七話


 「――そんなことがあったのですね」


 そう言うと、ティーカップを両手で包み込んだまま口も付けずにヴィルヘルムの話に聞き入っていたヴィオラは、表情を曇らせた。


 ここは今までいた屋敷から離れたところにある酒場である。酒場といっても限られた客しか通さない、所謂いわゆる、会員制というやつだ。しかもここは上流階級の御用達ごようたし。内部の装飾もきらびやかながらも洗練されており、街のそれとは一線を画している。

 

 とはいえ、社交目的の若者たちが主な客層であるため、今日会った貴族の重鎮たちに遭遇する心配はほぼないと言ってよい。

 

 普段であればヴィルヘルムの部屋で互いに事後報告を行うのだが、先程の件があり警戒心を強めた彼がヴィオラの身の安全のために人目のある場所での会話を望んだので、この場所が選ばれた。

 

 ちなみにここは酒場と名乗りつつも、酒をたしなまない客向けに喫茶も提供している。それ故、下戸げこの二人にもちょうど良い店だったというのも理由としてある。

 

 珈琲を啜るヴィルヘルムを目で追うヴィオラは、屋敷の入り口で落ち合ってから怒りのあまりずっと険しい顔をしている男を前に、なんだか申し訳ない気持ちになる。


 (わたくしが、もっとしっかりしていれば――)


 「言っておくけれど、君に非は全くないからね。むしろ僕のせいでおかしな陰謀に巻き込まれるかもしれないんだ。君は被害者だと言ってもいい」


 しょんぼりと項垂うなだれている淑女を見かねたヴィルヘルムは表情を和らげて、そう声をかけた。


 彼の優しい気遣いに、自分の内心を見透かされていることを悟ったヴィオラは羞恥しゅうちで赤くなる。


 「わたくしは、貴方のお役に立ちたいだけでしたのに――」


 よもや自分が足枷になってしまっては元も子もないと、女は両手で顔を覆う。


 ヴィルヘルムに、かの貴族たちと会うよう促したのはヴィオラだ。


 男がたった一人で背負っている重圧を少しでも和らげられたらと、彼らの協力を仰ぐつもりだったのだ。

 それがあろうことか協力どころか脅迫するかたちで、貴族たちはヴィルヘルムに更なる心理的、物理的な負担をかけている。


 「いや、気にすることはないよ。やり口は最悪だけど、彼らの言うことにも一理あるんだ。実際、千年もの間、僕自らこの世界とアリスを見守り続ける方法は、現状のところ存在していないわけだからね」


 男は飲みかけの珈琲に砂糖を加えると、からからと匙でかき混ぜながら言った。それに、と彼はさらに続ける。


 「魔術の才覚は親から子に受け継がれるものだから、万が一に備えて僕と同等の魔力と才能を兼ね備えた者を用意しておくとなると、僕の血を継いだ実子であるのが望ましいのも確かだ」


 ヴィルヘルムの言葉にヴィオラは思わず顔を上げた。水宝玉の瞳が気遣うような色を湛えて目の前の男を映す。


 「だけど、そんなの」


 「ああ、これはあくまで最終手段だ。――アリスはずっと僕の人生の自由を気にかけてくれていたのに、肝心の僕が彼女を守る役目を子孫に課したなんて知れたら、後から何て言われるかわからないからね」


 そう言って悪戯いたずらっぽく微笑むと、ヴィルヘルムは未だ不安げに自分を見つめている女の頭を軽く撫でた。

 

 だがヴィオラの心は相変わらず晴れない。


 「けれど、わたくしのせいで、早い段階でその最終手段を取らざるを得なくなるかもしれないのでしょう?」


 すると、男は少し困ったような顔をして腕を組む。


 ――確かに寿命というのはいつ尽きるか分からないものであるから、貴族たちが先を急ぐのも無理からん話だ。だからこそ、ヴィオラを人質にとるような物言いをしてまで、自分に子を生すことをせまるのは、それこそ彼らからすれば「最終手段」なのかもしれない。


 いっそ子を生しさえすれば貴族連中は黙らせておける。その間に我が身で千年を渡る方法を考えるというのも一つの手だ。


 だが、とヴィルヘルムは首を横に振る。――できればその手段は取りたくない。


 彼の脳裏に、眠りにつく前のアリスの最後の姿が過る。


 (僕は、アリスを――)


 「ヴィルヘルム様」


 ヴィオラの声に現実に引き戻されたヴィルヘルムは、はっ、と目を見開いた。見れば辺りにいた客が誰一人いなくなっている。


 「――そろそろ帰ろうか」


 ええ、とヴィオラは一言だけ答える。


 二人は無言のまま店を後にすると、帰途についた。

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