第9話
夜。
僕の頭の中に引っかかっていたことがある。
午前中に見た、あの不思議な岩々だ。脳裏にこびりついた、円形に並ぶ岩たちは不気味でありながらも、なぜか心惹かれるものがあった。
好奇心は猫をも殺す――でも、ウキウキとした気分はそんなものじゃない。
故郷に戻ってきた時のような、心弾むもので。
気になることは他にもあった。
なぜ祖父は、人里離れた場所に住んでいたのか。
なぜ、
僕はソファから立ち上がる。
リビングには小さ目の本棚があった。そこには、民俗学的な本がいろいろ並んでいる。
『日本書紀』『平家物語』『遠野物語』……などなどなら僕にもわかった。
それらには、海が関係していない。すくなくとも、中心にはすえられていない。
だが、ほかの場所。例えば深海食堂に用意されているものは、海を連想させるものが置かれていた。『海底二万里』や『老人と海』、『白鯨』……。名作だけではなく、僕が知らないようなものにいたるまで。
斎場にまで置かれているということは、人々に好かれてるってことだろう。島民の誰もが読むってこと。
そして、僕が気に入っている本でもあった。
この類似点が妙に気になる。婿養子にやってきたらしいおじいちゃんが、その手の本を有していない点を加味して。
本をパラパラとめくっていると、ページとページの間からころりとなにかが滑り落ちる。
「これは……」
星のかたちにも似た古めかしいお守りがぶら下がる、カギだった。
そのカギを使えば、開かなかった書斎がキイと開く。
パッと見は乱雑に散らかった部屋だった。本の雪崩が起きたかのような部屋は、よく見れば、わざとそうしてあろうことがわかる。当のように積み上げられていた本たちは、一定方向に背表紙を向けていた。
そればかりか周囲には本棚があったが、そこも本でいっぱいである。そのどれもが難解そうな印象のものばかり。おそらくは学術的な本なんだろう。
奥の方には、紙束に埋もれるように机があった。木製のずっしりとしたやつは、意外にも整頓されている。
そのさっぱりとした机の上には、一冊の手帳が置かれていた。
何の変哲もない革張りの手帳。黒々とした表紙をなぞれば、ひんやりとしてつめたい。
人の手帳を勝手に読む。やってはいけないことだとは思いつつ、表紙をめくった。
そこに書いてあることを、すべて目を通したわけではない。
約1世紀にわたる祖父が毎日欠かさずつけていた日記には、重みがあり、隅々まで読めば、1日では済まない。
だから、肝心なところだけ読むことにした。
祖父が
有久島で発見したこと。
それらを要約すれば、奇妙な土着信仰が存在していたということであった。歴史資料館にもあった、平有久によって伝えられたとされる、
――岩礁にあった、あのストーンサークル。
アレがそうに違いない。だが、そのような信仰を、僕は目にしたことがない。島民も、
僕はページをめくる。
その先には、その海神信仰の詳細が記されていた。海神はたくさんの首を持っているとされ、島民はそれらの子孫であり、最終的には海の底で眠りにつく
貼り付けられた付箋には、
『九頭竜は内陸で信仰されることがほとんどである、それなのになぜ海に囲まれた島で。
『聞き込んだ結果、有久島では九頭竜を〈くとと〉と呼ぶらしい。戦時中訪れた南方の島では〈とぅとぅ〉なる神を信仰する原住民がいたが、関連は?』
とあった。
どういうことなのだろう。また、ページをめくる。
だが、それ以上、海神信仰のことは出てこなくなる。僕の祖母に当たる女性と結婚したタイミングと前後してのことである。
それから、祖父は甲田右京から平右京へと変わった。つまり、平家の婿養子となったのだ。
そのいきさつについては、やはり日記には書かれていない。はじめて彼女ができ、フラれ、大学に進学したことさえ書いている人間が、であった。
わざと書いてないとしか思えなかった。
それから先、何か信仰にまつわることはないかと、パラパラとページをめくっていると、
祖父と祖母のこどもが生まれたのだ。
そのことについて、祖父は喜んでいる。喜んでいるのだが同時に悲しんでもいた。それは震える筆跡からも伝わった。
「『娘もアイツらのように――?』」
強い風が吹き、窓ガラスがビリビリと揺れる。天気予報は、今日の夜から急速に悪くなっていくと言っていたっけ。
スマホを手に取り、天気予報を確認しようとして気がついた。
「圏外……」
天候悪化のせいだろう。電波が通じなくなっている。思わず舌打ちしてしまったが、しょうがない。ポケットにスマホを突っこんだ。
ログハウスに吹き寄せる風に急かされるようにして、僕はパラパラとページをめくっていく。母が成長し、島外へ進学したいと言ったとき、平家の人間の多くが反対した中で、祖父は母の味方をしたらしい。
それで、母は島を出た。その時のことを祖父は、これでよかったのだろうか、と書いている。
――島を出ても娘がアイツらであることには変わらない。ならば、その子どもは?
「僕が」
母の息子である僕は、祖父のいうところのアイツらなのか。
そもそも、アイツらとはいったい誰のことを指しているのか。
次から次に疑問が出てくる。その答えが祖父の手帳には遺されている気がして、めくる手が止まらない。
そして、僕はその単語を見つけた。
「不知火」
不知火のことは、それ以前にもたびたび出ていた。
この島には、謎の光る物体がたびたび出現するのだ。怨霊だとか人魂だとか、あるいは神の使いという説もあった。
だが、なによりも祖父の興味を惹いたのは、その目撃情報をたどれば旧石器時代にまで
すくなくとも、平有久が島に隠れ住む前からは存在していた。それは、洞窟に描かれた壁画からもわかるらしい。
祖父は島の不知火について調査し、何事かを発見した。
だが、そのことについて、手帳では触れられていない。いや、触れられた部分が、ほかならない書き手によって引きちぎられていた。
「おじいちゃんはいったい何を……」
ゴロゴロと窓の外で鳴った。窓を覆うほこりっぽいカーテンの隙間から空を見れば、闇のなかでもはっきりとわかるほどの雲があった。いつ雨が降ってもおかしくなかった。
でも、今は降っていない。
もしかしたら、今日、不知火が見えるかもしれない。
二階のベランダは、白昼夢で見たのと同じものである。実際は逆だろう。最初に祖父の家を探索してから、眠りについたのだから。
イスが二つ、テーブルのような木の株がひとつ。
僕は椅子に座る。
眼前には、闇が広がっている。森と打ち捨てられた畑と、遠くの方にちょっぴり見える海。
その海が、ぼんやりと燐光を放っていた。
「え――」
瞬きしても、なおも輝き続ける光は、オレンジ色。暗闇をぼんやりと照らしている。
それが、不知火かどうかはわからない。ゆらゆら揺れる火の玉のような光があるわけではない。
だけども。
体の中の何かが、行かなければならないと、訴えかけてきた。
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