怪しき島にあらわれたもの

藤原くう

第1話

 祖父が亡くなった。


 そんな連絡があったのは、ヒマワリが枯れはじめた秋のこと。


 知らせを届けてくれたのは、速達印が押された封筒だった。潮の匂いが染みついた封筒には、平愛弓たいらあゆみと差出人の名前が書かれている。


 「平」というのは、母の旧姓だ。どうやら母方の親戚から手紙がやってきたらしい。


 あて名は、深浦凪ふかうらなぎ


 僕の名前になっていた。


 なぜ、今頃になって……。


 なにか不吉なものを感じながら、僕は封を切る。


 中には、平右京たいらうきょうの死亡通知の紙が入っていた。


「平右京……」


 聞き覚えがあった。言葉に出してみて、パッと、脳内の記憶が弾けた。


 そんなおじいちゃんがいたことを、僕は思い出した。遠い昔、両親が亡くなったことを伝えにいった僕を世話してくれたおじいちゃんが、確かそんな名前ではなかったか――。


 いてもたってもいられず、僕は旅行の準備を始めた。






 そういうわけで、僕はボストンバッグ片手に電車へ乗り込み、神谷木かみやぎ市を出た。電車をいくつか乗り継ぎ、F県にたどり着いたのは、夜の十時。そこから、フェリーに乗る。


 そのフェリー「醍醐丸だいごまる」は、夜の海を進み、目的地の有久島ありひさじまには午前四時ごろ到着する。


 予約などせずに切符売り場に向かったが、幸いなことに、席は空いていた。


 おぼろげな記憶をたどってみる。昔はごった返していたはずなのに。


 そんな質問をしてみれば、切符を売ってくれた女性はにこりと笑って。


「それはお盆のことですね。そのときは帰省ラッシュや夏休みということもありまして、それはもう」


 なるほど、と僕は返して、礼をする。


 それから、夜食やら飲み物やらを買って――船の中に自販機はあるけど、バカみたいに高いんだ――フェリーに飛び乗った。


 男たちの声を合図にして、離れていく岸壁を見ながら、僕は少なからず驚いていた。


 ここまであっという間だった。本当に、一瞬でやってきたみたいだった。


 まるで、見えない神様にでも操られたかのよう。


「そんなわけ……」


 ないとは言い切れなかった。


 僕が住んでいる神谷木市では、不可解な事件が多発している。


 奇妙で風変わりな事件は、謎の建物崩壊事件の一件から、減ってきてはいるものの、未だ解決していないものもあった。


 そのいくつかは、僕も巻き込まれた。


 不可解な出来事・現象・生物に出会った以上、僕としては、神様もいるに違いないと考えるほかなかった。


 もしかしたら、今回も。


 そう思ってしまうのは、考えすぎなのだろう。そうに違いない。






 有久島ありひさじまは、近嶋このしま列島の上の方にある島である。そのこぢんまりとした島について、僕が知っていることは、なに一つない。


 一回だけ――父と母が亡くなったこと伝えるために行ったことはある。だが、そのときの僕は黄色い帽子を被った小学生。覚えていることといったら、浜風の、べとべとした磯臭さくらいのものだった。


 フェリーが陸を離れると、揺れがきつくなってきた。僕は、船内へと引っ込む。


 僕の席は和室であった。隅の方にはいくつかの毛布と枕が並べられており、複数人が利用することが想定されているらしかったが、今現在は、僕以外には誰もいなかった。


 貸し切り状態といえば、言葉はいいが、がらんとしていてむしろ居心地が悪い。


 僕一人だけしかいないみたいで、寒気がしてくる。


 でも、上の方から――個室の方からは賑やかな声が時折聞こえてくる。それが何よりも、ありがたかった。どうやら、僕は一人で三途の川をわたっているわけではないらしいと安心できた。


 一人、冷えたお弁当を食べ、寝る。


 テレビだって独り占めできたものの、ショッピング番組ばかりで面白くない。早々に電源を切る。窓の外を見れば、あたりは海苔を貼り付けたみたいに真っ黒だった。


「寝よ……」






 その夜、僕は夢を見た。


 どんな夢かと問われると、答えにきゅうしてしまう。何か特徴的で不気味な夢を見たことは間違いない。でも、目覚めたあと思い出そうとしても、ウナギのように手の中からするりと零れ落ちていく。


 ただ、祖父から言われた言葉が一つある。


 ――不知火しらぬいって知ってるかい。


 そのような問いかけが、白い半紙に落ちた一滴の墨汁のようにはっきり覚えていた。


 覚えているのはそのくらいで、祖父の問いかけになんと答えたのかさえ、目覚めた僕は何一つとして覚えちゃいなかった。


 頭の中にあったのは、気色のいい夢ではないことを裏付ける不快感だけ。


 体は寝汗でべとべと、心臓は怯えるようにドクドク脈打っている。口の中は砂でも押し付けられたみたいに乾いていた。


 手元に置いていた、お茶を飲む。一息に飲み干して、僕は息をつく。


「夢……」


 夢の内容を思い出そうとして――前も似たようなことがなかっただろうか?


 なんだか嫌な予感がした。この前だって、夢を見てから何もかもが始まった。妙な出来事に巻き込まれている時も、白昼夢を頻繁に見た。


 漠然とした未来を見せつけられる白昼夢……。


 それは、僕の身に宿る、科学では説明することのできない力によるもの。


「…………」


 無言で唾を飲み込む。


 船内は、照明が弱められており、そこここに影ができていた。その中によからぬものが隠れていて、僕を監視しているように思えてならなかった。


 だが、それは杞憂に過ぎないのだろう。


 僕は小さく息をつく。


 びっくりしたように飛び跳ね続けていた心臓は、次第に穏やかになっていく。だけども、目はギンギンに冴えていて、眠りにつけそうにはなかった。


 そっとスマホの電源を入れると、時刻は午前2時をまわったところ。


 ふたたび、ため息が口から出ていった。






 重い扉を押しあけ外へ出ると、とたん、潮の香りがぷんと鼻を突いた。それと同時に、まとわりつくような冷気が、僕の肌を粟立たせていく。


 ざぶんざぶん、音がするたびに船が揺れる。胃がひっくり返るような浮遊感だが、これでも海は荒れていない方なんだとか。


 よろめきながら、青白い蛍光管に照らされた手すりを掴む。下をのぞきこめば、漆黒の海の中に白いものが生まれては消えているのがチラチラ見えた。


 甲板の方へと手すりを頼りに進んでいく。


 甲板は、ちょっとした憩いの場のようになっている。青いベンチがあり、そこからちょっと離れた場所には、揺れの中赤い灰皿がすっくと立っている。それらを自販機がぼんやり照らす。


 ベンチの背もたれに指を走らせれば、じっとりと濡れている。しぶきが飛んできたのか、重苦しい夜の海の湿気が原因なのかは、僕にも分からない。


「さむっ」


 僕は手をこすりこすり、自販機へと近づく。缶コーヒーでさえ、普通よりも高かったが背に腹は変えられない。


 硬貨が自販機に吸い込まれて、代わりとばかりにスチール缶が吐き出された。そのびっくりするぐらいアツアツの缶をころころ弄びながら、僕は海を眺める。


 進行方向、水平線に光があった。それは星の光ではなく密集しており、少なかったけれども、人の温かみを感じずにはいられない光であった。






 予定通り、午前四時。フェリーは有久島に到着した。


 それほど大きくはない港は、闇の中で眩く輝いて見えた。海上にいたのは半日にも満たないのに、大地を踏みしめられるのがなんだか心地いい。


 ボストンバッグを肩にかけ、フェリー乗り場の前で、きょろきょろと見回す。


 辺りは未だ夜のとばりに包まれていて、静かだ。フェリーから降りたいくつかの人々は言葉数少なく、黙々とどこかへと消えていく。


 人々が向かう先には、光があった。都会を思わせるような無機質なライトに照らされているのは、いくつかのビルである。


 建ったばかりらしいピカピカの建物には、ビジネスホテルとある。隣には、チェーン店に似た名前のカフェが連なっている。


 パチパチと何度か瞬きしてみても、その光景は変わらない。牛丼屋さんもピザ屋さんも、スーパー銭湯もなくなりはしない。


「えっ」


 え、という言葉が思わず出てしまった。


 昔来たときは、こんな建物なくて、木造のこぢんまりとした民宿が一軒二軒あるだけだったのに。


 久しぶりに帰ってきたふるさとが、都会化してたみたいな。


 そうやって、目の前の光景に唖然としていたら、


 目前の闇に溶け込むようにして、ヒトが立っている。目を凝らせば、その人物真っ黒なスーツを身にまとっていた。


 腕には紫の腕章。


 ネクタイは、真っ黒だった。


 そして、その人は切れ長の目の奥、群青色した瞳で僕をじっと見つめていた。

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