十話


 先だっての会合から数ヵ月が経った。季節は夏に差し掛かり、ヴィルヘルムを饅頭まんじゅうにしていた毛布は片付けられ、彼を包むのは薄い肌掛けに変わっている。


 「さしづめ焼売しゅうまいってところかな」


 「――皮でくるんだ食べ物がお好きでいらっしゃるのね」


 白い肌掛けから顔だけを出して破顔はがんする威厳いげんのない賢者を、水宝玉アクアマリンの目を細めてじっとりと見やり、ヴィオラは、やれやれ、と首を振る。その様子にヴィルヘルムは首をかしげた。


 「今日は『出てらっしゃいー!』ってしないんだ?」


 「そんなずっと前のことは今すぐ忘れてくださいまし!」


 羞恥しゅうちに顔を真っ赤に染める淑女に、男は、ふうん、と意地悪くにやにやと笑う。


 「忘れろって言う方がよく覚えてるんじゃ仕方ないよね?」


 「――これ以上おっしゃるなら、今日は帰らせていただきます」


 ヴィルヘルムのからかいに、いよいよへそを曲げたヴィオラは瞳と同じ色の涼やかなワンピースのすそひるがえして戸口から出ていこうとする。男はあわてて布団から抜け出すと、彼女の前に回って押し止めた。


 「ごめん、頼むから帰らないで」


 む、と口を引き結んだ淑女は上目使いに男をにらむ。しかし視界に入ったヴィルヘルムの焦った顔が妙に胸をときめかせるので、すっかり毒気を抜かれてしまった。


 彼女はそのままうつむいてぼそぼそと何事かをつぶやく。


 「え、なんだって?」


 「――外で待っておりますから、早くご準備なさいまし!」


 叫ぶようにそう言って、ヴィルヘルムと戸口との間にできたわずかな隙間から器用に抜け出すと、ヴィオラは待たせている馬車に駆けていってしまった。


 男は困ったように頬を掻く。――相変わらず、どうも自分は余計なことを言ってしまう性質たちらしい。こちらとしては、相手の反応が面白くて売り言葉に買い言葉で返してしまうだけなのだが、そういえばそれでよくアリスに半殺しの目に遇わされていたことが思い出される。


 それにしても、ヴィオラの反応はアリスのそれとは違っていた。アリスは気にさわれば容赦なく鉄拳を飛ばしてくるタイプだったが、ヴィオラは顔を赤くしてあわてていることが多い。正直、その反応が新鮮で、彼女に対してはより意識的にからかってしまっている節はある。


 同じ女性でも色々だな、とヴィルヘルムは興味深く思うのであった。

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