九話


 「うーん――」


 先日の会合の後、本格的に千年を渡る方法を考え始めたヴィルヘルムだったが、やはりどうやっても自分の命を長らえさせる方向で進めるのは難しいようだった。

 参考になるかと、手紙を出して神託の巫女に教えを請うたが、賢者が自ら編み出した方法こそが神の示す「正解」であることと、不老不死は禁忌であることの二つしか情報は得られなかった。


 相変わらず神とやらは「自分でなんとかしろ」の一点張りかと、ヴィルヘルムは苛立ちに顔をしかめる。


 しかも一番に考えていた不老不死の方法を探る線は禁忌として絶たれてしまった。

 全く良い着想を得られず、やる気をなくした男は寝台に寝そべった。


 (やっぱり、子孫を残すしかないのか)


 行き詰まった思考の果てに、彼はそんなことを思う。

 だが、すぐに首を振ってその考えを打ち消した。


 自分の背負った役目を、子孫に受け継がせるのはやはり納得いかない。彼らには彼らの人生がある。せっかく平和な世の中になったのだから、そこは謳歌おうかしてほしい。ヴィルヘルムはそう思う。


 ――そもそも、子孫など残す予定は無い。


 男は瞑目めいもくした。


 まぶたの裏に、眠りにつく寸前のアリスの姿が鮮明に浮かぶ。

 記憶の中の彼女は、穏やかな笑みをたたえてヴィルヘルムを見ていた。


 勇者と呼ばれ毅然きぜんと振る舞っていても、本当は弱くて、いつも自信がなくて、ヴィルヘルムには泣き顔ばかり見せていた彼女が、あの日だけは、落ち着いた様子で優しく微笑んでいた。

 アリスは寝台に腰掛けた自分を苦しそうな顔で覗き込んでいる親友の名を呼ぶと、そっとその頬に触れた。


 「――やっとあなたを自由にしてあげられる」


 心から安堵したよう声で、彼女はそんなことを言う。


 「自由って――僕はずっと自分の意志で君の傍にいたんだから、不自由なんてなかったよ」


 戸惑いをあらわにするヴィルヘルムに彼女は、そうかな?と悪戯っぽく笑いかける。


 「二十七にもなって恋人ひとりいたことないのに?」


 男は、さっ、と顔を赤く染めて言葉を詰まらせた。


 「そんなのお互い様だろ」


 動揺のあまり彼の声は裏返る。それが可笑しくて、アリスはくすくす声を立てて笑った。


 「素敵な人が見つかるといいね」


 アリスの言葉に、ヴィルヘルムは表情を曇らせる。


 (――そんなこと言うなよ)


 本当だったら、平和になった世界で、お互い自由に暮らすはずだった。誰よりその恩恵を享受きょうじゅすべきはこの戦いの功労者たるアリスであるべきなのに。


 世界はまた、彼女にだけ、過酷な運命を課すのだ。


 なにより、そんな他人事ひとごとのように、自分の幸せを願ってほしくないと、ヴィルヘルムはそう思った。


 (君無しで、幸せになんてなれない――)


 きつく眉根を寄せたヴィルヘルムに「そんな顔しないでよ」と言って柔らかく微笑みかけると、アリスは彼を優しく抱きしめた。


 「ここからは、私一人でなんとかするから。あなたはあなたの人生を生きて」


 その声音に、わずかな震えを聞き取ったヴィルヘルムは、彼女の抱擁をゆっくり解いて青玉サファイアの瞳をしっかりと見つめた。

 優しく穏やかに、全てを受け入れているようで、その奥にはわずかな不安と寂しさのようなものが見て取れる。


 (――また一人で背負って)


 そう思って男は、わかった、と一言答えると、にやりと意地の悪い笑みを浮かべてみせる。


 「なら僕は、引き続き賢者としての役目を全うさせてもらうとするよ」


 驚愕に目を見開いたアリスは、たちまち顔を歪めて、「なんで」と繰り返し呟きながら瞳を潤ませる。


 「――なんでそこまでしてくれるの?」


 「それは君を――」


 咄嗟とっさに言いかけた言葉をゆっくりと飲み込んで、ヴィルヘルムは笑ってみせた。


 「それは君が僕にとって誰より大切なだからだよ」


 ややあって、その言葉に、「そっか」と返したあの時のアリスの顔を、ヴィルヘルムは今でも忘れられずにいる。


 (あのとき――)


 あのとき、「君を愛してるから」って言えたらよかったのに。


 そう、ヴィルヘルムは心の中で独りごちた。


 この十年の旅で、いや、それよりもっと前から互いの想いはわかっていた。

 だからそう言えば、アリスが応えてくれることもわかっていたのだ。


 けれど言えなかった。今から悠久の時を一人で過ごさなくてはいけない彼女に、そんなことを言ってどんな思いを抱かせてしまうかと思うと怖くて言い出せなかった。


 ヴィルヘルムは両手で顔をおおった。頬を生温なまぬるいものが伝うのを感じる。


 ――今でも夢に見る。


 切なげに、寂しげに微笑む、愛しい人の姿を。

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