妹の出演、兄の失言 -空飛ぶ兄は、妹と比べられる-
夏々湖
妹の出演、兄の失言
沢井
残業?何それ美味しいの?
もともとみなし業務の山なのだ、気にしてたら訓練時間が減るじゃないか。
景は航空自衛隊の戦闘機パイロットである。F-15Jに乗り始めて六年。中堅パイロットと呼ばれ始めたぐらいか。まだまだベテランとは言ってもらえない。
「おい、ツインケイ、昨日また妹ちゃんテレビに出てたな」
前の机に座っている先輩が声をかけてくる。村井一尉。景の一つ上の階級だ。
『ツインケイ』とは景のタクティカルネーム。戦闘機パイロットが、空の上で誤解なくやり取りするためのあだ名である。
この先輩が言うには、昨日、景の妹が公共放送に出ていたらしい。
昨年、景の妹が発表した論文が世界的に偉く評価された。その後、なぜかテレビや雑誌にひっぱりだこになっている。
『美人天才物理学者』とかセンセーショナルに書かれて、少し不満そうな妹の顔が脳裏に浮かぶ。
景には三つ年下に一卵性双生児の妹がいる。
もっとも、景に見えているのはいつも飛行機だけ。妹たちのことも可愛いと思ってはいるが、それは飛行機の次ぐらい? てな感じである。
「しかし、良いよなぁ。美人天才物理学者沢井琴さん。いつ見ても綺麗だし、世界レベルの天才学者とか凄すぎね?」
「うーん……天才ですか……琴はどちらかというと、努力の人なんですよね。天才は妹の奏の方です」
「あの成果でも天才じゃないの? どうなってるの? お前の妹」
「奏は……あれこそ本当の天才ですよ。何をやらせても全て才能で超越してくるんです」
景は小学校に入った時から、判断力と反射神経、筋力等を鍛えるために剣道場に通うようになった。もちろん、将来戦闘機パイロットになるための布石である。
そして、小学三年生の時に、年長さんの双子の姉妹が同じ道場に入門してきたのだ。
入門当時は所詮保育園児である。力もなければ速度もない。ただ集中力と理解力はとてつもないアンバランスな子供であった。
しかし、景が小学五年生の時に、ついに二年生の奏に一本取られる日が来た。
それからどんどん実力差が縮まり、景が中一になった頃には、四年生の奏に全く勝てなくなっていた。
相手は身長百四十センチしかない子供である。リーチだってそれなりに短い。しかし、勝てなくなった。
結局、景は中学卒業とともに剣道を辞めたが、奏は大学卒業まで剣道と付き合い、最後には全国学生剣道選手権大会で四位になるまでになっていた。
ちなみに、琴は中学校卒業と同時に剣道を辞めている。
「けど、学業は琴さんの方なんだろ?」
「あー、琴に物理学教えてたの、奏なんですよ。今でも琴の理論のベースには、奏の教えがあるって言ってましたよ。琴自身が」
琴が物理学を始めたのは二歳の時。もう一度言う。二歳の時だ。
「おにいちゃん、ひこうきって、どうしてとぶの?」
二歳児のいたいけな質問を航空力学で叩き潰したのは、いま書類を書いているこの男だ。
航空力学は物理学の集大成でもある。物理は全てを解決すると、小さな子供に信じさせてしまった兄、五歳。
いや、五歳が航空力学の基本を語るなよ。二歳児相手に。
その後、物理にのめり込む琴の勉強をずっと教えていたのが奏だった。
それこそ、小学校低学年の時から大学受験まで。
琴が帝国大学理学部に入れたのは、間違いなく奏のおかげである。琴は物理と数学と英語しかできなかったから、そのままでは共通テストをクリアできないのだ。
奏は常に学年トップであった。
予備校には通っていなかったので全国模試等は受けていないが、もし受けていたら一桁順位は間違いなかったであろう。
更に、街の体操クラブにも所属し、そこらの公園でタンブリングからの伸身のバク宙とか制服で決めちゃったりしていた。
成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗、人当たりよし。
当然モテる。モテまくる。でも、誰一人として相手にされなかった。奏が見てるのは常に姉の姿だけだったから。
「へぇ、奏さんはそんなにすごいのかぁ。奏さんは今は何やってるの?」
「今は大手企業で働いてますよ。俺よりずっと高級取りです」
奏は気になる木のコングロマリットに就職した。
『やっぱ地元が良いや。琴もこっちに住んでるし』
そもそも、グループ全体で九百五十社もあるのだ。その中のどの会社なのか、実は景もよく知らない。
重工か電機かどちらかだと思ってはいるのだが、全然違うかもしれない。
琴の所属は帝国大学の研究室のままである。世界中の研究所から誘われているのだが
「お兄ちゃんが日本にいるから」
の一言で日本から離れないそうだ。
「いや、ツインケイ、おまえ爆発しろ」
「村井一尉、それは酷くないっすか?」
「いいや、酷くないね。爆発しろ」
「自分はいいですけど、F-15Jも一緒に爆発したら困るじゃないですかっ」
あくまで飛行機優先らしい。
「ところで琴さんには良い人とかは?」
「いやぁ、聞いたことないですねぇ。琴も奏もカレシがいたこと、ないんじゃないかなぁ?」
「そうかぁ、いないのかぁ」
村井一尉、未だ独身、ちょっと期待している?
「俺、まだ琴さんに会ったことないんだよなぁ。会ってみたいなぁ」
琴と奏は度々面会と称して、基地訪問してくる。
戦闘機パイロットの世界なんてとても狭い。日本中全部合わせても五百人もいないのだ。戦闘機パイロットは。
そんな世界に『毎度毎度兄に会いにくる美人双子』の噂が広まらない訳がない。
しかもそのうちの片方は、最近テレビに雑誌にとかなりの有名人となってきている。
「まぁ、琴の旦那になる人は大変だと思いますけどね。いや、奏がね……」
奏は琴に悪い虫がつくことは許さないだろう。そして、琴は奏の意に沿わないことはしないだろう。基本的に琴は奏の言うことはよく聞く。
兄の言うことは100%聞くが、実は兄はそのことを知らなかった。
琴は兄を崇拝している。兄こそが人類を救うのだと心の底から信じている。
やばい宗教?その通りだ。この宗教は常に信者を求めているが、今の所琴がひとりで奮闘している。
奏は琴を追いかけ、琴は景を追いかけ、景は飛行機を追いかけ、景の乗る飛行機は
はぁ、昨日追いかけた解放軍はしつこかったなぁ。あの国、最近ドローンで来やがるから、警告通信するの、虚しいんだよなぁ……とか思いつつ、村井一尉の話を聞いていく。
「けどなぁ、家は百里のそばなんだろ? 遠距離になっちゃうなぁ」
いや、村井さん? 気が早くないです?
ここは航空自衛隊新田原基地。宮崎県である。景の実家は茨城県小美玉市。航空自衛隊百里基地のほど近くだ。なんなら歩いてでも行ける距離にある。
「百里まで
そりゃ怒られるでしょう。めちゃくちゃ。
米軍だと、基地間の移動は輸送機に乗せてくれたりもあるらしいが、自衛隊はその辺少々お堅いので諦めて欲しいところだ。
何より、村井一尉をお義兄さんとか呼びたくないよな……
色々考えながら書類を書く。
「そうだ、フタマルサンの川辺隊長、空幕配属だって聞いたか?」
「ええっ! それは初耳っす」
第二〇三飛行隊、北海道千歳基地の戦闘機部隊である。隊長の川辺二佐は『ツインケイ』の名付け親でもあった。
『双子の妹、ツインケイ』
未だに言われるのだ、この小っ恥ずかしいフレーズを……
『うふふ、お兄ちゃんの名前にわたしが……うふふふ』とか言ってる妹がいるとか、そんなこと言ったらまた爆発しろと言われるに決まっている。
(だいたいさ、妹があんなになったのは俺のせいじゃないし)
いや、だいたいあなたのせいです。琴に関してはほぼ全部あなたのせいです。
「川辺二佐も地上勤務とかできるんですかねぇ。あの人も飛んでないと死んじゃう人ですよね。多分」
「一年ぐらいで限界が来て、民間に行くんじゃないかなぁ」
「ですよねぇ」
川辺二佐も、空が好きで好きでこの仕事をやっているはずだ。じゃないとあんなに綺麗に飛ばせる訳ない。
多分、川辺二佐に聞いたら『いや、お前ほどじゃないから』と言う方に一票入れます。
さて、貯まった書類もかなりやっつけた。適当に挨拶して帰ろうか。
大きく伸びをしてから、村井一尉にお先に失礼しますと声をかけ、立ち上がった。
帰り際に休憩室前を通りかかる。
たまたまテレビに琴が出ていて、たまたま休憩室の中の人たちと目があってしまって、呼び止められる。
「なぁ、ツインケイさんや……ちーとばかし美人天才物理学者さんのお話していきませんか?」
「い、いえ、自分は上がりの時間ですので!」
「なら時間はたっぷりあるねぇ。うんうん……で、琴さんの好みの男性は? ん?」
「いえ、あの、自分以外の男とデートとかしたことはないと思われますので、不明であります!」
あ……
「ちょっと待ったぁっ!」
向かいのテーブルから声がかかる。
「つまりだ、ツインケイはこのかわいい妹とおデートしたことがあると?」
「いえっ! 決してデートというわけでは……」
「したんだ」
「その、奏も一緒でしたし」
「しかもハーレムデートなんだ、そっかぁ。爆発しろ!」
「またっ⁉︎」
「さぁ、ツインケイ、キリキリ吐くんだっ!」
「あの美人姉妹と……」
「いやあの、あれ妹ですし、妹とはデートと言わないかと」
「はい、黙ってキリキリ吐く!」
黙ってたら吐けない気もしないでもない。
「で、どこ行ったんだ?」
「直近だと、夏祭りに……」
「爆発しろっ!」
このあと、解放されるまで三十分以上かかった。
ちなみに、妹と出かけたもっとも直近のイベントは、中学二年の時の夏祭りであった。
妹の出演、兄の失言 -空飛ぶ兄は、妹と比べられる- 夏々湖 @kasumiracle
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