二話


 がたごとと揺れる馬車の中、ヴィルヘルムは沈鬱ちんうつな面持ちで窓の外を眺めていた。


 「ねえ、魔術でぱっと移動すればよかったんじゃないの?」


 「みだりに使うものではないとおっしゃったのはどなたです」


 ヴィオラにぴしゃりと言い返され、男は残念そうに首をすくめる。


 ヴィルヘルムは馬車が嫌いだった。狭い箱の中に収められて目的地まで運ばれるのは一見すると楽だが、この閉鎖空間は彼には息苦しく、身体の自由を奪われているというのもなんだか落ち着かない。


 その点、魔術による転移は便利であった。術式に取り込まれる気持ち悪さがわずかにあるものの、瞬きする間に目的地に着くので不快感はほぼ無いに等しい。不愉快な時間は短いに越したことはない。


 とはいえヴィオラが言うように、神からたまわった聖なる魔術を己の欲得のために使うのは確かに好ましくなかった。


 仕方ないな、と溜息をつくと、ヴィルヘルムは寝る体勢に入る。


 「ちょっと、さっきお目覚めになったばかりでしょう」


 また寝るのか、とヴィオラは言外に男を責めた。


 「気絶してこの不快感を紛らわしたいんだよ」


 ヴィルヘルムの物言いに女は渋面したが、諦めたのかやれやれと首を振る。


 「わかりましたわ。ですがせめて今日の予定を確認してからにしてくださいまし」


 それを聞くと、男はさらにげんなりとした顔を見せた。


 「予定も何も、どうせ貴族のお偉方と会合するだけだろう。何度も言ってるけど、僕みたいな田舎者がお貴族様と話すことなんてないよ」


 ヴィルヘルムの言葉に、確かに予定といえどそれだけですが、とヴィオラは言いよどむ。


 「皆、勇者アリス一行がたった十年で魔王を攻略した詳しい経緯を知りたいのですわ。安全確保のために

その旅路は我々一般市民には秘匿ひとくされておりましたから。それを知ることで、来るべき千年後への対策も立てられましょう?」


 女の言葉に、ヴィルヘルムの表情はますますかげる。


 彼女はそう言うが、実際のところ、会合の席では勇者礼賛らいさん、賢者礼賛の言葉が飛び交うばかりで、建設的な議論はひとつも出てきていない。


 旅での出来事なら大方は話し終えている今、相変わらず賢者を呼びつけるのはヴィオラが言うのとは別の理由からだろう。


 これまでの態度を見るにつけ、彼らは結局、勇者や賢者の名声を利用するために自分にすり寄っているに過ぎないのだと、ヴィルヘルムには思えてならなかった。


 確かに魔王が復活するのは千年も先の話だ。やっと平和になったのだからしばらくは先のことを考えず、この安寧あんねいな暮らしを謳歌おうかすべく既得権益きとくけんえきを守ることを考えたいとお偉方が思っていても不思議ではない。


 だが、この平和はかりそめで、しかもアリスの大きな犠牲の上に成り立っているという事実を前に、そのような身勝手な態度を見せつけられて不愉快でないわけがなかった。


 そういえば、と、男は横に腰かける淑女しゅくじょをまじまじと見た。


 その肌は白く艶やかで、真珠を彷彿ほうふつとさせる。


 長い睫毛に縁取られた水宝玉アクアマリンの虹彩を備えた目は、端がわずかに、きゅっ、とつり上がり、猫のような愛らしさがある。


 鼻先が小さくつんととがり、さくらんぼを思わせるぷっくりとした唇が印象的だ。


 輪郭を縁取るようにあごもとより少し上辺りで切り揃えられた、栗色の少し癖のある髪が、馬車の動きに合わせてふわふわと揺れている。


 いかにも賢そうなたたずまいのその淑女は、何事かと賢者を見返した。


 それに、なんでもないよ、と返すと、ヴィルヘルムはぼんやりと思索しさくひたりだした。


 (――ヴィオラは、真面目に僕の話を聞いてくれていたな)

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