十二話

 

 「ごめんヴィオラ。僕が悪かったよ」


 ヴィルヘルムは肩をいからせて先を進む淑女の背中に、情けなく声をかける。

 

 もう小一時間ほどこうしているが、彼女は一向に機嫌を直してはくれない。


 あのあと、気を失ってしまったヴィオラを木陰こかげ介抱かいほうしていたヴィルヘルムだったが、またもや何を思ったのか膝を枕に彼女を寝かせていた。

 目を覚ましたヴィオラは今まで見たこともないようなとろんとした表情を浮かべて彼を見つめていたが、突如、はっと顔を強張こわばらせると勢いよく飛び退いた。

 そして心配して手を伸ばすヴィルヘルムに、「それ以上近寄らないでくださいまし!」と一声叫ぶと、背を向けて走り去ってしまったのだった。

 あわてて追いついたものの、それ以降、何を話しかけても全く応えてくれないので男はすっかり気落ちしてしまった。


 ――やはり許可を取らず転移したのが気に入らなかったのだろうか。


 仕方なく、とぼとぼと後ろをついていくと、ふとヴィオラが立ち止まる。

 何事かと、追いついたヴィルヘルムが彼女の顔を覗き込もうとすると、ぷい、とそっぽを向かれてしまった。

 男がそれに軽くショックを受けていたところ、彼女は無言で前方を指差す。

 示された方向に目をやれば、そこには書籍を積み上げた露店があった。


 ヴィルヘルムは思わず破顔した。


 ヴィオラは怒って闇雲やみくもに歩いていたわけではなく、ちゃんと店を探してくれていたのだ。

 気性の荒いところもあるが、心根は優しい彼女の一面を改めて感じ、男の胸はふわりと温まる心地がした。


 「ありがとう、ヴィオラ」


 ヴィルヘルムの謝辞しゃじにどういたしまして、と、もごもごつぶやいているも、相変わらず彼女は顔を見せようとしない。

 それを少し寂しく思いつつ彼が歩を進めようとすると、ヴィオラがそのすそを小さく引いた。

 振り返れば彼女は未だにうつむいていて表情が見えないが、何やらわずかに震えている。


 「――ましね」


 「え?」


 ヴィオラは何か言っているがあまりに小声で聞き取れず、ヴィルヘルムは思わず聞き返した。

 すると、相変わらずの真っ赤な顔でこちらを見上げ、なぜか瞳を潤ませた彼女は言い放つ。


 「約束、守ってくださいましね!」


 そして、ヴィルヘルムの返答も待たずにまたもやきびすを返して走り出してしまった。

 男の脳内に、ここに来る前にヴィオラと交わした会話がよみがえる。


 「『星おどり』か」


 ミグラスでは毎年夏になると、この地を守る神に舞を捧げるのが習わしであった。

 魔王におびやかされる日々の中でも、この習慣だけは途切れることなく続いてきたという。

 それは星明かりのもとり行われ、光の魔術――かつては夜光蝶の羽だった――で仕立てた装束しょうぞくを身にまとい、この神事に際して選ばれた若い娘たちが舞踊ぶようを披露するのであるが、その幻想的な光景が評判となり、この夏祭りの目玉となっていた。


 今日は、ヴィオラがヴィルヘルムの用事に付き合う代わりに、その「星おどり」を共に見ようと約束しているのだ。


 彼としては興味がないわけではないが、如何いかんせんそのロマンチックさから恋人同士で見に来る者たちも多いので、行くのに少し気が引けるのであった。


 ヴィオラは年頃の貴族の娘だ。それが賢者とはいえ自分のような三十路みそじ手前の男と恋人の聖地のような場所にいるところを目撃されでもしたら、会合の貴族連中に目をつけられている今、彼女の名誉に傷をつけかねない。ヴィルヘルムはそんな懸念を抱いていた。


 そしてそこには正直、アリスに対して後ろめたいという気持ちも少しあった。


 ――とはいえ、約束は約束だ。それに自分たちは別にやましい関係ではない。恋人ではない二人連れだってたくさんいるだろう。何ら恥じるところはない。難癖をつけられたとて、胸を張っていればいいのだ。そう、ヴィルヘルムは心の内で独りごちた。


 書物に一通り目を通したら、彼女を迎えに行こうと心に決めると、彼は露店へと歩を進めた。


 と、そこでふと疑問がよぎる。


 (あれ、もしかして僕、一人になっちゃった――?)

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アリスへの手紙 まめ童子 @mameponeartwork

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