。それがなんとも物悲しくてね」


 


「一人暮らしならそういうものですか」


 


「家族には感謝しなさい」


 


 俺には今は家族はいない。それを今ここで言うのは野暮な気がした。


 それでも俺がそんな寂寥感を覚えずに済んでいるのは、それこそ識がいるからか。


 悔しいがそこだけは素直に認める。


 


「逆にね、田舎の人はみんな名前がある。通りすがりの小学生すら私に挨拶をしてくれるし、遠くでトラクターを運転する人すら、大きな声で声掛けしてくれる」


 


「それは……地区長の人徳ってやつですか」


 


「いや、私も初めから地区長ではないからね」


 


 言われて思い出す。赤崎甚平は確か赤崎静子の婿養子として鶴羽農村地区に来たんだったか。


 


「そんな私にも声をかけてくれた。合う合わないはあると思うがね。間違いなく私にとっては素晴らしい環境だ」


 


「興味深いお話です」


 


 そこで、扉の向こうがガヤガヤと騒がしくなってくるのが聞こえた。そろそろ飲み会の時間なんだろう。赤崎甚平氏がこの土地を愛していることがなんとなく伝わってきた。


 


「ありがとうござい「最後に一つお聞きしても?」


 


 会話を終えようとすると識が食い気味に挟んでくる。ここまで静観を貫いてきた識がここで質問をしてきた。


 息を飲む。喉がなる。俺は緊張していた。


 


「あ、あぁ。構わないとも」


 


「鶴羽農村地区は数年前まで再開発対象都市だったはずです。そこで鶴羽染めを出した。元から構想として鶴羽染めはあったんでしょうか? それとも地域創成として新たに開発したのでしょうか?」


 


 


 


 


「……元からあったものだよ」


 


「……そうですか。それだけ聞ければ充分です。本日はありがとうございました」


 


 


 


 


 そうして、俺たちは市民会館を後にした。


 


 


 


 


 


 


 


 ◇


 


 


「最後の質問っていったい何だったんだよ?」


 


 帰り道、俺たちは今回の事件について整理することにした。その一環で最後の質問の意図が気になった。


 


「あら、あなたなら少し考えれば分かりますよ」


 


 しかし識はいまいち答えをくれない。時間が出来たから自分で推理してみろ、ということらしい。


 


「まずは事件の整理をしましょう。簡単に。そうですね、5W1Hでまとめましょうか」


 


「それって"いつ" "どこで" "誰が" "何を" "なぜ" "どのように"ってやつだよな」


 


「はい。事件の情報も集まってきましたからね」


 


 識はパチッとウインクをする。


 本当に黙っていれば可愛いのだが。


 言われて少し試案してみる。依頼の手紙、容疑者の会話、流れる臓器。


 考えることは多そうだ。


 


「まずはこの村では、何が起きていますか?」


 


「えっと、川から臓器が流れてくる。だよな」


 


「正解です。流石に目的は忘れていないようですね」


 


「そこまで鳥頭じゃない」


 


「ほぅ。では、流れて来る時間はいつでしょう?」


 


「えっと……いや、明確には分からないだろ。あちこちパーツは流れているんだし」


 


 川には骨や皮の切れ端が散見される。時間帯の絞り込みは厳しい。


 俺はそう結論付けていたが識はその回答に不満顔。大方俺が思考停止したことが気に食わないんだろう。


 このままでは何をされるか分かったものじゃないので考えてみる。


 すると、意外にも答えはあった。


 


「……臓器が流れてきた時間。朝七時頃?」


 


「考えれば分かったでしょう?」


 


 識のやれやれといった顔が腹立たしいが、確かに見落としていた。


 パーツは流れていても、浮力の大きい臓器はすぐに流れてしまう。


 つまり、俺たちが朝の散歩で臓器を見かけた時間の周辺で殺害、もしくは解体したというのが妥当だろうか。


 つまり、朝七時。


 


「次に、どこで解体は行われたのでしょう」


 


「それくらい俺にだって分かるぞ。あの水車小屋だ」


 


「では、そのどこ?」


 


 言われて言葉に詰まる。水車小屋に入った時のことを思い浮かべる。


 "声に促されるままに水車小屋に足を踏み入れる。


 簡素な木製の扉をガラガラと開くと、思いの外生活感に溢れた和室が姿を見せた。


 血みどろの内観を予想しただけに少し拍子抜けする。"


 どこにも解体の気配はなかった。


 


「ん~……川の周囲に落ちてた骨が小屋の上流には一切なかったんだからあそこには間違いないと思うんだが、中は普通の家だったからなぁ」


 


「そこです」


 


「え?」


 


 識は指をピンと立てて指摘する。始まった。識の推理タイムだ。


 普段のわがままお姫様な識はどうにも好きになれそうにないが、この時のキラキラした瞳は綺麗で、好きだ。


 


「あの小屋は水車小屋でした。では、その水力は何に使っているんでしょう?」


 


「あっ……"揚水、脱穀、製粉、機械を回す原動機"」


 


「私の言葉を覚えていましたか。いい子ですね。撫でてさしあげましょうか?」


 


「いらんわ!」


 


「あら、残念」


 


 識は言葉ほど残念ではなさそうな素振りで腕を後ろに組む。


 その間に俺は顎に手を当てて考える。つまり、本来は小屋の中に水車の歯車で動くものがあるはずなのだ。


 だが、あの部屋にあった織機は足踏み式で外部の動力を必要としていない。


 


「……ダメだ。分からん」


 


「ふふ、情けないですね」


 


「……識は分かってるのかよ?」


 


「はい。隠し部屋です」


 


「は? そんなフィクションみたいなもんが……?」


 


「外観からも感じたはずですよ」


 


 識に指摘され、そういえばと思い出す。


 "小屋は一軒家程の広さであるが外観より小さく見え、玄関にはアルコール消毒とウェットティッシュがある。"


 確かに、外観より小さかった。とするとそこに別の部屋があることに説得力がある。


 


「……納得した」


 


「はい♪ じゃあ問題です。誰が、を答えてください」


 


「もう情報足りてるのか!? 誰が殺したのかって!?」


 


「きゃっ。もう、がっつかないで下さい。まだお外ですよ?」


 


「襲おうとはしてない! で、誰なんだ」


 


「推測は出ていますがまだ時期尚早ですよ」


 


「なら、何を……」


 


「被害者です。誰が、殺されているのかを考えてみてください」


 


「誰って……まだ誰がこの村にいるのかも分かり切ってないのに断定出来ないだろ」


 


「出来ますよ」


 


 識の視線は本気だった。それは確信を持っている声で、俺は少し恐ろしい。


 この少女には一体どこまで見えているというんだろうか。


 視線を逸らせない。そんな俺に識は真剣に語りかける。


 


 


「この解答が、"遺物"の正体を断定する決定的な手がかりです」


 


 この推理は、カギを握りそうだった。

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