第6話

 まず訪れたのは、天然記念物にも指定されているソテツの大樹である。ヤシの木をほうふつとさせる太い幹、その表面は硬く鋭い針のようなウロコに覆われている。


 先端からは、やはりヤシのような葉が噴水のようについていた。だが、ロケットのように突き出した雄しべを見れば、違いは一目瞭然だろう。


 看板には、花が咲いたときに願いが叶う、という言い伝えが紹介されていたが、残念なことに開花していなかった。


 次にやってきたのは、


「ここは」


平有久たいらのありひさが生活していたとされる建物です」


 僕の前には、一軒の古めかしい建物がある。木造建築のそれほど大きくはない平屋。質素ながら丈夫そうな木の門があった。ほかにも石垣が家を取り囲んでいる。


 門をくぐった先には、看板が立っている。そこには、平家の落人おちうど伝説についてのことが書かれていた。少し前に歴史資料館で見た内容とほとんど変わらない。


 ただ、気になる一文があった。


『平有久がやってくる直前、島は不漁続きだった。餓死してしまうものもいたが、島民を救ったのが有久だった。彼が祈ると、たちまち魚が取れるようになり、有久は次第に権力を得ていった……』


 そのような内容の文だ。


 あくまで伝説である。実際にそのようなことがあったわけではないだろう。


 だが、無性に気になった。胸がざわついた。


真子しんこさんは信じてる?」


 僕は隣に立って、建物を見上げている真子さんに聞いてみた。


「いえ」


 その声はあまりに平板すぎて、肯定だか否定だか判別がつかなかった。






 そんな感じで、僕は真子しんこさんに島中を案内してもらった。


 正確には、島の右半分。自生する植物とか、歴史のある建物だとかを見ているうちに、日はとっぷりと暮れ、空にはカラスの鳴き声が響いている。


「今日はここまでにいたしましょう」


 港前のスーパー「福原京ふくはらきょう」の駐車場で、真子さんが言った。


 昼頃来た時には見えていた醍醐丸だいごまるの船体は、影ひとつない。もう、出航したあとなのだろう。


 周囲には人の姿がちらほらとある。そのほとんどは島民。スーパーに入っていくマイバックを持った若い女性。やかましい音を垂れ流すパチンコ屋には、おじいちゃんが吸い込まれていった。


 何気ない日常だ。


 それなのに、どうしてこうも不安になるのだろう。


 こみ上げてくるのは、灼熱にも似た焦燥感。それがどこからくるものなのか、わからない。


 だけども、このままではよくない。


 僕の知らない僕が、そう訴えかけてきているようで。


「夕食はいかがしますか。ちょっと早いですが、深海食堂で食べますか」


 真子さんの問いかけに、僕はすぐには返事をしなかった。


 スマホを見れば、時刻は午後六時になろうとしている。日は半ば海の中へと沈み込んでおり、港も血を浴びたように真っ赤だ。


「そこのスーパーでなんか買って帰ります」


 僕がそう答えれば、真子さんはほんの一瞬考えこんで、首を縦に振る。






 福原京というスーパーは、僕が知っているスーパーとなんら変わらなかった。売っているものが人の肉であることはない。クジラの肉はあったが。


 カップ麺と、カニのかたちをしたクリームパンといくつかの飲み物を買う。飲み物は自販機で買えるけど、古めかしく薄汚れた自販機は、闇夜にぼんやりと立っていて、幽霊のよう。蛾もブンブンたかっていて、夜なんて近寄りがたかった。


 買い物を終えスーパーを出れば、真子しんこさんの車が停まったままになっていた。僕のことを待っていたらしい。


「歩いて帰るつもりだったのに」


「夜は危険ですから」


「こんなにのどかですけど……」


 返事はなかった。真子さんは、じっと暗闇の底に沈んだような森を見ていた。まるで、そこによくないものがいると言わんばかりに。


 でも、同じように見つめても、そこには何もいない。野生動物も、見たことのないようなバケモノだっていやしなかった。


「真子さん……?」


「ああ、すみません。少し考え事をしていました。――ワタシとしては乗っていただきたいところなのですが」


 その言葉には、同じ言葉を繰り返すNPCのような調子があった。


 僕は頷いた。車に乗ることはいいけれども、なぜそこまで強情なのかが理解できなかった。


 祖父のログハウスまでは、めちゃくちゃ離れているというわけではない。それなのにどうして。


 疑問は絶えなかったけれども、とりあえず、


「ちょっと待ってください」


「いかがしましたか」


「真子さんの飲み物を買ってきます。なにがいいですか」


 と、僕が聞いたら、真子さんは不思議そうに首をかしげるのだった。






「では明日は昼頃に来ますので」


 缶コーヒーをワイングラスのように掲げ、真子さんは去っていった。


 夜の闇に浮かびあがるテールランプの軌跡が見えなくなったところで、僕はログハウスの中へと入る。


 ホコリっぽい建物の中に入ると、なぜかホッとした。空気でいえば、こっちのほうがおどろおどろしい。いたるところに、古めかしいマスクやら置物やら道具やらが置かれていて、禍々しさすら感じてしまう。


 でも、不思議なことに、包み込んでくる重圧というものがない。


 自然、息がこぼれた。その声が聞こえるほどに、ログハウス内は静かだった。


 リビングへと向かう。ガスコンロで湯を沸かし、カップ麺に注ぐ。お茶を飲み、三分経った麺をすする……。


 健康的とはいえない食事を終えて、シャワーを浴びる。


 時刻は午後七時を半分ほど回ったところ。テレビをつけてみるが、ノイズまみれだった。そういえば、島内では電波が繋がりにくいみたいなことを醍醐丸の中で放送があった。


 スマホを取りだしてみると、アンテナは二本しか立っていない。晴天でこれだったら、雨の時はどうなってしまうのやら。


 それにしても、暇だ。


「寝るか……」


 やることもない。それに、昨日はほぼ徹夜みたいなものだったからか、今日になっても眠気がひどかった。


 二階へと上がって、寝室に入る。


 ホコリっぽいベッドに身を投げ出せば、気を失うみたいに僕は眠りへと落ちていくのだった。






 ふたたび、夢を見た。


 その夢は死に別れた両親も祖父も幼なじみさえ出てこない、不思議な夢だった。


 周囲にはただ、青がある。


 一面の青の中をただただ沈んでいく夢。


 それが夢だと認識できたのは、もちろん目覚めてからのこと。その夢は、だれかが見ている光景を、見させられているかのようなリアリティがあった。


 青から蒼へ、蒼から藍へ。沈めば沈むほどにブルーは濃く、ブラックに近づいていく。


 上からは、パウダースノーが雲もないのに降ってきて、僕を包みこみ、底知れぬ闇のなかへと消えていく。


 そこが深海だと理解したのは、奇妙な生命体が姿を現したから。


 形状からいえば、魚類には違いない。だが、その目は落ちくぼみ、その歯は恐竜のように鋭い。それなのに、体はつるつるとしたゼラチンのような物質におおわれていて、どことなくやわらかそう。その異質さが、ここが通常の海ではない、ずっとずっと深いところなのだと教えてくれた。


 その魚は、僕のことなど気にも留めず、すぅっと下へ泳いでいく。あるいは、先導するかのようにも見えた。


 はたして、底が見えてくる。とげとげとした海底――いや違う。


 それは、城だった。いや、城というのは正確ではないかもしれない。なぜなら、その塔のような形をした物体には、ねじれたような窓があった。ひさしがあり、歪んだ星のような文様が刻みこまれた柱は、明らかにそれが大地にあった証拠。


 なにより、それは塔にしてはあまりにすそ野が大きすぎる。例えるなら、富士山のような形をしていた。


 複数の建築物が集合し、できた都市国家《メトロポリス》。


 そう思ったのは、窓を潜りぬけてきた人型の存在が目に入ったからだ。


 ヌメヌメとした、おおよそヒトとは思えないそいつが近づいてきて――僕は夢という海から浮上するのだった。

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