自由コレクション
もしかしたら、次のターゲットは私だったのかも――
そんな希陽さんは一昨年、日本に帰ってきた。
帰国して間もない頃、地元の友人が「ぜひ紹介したい人がいる」と言って連絡をしてきた。友人とは数年ぶりの再会だったそうで、希陽さんとしては二人だけで会いたかったのだが、どうしてもと言うので紹介してもらうことにした。
まだ寒い土曜日の午後、待ち合わせ場所のカフェに最初に着いたのは希陽さんだった。窓際の席に座り、先に注文しようとメニューを開いて見ていると友人から『もしかしてもう着いた?』とメッセージが来た。
着いてるよ、と返すと『窓際の席?』との返事。たった数年会わなかっただけだ。まさか顔を忘れたというのではないだろう。メッセージの意図が掴めずにいると、『今日紹介する人、先に着いてるっぽい。希陽みたいな人が入ってきたって連絡がきて』と重ねてメッセージが送られてきた。
希陽さん自身はその”紹介する人”がどんな見た目か知らないのに、相手は知っている……。友人が写真でも送ったのだろうが、あまりいい気持ちではない。
素直に居場所を教えるのも嫌になって「早く来てよ」とだけ返して携帯をバッグに仕舞った。
注文を済ませると、奥の方の席から男性がすーっとこちらへ寄ってきた。
「希陽さんですよね」
……何となく、入店した時からこちらを見ているなとは感じていた。髪はきっちりセットしているが、曇った眼鏡に毛羽立ったコート。白い毛が混じる無精ひげの中年男性がこちらを見下ろしていた。
「今日、紹介してもらう約束のミノルです」
希陽さんの返事を待たずにそう言うと、勝手に向かいの椅子を引いて座ってしまった。
「入って来られた時にそうじゃないかなって思ったんですよ」
ぱっと見は中年男性だが、声は若く、曇った眼鏡の奥の目は赤ちゃんみたいで、全体的にちぐはぐな感じが妙に気持ち悪かったのだという。
ミノルさんは「どうして海外で仕事をしているのか」とか「将来はどこで暮らすつもりなのか」とか、初対面の人には教えたくないことをあれこれ質問する。
希陽さんは真面目に答える気はなかったので「まぁ、日本に飽きちゃったんで」とか「将来は動物がたくさんいるところで暮らしたいですねえ、犬でも猫でも鳥でも何でも好きなんですよ」とか適当なことを言って逃げたのだが。
彼は「いいですねぇ、自由で」と、全くいいと思っていなさそうな目でそう言った。
あまりにもプライベートについて質問をしてくるので、反対に希陽さんからも質問をしてみた。そこからは彼の独壇場だった。
農家の長男でずっと地元から出られないこと、近所にいる子供がうるさいこと、離婚歴があるということなどを聞かされた。
「ご結婚されてたんですか」
「あれ、聞いてませんでしたか? でも円満離婚なんで気にしないでください」
「はあ、円満……」
「そうですよ。原因は僕じゃない。元嫁でもなくて……猫なんです」
そして、こんな話をしてくれたそうだ。
ミノルさんの近所に猫を飼っている人がいた。飼い主は放任主義だったようで、猫は毎日気ままに外を散歩していた。田舎の常識というかよくある話なのだが、もちろん迷惑である。動物が好きなら外に猫がいるだけであれば気にならないが、猫は糞をする。自分の家の敷地内に糞をされたら、いくら動物好きであっても許せないという人は多いだろう。
ミノルさんは元々猫が嫌いだった。その嫌いな猫が庭にいるだけでも腹が立つのに、糞までされたら許せないどころの話ではない。家の周りにいるのを見る度に大声を出して威嚇したり、角材を持って追いかけたりしていたそうだ。
ある日そんな猫が死んでいた。それも、自分の家の前で。
「口から血吐いて死んでたんです。邪魔だから棒でつついて動かそうとしたんですけど、血が乾いて道路にべったり体が貼り付いて取れなかったんですよ。あんまり触りたくないから飼い主に電話して持って行ってもらったんですけど……何かその時猫のこと好きになっちゃって。だって生きてる時は好きなところふらふら散歩して、最後は自分で死にたい場所選んで死んだわけでしょ、」
――自由でいいなって
全くいいと思っていないような目でそう言った。それにしてもこの話、動物が好きと言った相手にわざわざする必要があったのだろうか。
希陽さんはできるだけ嫌な顔を作って見せたが、ミノルさんは何も思わなかったようで、話を続ける。
「で、それから何年かして元嫁が猫欲しいって言うんで飼ったんですよ」
例の出来事をきっかけに猫を好きになったミノルさんは、一緒にペットショップへ行き猫を選んだ。死んでしまったあの猫とは似ても似つかない可愛いサイベリアンの子猫だったそうだ。
しばらくは可愛い猫を見て癒されていたのだが、そのうち体に異変が出てきた。つま先がかゆい。見るとところどころ皮が剥がれている。かゆみはだんだん上に移動してきた。足、腰、お腹……そしてとうとう首元まで来た。赤く乾燥した皮膚はボロボロと剥がれ落ちる。掻きむしったところからは血が混じった滲出液が流れて服が貼り付く始末。病院にもかかったのだが保湿剤を処方されるだけで何も解決しなかった。
猫アレルギーではないかと検査もしてもらったが、「その可能性は低い」とのことだった。
仕方がないので猫は座敷から出さないようにし、完全に居住スペースを分けた。しかしそれでも治らない。最終的には家の敷地内にいるだけで涙が止まらなくなり、喉が腫れ呼吸もしにくくなってしまった。
「それで離婚したんですよ。元嫁に猫を連れて出て行ってもらいました。いなくなってからすぐに治ったんで、”勝った”と思いましたね。元嫁もね、希陽さんほどではないけど出張でよく海外に行くような仕事してたんですよ。でも今は猫がいるからって田舎で事務員なんかやってるらしいっすわ。猫って本当に自由でいいですよねぇ」
心底嬉しそうな顔でそう言ったミノルさんはボリボリと首元を掻きむしる。その両手の爪の間には赤黒い汚れが溜まっていて、まだ症状は進行中であることが伺えた。だが本人はそのことに気がついていないようだったので希陽さんは指摘せずに黙っていた。
そこで、やっと友人が来た。友人が注文を済ませたのを見届けてから、希陽さんは荷物をさっとまとめて店を出た。
どうやら友人は2人をマッチングさせようとしていたらしく、あのまま店に残っていれば連絡先を交換させられるところだった。
そのマッチングはミノルさんから依頼されたものだったというのが後日分かったのだが、だとすると余計に猫の話は不必要だったのではないだろうか。
もしかすると顔を合わせた瞬間に「なし」判定し、好感を持たれないようにわざと嫌な話をしたのかもしれないと希陽さんは思ったのだが、次のデートの約束をしたがっていると聞かされますます気持ち悪くなった。
それにしても、猫はどうして死んだのだろうか。聞いた時には事故死かと思っていたが、「死にたい場所を選ぶ」ならどうして飼い主の元へ行かなかったのだろう。普段から追い回されていたのなら、ミノルさんの家は一番選びたくない場所だったはずだ。
希陽さんは後で思い出したのだが、その話をする前に「怪談好きなんですよ」と言ったそうだ。プライベートについて色々知られたくなかったので、何か怖い話はないかと希陽さんから聞いたのだ。
そんなものはないと言う彼に、「何でもいいんですよ。幽霊が出てこなくても、生きてる人間とか動物が出てくる不思議な話でもいいです」と言った。
「怖い話ねぇ……」
と言ってミノルさんが話し始めたのが、前述の彼の生い立ちだそうだ。話はそれから近所の子供の話、離婚の話へと変わっていったのでどの辺が怖い話だったのかその時は希陽さんにはピンと来なかった。
もし怖いというのが猫の死に場所やアレルギーに似た症状のことだったとしたら。ミノルさんはそれら2つの因果関係を前提に話していたのだとしたら――。
予想が正しかったとしても、希陽さんはそのうちまた外国へ戻る。もう会うこともないだろう。
「違和感に気付かないまま2回目のデートなんかしなくてよかったよね。だってもしかしたら……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます