第4話
資料館とか博物館っていうのは、常設展と特別展の二つをやっているものだけど、ここは前者だけ。有久島の歴史しか、行っていないらしい。
順路の案内に従って、僕は絨毯の上を歩いていく。
一つ目の部屋には、この有久島の成り立ちがまとめられていた。火山が爆発し、その後、縄文人がやってきた。
透明なケースの中には、カマボコのような形をした石が展示されている。「丸みの形石斧(せきふ)」というらしい。キャプションには、発見者の名前が書いてあった。
甲田右京。
「右京……」
この奇妙な一致に、心がざわめかずにはいられなかった。右京といえば、おじいちゃんの名前だ。
このキャプションには名前しか書いてなかったが、次の部屋はそうではなかった。
隣接する部屋には、有久島の人々の歴史が綴られていた。土蜘蛛と呼ばれる豪族の存在、遣唐使の寄港……等々。
そして、平家の落人。
有久島には、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の残党がやってきたという記録がある。名は
記録には残っておらず、それを証明するものも見つかっていない。ただ、人々の間にまことしやかに囁かれている口伝をまとめたらそういうことになる。
そんなことが長々書かれた大きなキャプションの隣には、写真があった。早朝見た、棺の中で眠るおじいちゃんと、そっくりの男性がこちらへ笑っている。死装束ではなく、スラックスにカッターシャツ姿ではあったが。
おそらくは、若かりし頃のおじいちゃんだ。
「おじいちゃんって、考古学者だったんだ……」
母は一度だって教えてくれなかった。それどころか、有久島のことも、おじいちゃんのことも、僕からすれば叔母さんである
全部はじめて聞いたことであった。
どうして、自分の生まれた場所のことを、僕に隠していたのだろう?
気にならないわけがなかったが、答えが得られるのも思えなかった。
さらに先へと進んでいく。
三つ目の部屋は、先ほどまでの部屋とくらべると様子が変わっていた。
歴史を長々と説明したキャプションがなくなり、代わりに遺跡等で発見されたものが展示されていた。
例えば、
古代人が描いたという壁画のレプリカもあった。それによれば、大きな光がやってきたらしい。『UFOの光か!?』という仰々しい吹き出しは、わざとらしかった。
「なんだか、オカ研に来たみたいだ……」
僕の通っている高校には、よくわかんない研究会があったりする。オカ研もその一つだ。日がな一日、屋上でオクラホマミキサーを踊る変人集団だが、そのことはどうでもいい。
雑多に並ぶ、出土品を見て回っていると、ふと、ある物が目に留まった。
水墨画で描かれたらしきその絵は、島の中央にある山から、港の方を――といっても、室町時代のものらしいが――見た絵らしい。
空には月、下には海。月が映りこむほどに凪いだ海面には、ちょろちょろとバルーンのようなものが浮かんでいる。
いや、不知火だ。
そう直感できたのは、忘れていた記憶と夢とが頭の中にフラッシュバックしたからだった。
夢は過去で、未来のことじゃない。それは間違いない。
でも、それ以外のことは間違っているかもしれない。
例えば、空。「夏の大三角」は、三角形をなしていない。砂時計のようなオリオン座もない。みたこともない配列をしている。不吉に輝く赤い星、月は眼のように大きかった。
そんな天変地異の前触れのような空の下、僕とおじいちゃんは対面していた。
場所は、ログハウス。これだけは、変わらない。
僕とおじいちゃんは、今よりかは若くて、何よりおじいちゃんが生きている。
そのふさふさの髭を蓄えた口が、ゆっくりと動く。
「不知火って知ってるかい」
幼い僕は首を振った。実際、聞いたこともなければ見たこともなかった。
ふむ、とおじいちゃんはひげを撫でて、その手を海の方へと――なぜだか幸之浦方向だと思った――向けた。
僕はその、節くれだった指が向けられた方角を見る。
時刻は夜。星が降るような満天の空と、海の闇とは融け合っていた。いやそれだけじゃない。島は奇妙なほどに光がなく、闇のなかに溶けこんでいた。
人の息づかいがしない。ムシのざわめきだってなかった。
だが、何よりも興味を惹かれたのは、その闇のなかに浮かぶ、奇妙な光だった。
脳裏に浮かぶのは人魂だ。――高校生の僕が得たばかりの知識で言うなら、弥生人が洞窟の壁に描いた、あのUFOと煽られていた光そっくりであった。
青白い光は、行ったり来たりしている。その地点に何か恨みでもあるかのような素振りは、やはり人魂のよう。
「人魂じゃないの……?」
「似ているが違う。よく見てみろ、あそこは海でな、不知火は海で生まれるものと相場が決まっている」
のっぺりとした黒を凝視すれば、おぼろげに島の輪郭が見えてくる。赤血球のような、あるいはつぶれたハンバーグのような形をした島の左側、海岸線のすこし先を、橙色した不知火がふよふよ漂っていた。
「不知火ってなんなの」
「なんだと思う」
逆に聞かれて、僕は答えに窮した。ウンウンと必死になって考えていた幼い僕の耳に、祖父の快活な笑い声が届いた。
「あれはな――」
そこで、夢という名の過去の記憶は霧散した。
目を開ければ、そこは異常な星空の下のログハウスではなく、空気の澱む歴史資料館の一室だった。
四つ目の部屋は、現在の有久島のことについて説明が行われていた。そこだけは手が加えられたのだろう、キャプションも説明も心なしかホコリが積もっていない。
白昼夢を見たばかりの僕は、かなりの部分、目に入っていなかった。
ただ、開発に携わっているのが、平愛弓さんであることはわかった。というか、それしか目に入らなかった。
「母のお姉さんだったっけ」
僕からすると、叔母さんということになるだろうか。そんな人が、この有久島の開発に手を貸している。なんというか、雲をつかむような話で、にわかには信じがたかった。
写真はないけれども、たぶん、母に似ているに違いない。
そういうわけで、記憶の糸を手繰ってみるわけだけれども、母のことについて覚えていることもまた少ないのだった。
顔もぼんやりとしている、声も雰囲気も。
ただ、覚えているのは優しくされたということだけだった。
僕はちいさくため息をつき、四つ目の部屋を後にする。
スマホで時刻を確認すれば、入ってから一時間が経過しようとしていた。外で待っている
受付の横を通ろうとしたときに、中の男性の姿が目に入った。
彼は昼ドラを観るのをやめて、本を読んでいた。
『海底二万里』
その名作SFの名前に、どうして目が行ったのだろう。そうやって、ボロボロの表紙を見ていたら、その本がさがって、男性と目が合った。
栗色の瞳が僕を見つけたかと思えば、勢いよくカーテンが下ろされた。
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