第8話
祖父のお葬式がはじまるのは、午後二時。それから、近くの墓場へ向かう。
ここ
今どき珍しいと思わないでもない。僕が住んでる神谷木市、そこを治めていたとされる幼なじみの家だって、土葬じゃなかった。
そんなことを思いながら、海岸線沿いに歩いていく。昨日行った歴史資料館を通りすぎて少し行けば、舗装されていた道が一本になり、ついにはコンクリートのひび割れたものになる。
背後を振り返れば、港は見えない。ということは港からもこっちは見えないということ。
観光客に見えているところだけを、綺麗にしてるのか。
だが、体面だけでも取り繕うとするのは、何も不思議なことじゃない。なのに、この胸からとめどなく噴き出してくる不安はなんだ。
せっつく感情の源はわからない。わからないが、足は戸惑う僕を運ぶかのように、右左みぎひだりと規則正しく動いていた。
海はわずかに騒がしい。遠くの空には、夏の残り香のような分厚い雲が迫ってこようとしている。
島の方は、背の高い草が風に揺られていた。そこここに朽ち果てた柵が見えた。木々に囲われる形の建物は半壊。ほかにも古めかしいトラクターが、茶色く変色していた。
……人の気配かと思って、身構えたものの、
「こっちには人が住んでないのかな」
港とは比較にならないほど、建物はボロボロで、文化的な生活を行っている存在が住んでいないことは、だれの目にも明らかだった。
さらに奥へと進む。
コンクリートの道は、今や砂利道と変わらないほどにデコボコ。世界の終わりのように、隙間からはたくましい雑草が好き勝手に伸びている。
海を見れば、鋭い岩礁がいくつも見えている。島の右側は、砂浜であったり護岸だったりがあったが、左側は手つかずの自然が残されているらしい。
しばらく歩いていると。
立ち入り禁止。
そう書かれた看板が目に入る。
日に焼け褪めた看板には<
「…………」
僕はその先に広がる、人の手が入っていない原風景に踏み出す。
道はすでに獣道と化していた。
左右の背の高い草が、覆いかぶさってきてうっとおしい。道かもわからないような道は、おそらくヒトの行き来があるのだろう踏み固められている。
海は、先ほどよりも近くなっているらしい。そよぐ風に乗って、べたついた潮の臭いがした。
不意に、視界が晴れる。
眼前に広がるのは、海岸線に沿って伸びる、ゴルフ場のようなだだっ広い空間。傾斜した地面には背の低い雑草が伸びており、どこからやってきたのかウシが草を
その牧歌的な空気とは裏腹に、右側の海岸線はその険しさを増しており、ほとんど崖のようになっている。
と、白波がしぶきとなって砕け散る岩場に、目が吸い込まれる。
「なんだあれ……」
明らかに、自然にできたとは思われない物質がそこにはあった。
円形に岩が並んでいた。綺麗に並んでいることもさることながら、その岩はロッカーのように四角四面で、侵食や風化でできたものとは到底思えなかった。
色は黒。つるりとした表面には、上りつつある太陽が、黒光りして映っている。
何か怖気のようなものが走る。それほど寒いというわけではないのに、体が震えた。
その環状の岩々が、何か超自然的な存在の手によって、生み出されたもののように感じられてならない。
不意に、磯くさい風を感じる。
途端、ウシがか弱い鳴き声を上げる。そのつぶらな瞳は、まるで出荷されていく仲間を見るような怯えたものであった。
怯えたようにそわそわする家畜を見ていると僕も不安になってきた。
風とともに鳥の鳴き声がする。甲高い鳴き声は、岩壁の方からしている。その岩肌で響きあい増幅するその声は、どこか人の声にも聞こえなくもなかった。
――テテイケデテイケテテリケ……。
それはだんだんと、僕の方へと近づいていているように思われた。
ウシが半狂乱となり、森へと走りだす。
それがきっかけとなって、僕も港方向へと駆け出した。
「疲れきった様子ですが、いかがしましたか」
隅の席に座る
ここは深海食堂。あの後すぐ、僕は彼女に連絡した。時刻は午前十一時と少し。まだ約束の時間には時間があったが、とにかく人と話をしたかった。
話ができれば誰でもよかった。
果たして真子さんはすぐにやってきて、食事でもいかがですか、というわけである。
「散歩してたから疲れて」
「連絡していただければ連れて行きましたのに」
「毎回毎回呼ぶのは申しわけないから。それにちょっとはからだを動かさないとなまっちゃうし」
別にスポーツマンというわけではないが、僕はそう言ってみる。ちなみに僕は、部活動に参加していない。だらしない体形というわけではないが、ガリガリというわけでもないつもりである。……たぶん。
目の前には、鮭の塩焼きが並んでいる。ほどよく焦げた深紅の切り身はおいしそうではあったが、どうにも食欲がわかなかった。
対面に座る真子さんは、アジの開きを器用に箸で突っついている。あれよあれよという間に、開きは骨だけになっていく。
「バカが――」
不意に飛び込んできた言葉に、僕は息を飲む。バカと言われたのだろうか。でもどうして、もしかして、さきほど私有地に入ったところを見られていたとか……。
だが、違ったらしい。真子さんは取り繕うように咳ばらいを一度し、
「失礼。オナモミがついていますよ」
真子さんは箸をおき、僕の服を指さした。
そこには、褐色のトゲトゲがくっついていた。それは確かに「バカ」と呼ばれる植物の種であった。幼なじみは「ひっつきむし」って呼んでたっけ。
僕はそれをつまみ上げ、テーブルの上に置く。どこでついたのかなんて考えるまでもない。
顔を上げれば、真子さんの瞳が降り注いでくる。彼女の目は、どこでそのようなものを、と言っているように思われた。
水圧のような沈黙があたりに押し寄せてくる。食器と箸がぶつかるカチャカチャという音だけが、場違いに響く。
「あ、あはは……どこでくっついただろ」
僕は頭をかきながら、なんとか絞り出す。真子さんは僕のことをじぃっと見つめていたけれども。
「歩いているときにでしょうね。オナモミはそこらに生えていますから」
と言い、みそ汁をすすった。
すりつぶすような重圧は、いつの間にか霧散していた。
僕のか、あるいはほかの客のものか。誰とも知れないため息が、こだました。
その後、僕はログハウスへ戻り、制服に着替えた。喪服なんてものは持ってないし、買うような時間も金銭的余裕もなかった。黒っぽいし、許してほしい。
昨日の早朝、お通夜が行われていた斎場で、お葬式は行われる。
人は少なかった。これまた、身内だけで執り行われるようである。
その中に、真子さんとそっくりな顔は――愛弓さんの姿はない。市議会議員ということもあって忙しいのかもしれなかった。
お葬式は粛々と進んでいく。別段変わったことはない。聞いたことのあるお経が読み上げられ、僕たちはお焼香を上げる……。
それが終わると、墓場まで行く。今ではあんまり見ない、金の神輿か矢倉のような霊柩車に祖父の棺は載せられ、発進。その後に真子さんの運転する車が続く。
海岸線を進むこと少し。
ちょっとした高台に陰気な雰囲気をただよわせた空間が目に入ってくる。特段変わったわけではないが、何か空気が変わったような気がした。
……今思えば、そこは島の左側だったのかもしれない。
車が停車する。
僕らが車から降りる頃には、霊きゅう車から棺は降ろされている。色あせたスーツに身を包んだ葬儀場の人間は、陰鬱とした雰囲気で棺を担ぎ、墓地へと進んでいく。
まるで、地獄への大名行列のよう。
先導する棺が止まる。そこには、大穴が開いている。その奥には墓石があり、おじいちゃんの名前が刻まれていた。
皆の前で、葬儀場の人間はアピールとばかりに立てかけてあったシャベルで穴を掘り、僕たちにも順繰りに掘らせ、それから棺を安置した。
その桐の棺が土におおわれきったころには、空は不吉なほど真っ赤に染まっていた。
それから、解散となった。
僕はちいさくなっていく墓地を後部座席から振り返って。
「土葬って珍しいです」
「らしいですね」
会話は続かなかった。
これから、何かが起こるのではないかと思われるような、そんな嵐の前の静けさのような空気をヒシヒシ感じた。
車は港を過ぎ、山の中へと入っていく。
「凪さん」
「えっと、はい」
はじめて名前を呼ばれた。僕は思わず、背筋を伸ばす。無感情な言葉だが、それでも緊張した。
「首を突っ込まない方がよろしいですよ」
「それは……お告げですか」
「いえ」ミラー越しの瞳が、確かに僕を見た。「予感です」
「どんな予感か聞いても?」
「破滅的な予感――とでも言っておきます」
僕は、何かを言おうとした。たぶん、予感の内容を聞こうとしたのだ。
だがその前に、車が止まった。
「到着しました」
有無を言わせぬ口調で、そう言った。
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