第2話
「私は
見たこともない外車を運転しながら、
「
「はい、あなたがやってくるのをお待ちしておりました」
「でも、僕、連絡は」
「お告げがありましたので」
「お告げ」
返事はなかった。
黒塗りのセダンから放たれたライトが、早朝の闇を切り裂いていく。都会化したのは、港のまわりだけらしく、舗装路も間もなくガタガタの古めかしいコンクリートの道に変わった。
道の周辺にはいくつかの建物と、畑が並んでいる。それほど古くはない建物だ。畑では、
「おじいちゃんはどこに……」
「この先です」
進行方向には、道が続いている。その道の先には、限りなく暗い闇がどこまでも広がっていた。
どのくらい先なんだろうか。
そう思ったけれども、口にはしなかった。
どうせ、答えは沈黙に決まってるから。
数十分は走っただろうか。その間、車は山を登って下り、平地を走った。
最初、どこにやってきたのかわからなかった。
目の前には、平屋建ての建物があった。ぼんやりとした光を、ぽかんと開いた玄関から垂れ流すその建物は、闇のなかに浮かんでいるように見えた。
はじめての場所だったが、奇妙な既視感がある。
一度、来たことがあるみたいな不思議な感覚。
「到着しました」
車を止めた真子さんが言った。
「ここは……」
「斎場です」
ああ、と僕の口から声が漏れた。デジャヴがしたわけだ。
幼なじみが亡くなったとき、両親が亡くなったときにだって、斎場には来たことがあるんだから。
お通夜は、近親者だけで行われているみたいだった。人の数はちらほらとしか見られず、幼なじみのそれとあえて比べるなら小ぢんまりとしている。
僕はお焼香を上げることにする。
顔も会ったことがない人々に頭を下げれば、そのたびに、舐めるような視線がやってくる。
ちらりと見れば、目が合う。深海のような瞳、少し離れ気味の目は、どこか魚を真正面から見たような感じで、ぞくりと背中に冷たいものを感じずにはいられない。
正面を向きなおり、棺の方へ向かう。
棺の、窓のように開いているところからは、久しぶりに見たおじいちゃんの顔が見えた。
その顔は、記憶にあるおじいちゃんの顔よりも、ずっと年老いている。シワは彫刻刀で刻み込まれたように深く、まだらのようなシミがいくつも浮かんでいる。
なにより、その表情からは、苦労が感じられた。なぜだかわからないが、そんな気がした。
お焼香を上げれば、煙が上がる。それを追って顔を上げれば、おじいちゃんの写真と目が合った。その顔には、苦労などない。不自然なまでの笑顔が貼りつけられている。
お焼香が終わり、僕は斎場を出た。親族の人たちともっと話をするべきなのかもしれなかったが、どうにも歓迎されていないような気がした。
前、この島を訪れたときは向こうから積極的に話しかけられた覚えがある。
でも、今回は違った。歩み寄ろうとしたら、怪訝な目で見つめられた。まるで、なわばりに近づいてくる存在を訝しそうに見るイヌのように。
外に出ると、潮風が髪を揺らした。風に乗って、ざぶんざぶんと寄せては砕ける波の音がする。
遠くの海は、白々としていた。じきに日の出だろう。上ってくるであろう太陽を想像すると、重苦しい空気が晴れていくような気がした。
どうやら海の近くらしい。大きく伸びをしながら周囲を見回すが、港付近とくらべると、光に乏しい。ホテルも、レストランもコンビニも、それどころか、民家さえないように思われた。
「今日はどちらに泊まられるご予定でしょうか」
隣からそんな声がして振り向けば、ぬっと真子さんがあらわれる。思わず飛びのけば、ナマコのような瞳が僕を見ていた。
「い、いつの間に」
「島を眺めていらした時からでしょうか」
「つまり最初っからってことね……」
「どこに泊まられるご予定がなければ、右京さんの家が空いています」
「おじいちゃんの……? でも、今日、みんなそこにいるんじゃ」
両親や、幼なじみのときのことを思いだす。いろんな人がうちや、幼なじみの家を訪ねてきたような覚えがある。
真子さんは首をゆるゆる振り。
「大丈夫です。どなたも近寄らないと思います」
「そうなの? でも、勝手に使っても」
「いいです。そもそも、あなたは
真純というのは、僕の母の名前である。いやそれよりも気になるのは、母を様付けで呼んでいることだ。
今どき、様をつけて呼ぶことなんてあるだろうか。
僕は改めて真子さんを見てみる。感情に乏しい顔、サファイアのような瞳は、青白くすらりとした四肢……ニンゲンというよりかは人形という感じだった。闇からこんなものが出てきた日には、失神するに違いない。
「母とはどんな関係なの」
「真純様は、ワタシの母の妹に当たる方ですので」
「つまり、いとこってこと?」
僕よりも大人びた印象のある真子さんがゆっくりと頷いた。
僕と真子さんはいとこ。それも、あまり歳が離れていない――彼女は少なくとも高校を卒業している――のだが、会話はまったくといっていいほど続かない。
ハンドルを握っている彼女と僕との間には、日本海溝ほどの溝があるかのよう。
「す、好きな食べ物ってありますか」
「魚ですね」
「魚っていろいろありますけど」
「魚ならなんでもいいです」
「そ、そうですか」
そうです、という言葉が、人魂のようにかすかに返ってきた。向こうは、会話を続けようという意思もないらしい。それでも会話を続けようとして、
「あ、そうだ。港」
「港がどうかいたしましたか」
「すごい栄えてるなあって思って。前来たときは、ぜんぜん、そんなことなかったのに」
一瞬、沈黙が這い寄ってきた。エンジン音だけがしばらく続いて。
「開発が行われているのです」
「開発……?」
「はい。観光客をもっと呼ぼうということで。宿泊施設や食事処の拡充が行われています」
僕は、船を降りたときのことを思いだした。遠くからでもはっきりわかる、文明の光。それに吸い寄せられていく、まばらな観光客の姿……。
「それにしては観光客の数、少なかったですけど――」
甲高い音が鳴りひびく。
急ブレーキ。
とっさのことに、僕の体はつんのめり、前の座席のヘッドレストに押し付けられる。
鈍い痛みとともに、香ってきたのは磯の香り。それが、どこから来たのだろうと思っていると、すみません、と声がした。
「到着しました」
「…………」
だからって、別に急にブレーキを踏む必要はないだろう。
その声音からは感じ取れなかったが、たぶん、僕の言葉に機嫌を損ねたのかもしれない。
――あんまり、島のことを悪く言わないようにしておこう。
じゃないと、殺されるかも。
車を降りると、朝もやの中に古めかしいログハウスが建っていた。二階建ての頑丈そうな建物は、三方を山に囲まれ、窮屈そうだ。
「ここが?」
「はい、平右京さんが住まわれていた場所です」
山際から昇ってくる太陽に照らされたログハウスは、纏う白い衣も相まって、どこか神聖そうな雰囲気を漂わせている。
「カギはこちらに」
真子さんが手渡してくれたものは、シンプルな銀のカギであった。キーストラップも何もない。
「そのカギでたいていの部屋に入れると思います」
「入れない部屋が……?」
「カギがひとつなくなったのです」
カギをくるくる回して見てみれば、ひっかき傷が薄く入っている。もしかしたら、ストラップはあったのだが、ちぎれてどっかへ行ってしまったのもしれない。もっといえば、なくなってしまった方の鍵にストラップはついているのかも。
そんなことを考えていると、真子さんが、僕へと近づいてくる。
ゆらりと、幽鬼のような頼りない足取りで僕の前に立つ。
彼女は、僕と同じくらいの背。僕は低い方じゃない。真子さんの身長が、女性にしては高いのだ。
僕はごくりと唾を飲みこむ。彼女が人魚のように美しいから、というのもあるし、何をされるのかわからないという恐怖からだった。
ポケットに手を突っこんで、何かを取りだした。
それはスマホだった。
「連絡先を交換しましょう」
拍子抜けして、思わず息をもれた。連絡先を交換した。
「では、何か御用の際は連絡ください」
そう言って、車は朝日の中へと消えていった。
一人残された格好の僕は、背後を振り返る。
おじいちゃんが死ぬ直前まで住んでいたというログハウスは、普通なら曰く付き、と呼ばれる死亡物件なんだろうけれども、不思議とイヤな感じはしない。
「この直感、どこまであてになるものか……」
いつまでも外に立っているのも疲れる。それに、寝不足で、木々の隙間から差し込める日光が、いつも以上に眩しく感じられて辛い。そそくさ玄関に近づき、扉を開ける。
中に入ると、闇が広がっている。窓を見れば、分厚いカーテンが降ろされている。日光を――あるいは外の景色を遮断するかのように。
玄関から入ってくるわずかな光を頼りに、スイッチを探す。あった。パチンと押せば、電気がついた。
わずかにホコリの積もった廊下。だけれども、生活感はある廊下。ホコリが積もっているのは、祖父が掃除をサボっていたからだろう。
よぼよぼの右京おじいちゃんを想像し、掃除するのも簡単じゃないよな、とも思う。
「親戚のひと来なかったのかな」
なんて疑問は、無人の家によく響いた。
廊下の先にはリビングがあった。テレビがあって、ソファがあって……いかにも普通のリビングだ。
だが、周囲には普通じゃないものがある。一つはお面だ。木彫りのお面は、口角をわずかに上げている。目は糸のように細められていて、性別はわからない。だが、仏像が浮かべている表情に似ているような気がした。
また、隅の方にはトーテムポールらしきものがある。天井には、星が無限に敷きつめられた布のようなものまでかかっていて、不気味。
「すごい部屋だ……」
テーブルの上には、開きっぱなしのビール缶と空になったカップ麺が転がっていた。
つい、先ほどまでおじいちゃんがいたような生活感が、ここにはあった。
真子さんが車内で教えてくれたところによれば、実際そうなのだ。ここで倒れていたところを、
島唯一の病院へ緊急搬送されたものの、まもなく息を引き取ったとか。
「一人で暮らしてなかったら、助かったのかな」
なんて思ってしまうが、いまさら言ってもしょうがない。
僕は、なんとはなしにテレビをつけてみる。ニュース番組。
そういえば、葬式が行われるのは、明後日の昼頃だった覚えがある。それまではこの島にいないといけない。その翌日つまり明々後日には帰りたいのだが、果たして帰られるのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎり、僕はテレビを切った。
とりあえず、どこで寝たものか。
この、奇怪なお面、宗教的なものに囲まれて眠りについたら、何らかの神に対面しそうだ。そうじゃなくとも、おじいちゃんが化けて出るかもしれないし。
二階に向かうことにしたのは、一階に寝室がなかったからである。キッチンあり、トイレあり、お風呂はシャワーだけしかなかったけれども、何日も泊まるわけじゃないし十分だ。
半分にカットした丸太を並べてつくったような階段を上って、二階へ。
二階には、いくつかの部屋があるらしい。寝室もその一つだったが、入ってすぐに分かった。
「あんまり使われてない……?」
カーテンはかけられていたけれども、寝室は生活感に乏しかった。リビングの方が、ヒトがいるって感じがする。こっちでは眠らずに、リビングで睡眠をとっていたのかもしれない。
とにもかくにも、荷物を置き、ほかの部屋を見て回ることにする。
ガラクタが雑多に押し込まれた物置、ものが全く置かれていない空き部屋。
「あれ」
最後の扉に手をかけたが、開かない。ノブを見れば、鍵穴がある。どうやら施錠されているらしい。
「ここが、
ガチャガチャやってみたけれど、開くわけもない。
僕はあきらめて、リビングへと降りた。
昨夜買ってたパンをお茶とともに流し込み、ホコリまみれのベッドで眠った。
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