第12話

 とぼとぼと歩いている間に、雨は本降りとなってきた。


 穴からはウォータースライダーのごとく流れる水が見えた。斜面はひどくぬかるんでいて、木を支えにしないとすぐに足を取られてしまいそうだ。


 そんななかを必死に歩いていく。


 ヒトの声も、化け物の声もしない。雨で諦めたのだろうか。あるいは別のところを探しているのか。


 どちらにしても、僕にとっては好都合。――戻った体力なんて、たかが知れている。今度追いかけられたら、どうなるかは目に見えていた。


 問題は、どこに遺跡があるのかわからないってことだ。そもそも、自分がどこにいるのかさえわかっていない。ほとんど遭難だった。


 それでも、ただ足を動かす。体は疲れているのに不思議と動いた。まるで、見えない糸にでも引っ張られているかのように。


 その糸の先には、神様がいるのだろう。


 なぜなら、ほどなくして、広い場所に突き当たったから。


 広いひろい場所だ。野球場ほどの広さには、いくつも重機が置かれており、雨に打たれてずぶぬれになっていた。


 またしても直感が降ってきた。


「ここが……」


 遺跡に違いない。まわりに誰がいるかもわからない。だというのに、僕の足は広場へと歩みだしていた。


 その空間は土木作業で生まれたのだろう。斜面を切りだした地面は水平。踏み固められた地面は、ほとんどゆるんでいない。


 先へと進んでいけば、開発が進んでいないあるがままの斜面が見えてくる。


 はたして、遺跡はあった。


 山に埋もれるようにして存在する、「Π」というギリシャ文字のように石を積み上げられてできた入口。その先は、完全なる闇に包まれまったくわからなかった。


 入口の目前まで近づき、気絶している間も握りしめていた懐中電灯を向ける。


 中は丸い形をしているらしい。かまくらみたいな壁には、極彩色の壁画が描かれているのが、ちらりと見えた。


 僕はその中へと入る。


 中はそれほど広くはない。それこそ、かまくらくらいの広さしかなく、入ればそれで先はなかった。


 つるりとした壁面へ光を向ければ、壁いっぱいに描かれた原始的な絵が見えてくる。


 それは一枚の絵巻のようなものだった。黒い棒人間が、空を仰いでいる。その先には、七色に輝く球体が無数にも描かれており、複数の棒人間が平伏していた。


 不知火しらぬいという単語が頭をよぎった。だが違うとも思った。不知火は漁火いさりびである。その都合上、必ず海の上に生まれるのだ。


 だが、この絵に描かれた虹色の光は、それとは異なり、山の頂上に鎮座するように現れていた。


 これが何を意味するのか。


「ん……?」


 石造りの床に、くしゃくしゃになって変色した紙が落ちていた。


 拾い上げれば、破り取られなくなっていた祖父の手帳の一部分だとわかった。青い万年筆の文字は風雨のせいか、滲みかすれてはいたものの、なんとか読めそうであった。


 そこに書かれていたのは、有久島ありひさじまの歴史についての祖父の考えであった。






 まず、有久島は火山活動によって生まれた。すくなくとも、旧石器時代には氷という名の大地が存在し、少なくない人間がこの有久島に移り住んだ。これは島の遺跡から出土したものからもわかることである。


 だが、突飛もない考えがここで出てくる。


 祖父は、この島がそれ以前より、なんらかの知的生命体によって運用されていたと考えていた。


 どのような知的生命体かはわからない。南極で見つかったとされる、植物とも動物ともつかない生命体か、宇宙から飛来したという昆虫か。――はたまた、南方の島々で見つかる魚とニンゲンが合体したかのような存在か。


 最後のものに、印がついている。


 ――これが、アイツらであるとするならば、一度去って、またやってきたことになり、おかしい。


 知的生命体存在の理由については、環状列石が、明らかに高度な技術によって建造されていたから。原子顕微鏡で見ても、断面は綺麗である。また、見たことのない放射性同位体ラジオアイソトープが確認された。


 本来、環状列石が宗教的遺跡群でもっとも古いものだと、祖父は考えていた。だが、この遺跡の発見がそれを覆した。


 ――この島では、二柱の神が信仰されていた。突如飛来した光と、海の恵みを約束する神。前者の歴史は古く、後者は平安から鎌倉時代にかけて急速に勢力を拡大したと考えられる。


 人々が神を乗り換えたのは、不漁という喫緊きっきんの問題。それから、光る球のような神様が最初期にしか現れなかったことがあげられる。今回見つかったような旧石器時代の遺跡にのみ描かれていることからも、それがうかがえる……云々。


 ページの最後には、荒々しい筆跡でこのようなことが書かれていた。


 もしも、アイツらがやっている『不知火』が、この球神の飛来を模倣しているのだとしたら、海で行うのが奇妙だ。壁画では、光は山の中腹に位置しているのだから。


 ――アイツらは、過去の神話を上書きした?






 それを最後に、メモは終わっていた。


 肉体的にも精神的にも疲弊していた僕には、言葉は理解できても内容まではよくわからなかった。


 外がにわかに騒がしくなってきた。


 思わずライトを消せば、漆黒が僕を包み込む。


 ぼんやりとほのかに明るい外へと顔だけ出せば、遺跡のまわりをとり囲むように無数の音が響いていた。


 ヒトの足音、ペタペタというヒトならざる存在の足音、スライムじみた生命体の奇怪な泣き声が雨の中にこだまする。


 それは、だんだんとこちら側へと近づいてくる。ここに僕がいると確信しているかのように。


 雨はいつの間にか小降りになっていた。地面にはべっとりと泥まみれの足跡が残っているのが見えた。それをたどってきたらしい。


 今から逃げるか――しかし、音は取り囲むように周囲から聞こえる。実際、包囲されているに違いない。


 だが、魑魅魍魎ちみもうりょうの声はすれども、それそのものはやってこなかった。


 いや、前方に傘を差した人影が近づいてくる。


 夜の闇に溶けこむほど、全身を黒で統一した人物。


 一瞬、僕は身構えた。だが、その人が目の前にやってくれば、スーツ姿の女性であることがわかった。


真子しんこさん――」


「はい」


 どこまでも真っ黒な真子さんが返事をした。

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