六話


 本題に入りましょう、と長は指を組んで再び話し始める。


 「勇者アリスは千年の眠りについた。そして貴殿はその間、彼女を見守り、この世界を記録する役割を担われました。貴殿がこれまで我々が伺った通りの働きをなさる方ならば、その責務は間違いなく果たされるでしょう。――殿


 ヴィルヘルムの喉が、ぐっ、と鳴った。


 ――痛いところを突かれた。


 それはまさしく、彼がこの責務を負ったときからの課題であった。

 男はアリスが眠り、魔王が目覚めるまでの千年、この世界を見守り、アリスの身も守ると、そう約束した。

 しかし、アリスは神から授かった力で千年の眠りにも耐えうる一方、只人ただびとに過ぎないヴィルヘルムに、この命を同じだけ長らえさせる手立ては今のところない。

 

 しかもこの賢者は、精神が弱り一度死にかけている。

 

 こんな状況では彼が役割を全うできるか重鎮たちが懸念けねんするのも、無理のない話であった。

 要は後継者を作って、いつヴィルヘルムが退場してもいいように備えろと、彼らはそう言いたいのだ。


 「――僕が背負えないからって、それを子孫に押し付けろって言うのか」


 不快感をあらわにしたヴィルヘルムを前に動揺することもなく、長は、相変わらずどこか人を小馬鹿にしたような笑み彼に向ける。


 「押し付けるなどとおっしゃいますな。これは大事なお役目。それを受け継いでいっていただきたいというだけのこと。何かおかしいですかな?」


 「貴族にとっては、それが普通なのか?」


 賢者の「賢者」とも思えない問いに重鎮たちは顔を見合わると、声をたてて笑った。

 目尻に溜まった涙をこれ見よがしに拭ってみせ、長は面白いものでも見るかのようにヴィルヘルムを眺める。


 「人の命は短い。千年などという途方もない時間をまさかご自身だけで添い遂げるおつもりか?」


 「――少なくとも、その役目を、子孫に負わせる気はないね」


 貴族たちが担ってきた役割を否定するつもりはない。彼らが言う通り、人の一生は短い。だからこそ彼らは子孫にその役目を引き継ぐことで、今日までその地位を維持し、責務を果たしてきた。それは自然の摂理に任せた行動で、彼らには疑問をさしはさむ余地はないのだろう。


 だが、自分はあくまで賢者であって貴族ではない。

 

 しかもこれは勇者から名指しされたとはいえ、元を正せば神から賜った使命だ。

 「賢者」として選ばれたのが自分しかいない以上、その役目を後進に引き継ぐことができるという確証は何もない。


 何より、そんなことを、アリスはきっと望まないだろう。


 ヴィルヘルムはそう思った。


 「――アリスは眠りに落ちるその瞬間まで、僕を賢者に選んだことが正しかったのかずっと悩んでいた。僕の人生の大事な時間を、奪ってしまったんじゃないかって」


 男は拳を握りしめた。あまりに強い力に、爪がてのひらに食い込む。


 「けれど、その心配を振り切って、僕は彼女が眠ったあとも、賢者としての働きをやめないと誓ったんだ」


 無表情に聞いていた長だったが、ふん、と鼻を鳴らすと呆れたように首を振った。


 「そんなものは、雰囲気に流されただけの一時の感情に過ぎない。私は現実の話をしているのです。実際、貴殿自身が千年も生き続ける方法などない以上、どうやって勇者の世話をし続けるというのですか?」


 いちいちかんに触る話し方にヴィルヘルムは再び怒りを露にしそうになる自分を抑え、冷えきった目でこちらに視線を投げ掛けている重鎮たちを睨む。


 「それはまだわからない。けれど必ずその方法を見つけてみせる」


 「――話になりませんな」


 ばん、と机に手を突くと、長は立ち上がった。続いて重鎮たちも席を立つ。

 一人その場に座したまま歯を食い縛って彼らをめつける賢者に冷笑を向け、貴族たちは扉へと向かっていく。


 ふと、長は立ち止まり、ヴィルヘルムに背を向けたまま彼に声をかけた。


 「――先ほどの話が冗談で済まされるうちに、早く伴侶を見つけなさいませ」


 そうして、がた、と椅子を蹴り上げて立ち上がった若い男を振り返ると、ぞっとするような暗い目をしてこう言った。


 「世継ぎを残すという体裁ていさいつくろうだけなら、何も『本物』でなくても良いのですから。――は、知ったことではありませんがね」

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