鮮霊
足立さんはその日、学生時代の友人とバーで飲んでいた。
おそらく70歳をとうに超えているであろう関西出身のママが一人で切り盛りしている小さな店。開店はママの体調次第といういい加減な営業だが、それでも割と繁盛している。というのも、このママは手相占いができるのだ。それもよく当たるらしい。そういう理由で、お酒ではなく占い目当てにやってくるお客さんでいつも賑わっている。
足立さんもそのような客の一人だった。仕事について占って欲しくて店に行ったのだが到着した時にはすでにほぼ満席で、やっと自分の番になった時には店に来てからすでに2時間以上経っていた。
「はい、お待たせ。何か聞きたいこととかある?」
「仕事のことでちょっと悩んでて……転職しようかと思ってるんですけど」
「ふーん……他にやりたいことがあるわけやなくて、今の会社がしんどいだけやんね」
ママは足立さんの手を見もせずにそう言った。
占いでも何でもないじゃないか、と随分待たされた足立さんは内心がっかりしたが、実際その通りだった。社内の人間関係に疲れて、どこでもいいから逃げたいと思っていたのだ。
「仕事辞めて彼と結婚するのもええんちゃう」
思わず足立さんは顔を
「あら? ちゃうかった?」
「付き合ってる人はいませんけど」
「えぇ、ほんまに? 後ろにおる男の人、彼氏やと思ったわ」
よくよく話を聞いたところ、ママは霊感のようなものは全くないと言うが、時々お客さんの後ろにはっきりと見えることがあるのだそうだ。
生身の人間のように血色がよく厚みも重みもありそうなのに端の方が少し透けていたり、地面からちょっとだけ浮いたりしているそれは、大抵がそのお客さんの配偶者や恋人、或いはもうすぐ恋人になりそうな親しい友達だったりするのだという。
強引にカテゴライズするならば生霊ということになるのだろう。
足立さんの後ろにもそういった男性が見えたため、てっきり彼氏だと思ったのだそうだ。
「猫背で、結構細い男の子やで。背はあんまり高くなさそうやなぁ。顎が細いのが見えるけど、帽子深く被ってるから全体はよう見えんわ」
その特徴に当てはまる人はいないだろうかと身近な人を色々と思い浮かべてみたが、どれも違う気がする。
「うーん……誰だろう」
「緑色の帽子で、つばの上に何や英語が書いてあるな」
「……ねぇ、もしかしてあいつじゃない?」
足立さんよりも先に友達が気が付いた。
”あいつ”とは足立さんの以前の彼氏である。大学の同級生で、3年生の時に付き合っていた。ちなみに、帽子は二人でオーストラリアに旅行した時に買ったものだ。お揃いで買ったつばの上にシドニーと書いてある帽子を、足立さんは恥ずかしくて日本では一度もかぶらなかったが、彼は毎日のように大学にかぶって来ていた。
「もう5年も前のことだし、さすがに……」
「いや、あいつならあり得るね」
確かに彼は猫背で華奢で、顎が細かった。ママが言った特徴は当てはまるが、別れてからずいぶん時間が経っている。
とは言え、友達の言葉に心当たりがないわけでもなかった。
彼がただの同級生だった時には気が付かなかったが、付き合ってからかなり面倒くさいタイプの男性だということが分かった。
例えば、友達と遊びに行くと言えば途端に機嫌が悪くなったり、彼から来たメールに30分以内に返事をしなければ『どうしたの?』『大丈夫?』『何してるの?』『今誰と一緒にいるの?』『どこにいる?』『もう俺のこと嫌いになった?』など、更に返事がしにくくなる内容の文章が立て続けに送られてきたりということは日常茶飯事。
うんざりしつつも付き合いを続けていた足立さんだったが、ある時彼がアルバイトを無断欠勤してまでデートに来たことが原因で大喧嘩、その勢いで二人は別れてしまった。足立さんと別れたのが余程ショックだったのか、彼は大学を休むようになり、ついには留年した。
そのことについて彼は自分を恨んでいるかもしれない、と足立さんは少なからず罪悪感を抱いていたのだ。
「あ、そういえばあいつのSNS知ってるよ……ほら」
差し出されたスマホを見ると、SNSのロゴマークの下に見覚えのある彼のプロフィール画像があった。おそるおそる画面をスクロールすると彼のタイムラインが現れた。
『生きててもいいことないので、ロープ買ってきた。さようなら。』
日付はちょうど1週間前。それが一番新しい投稿だった。
本当に彼が自殺したのなら、その原因の一部は自分にあるのではないか。バーに行った夜からずっと足立さんは自分を責めているのだという。
「でも、ママさんが見たのは生霊なんですよね? 自殺はしてないんじゃないですか?」
「気になって調べてみたんですけど、死んでからそんなに時間が経ってない場合は生霊みたいに鮮やかに見えることがあるって……」
SNSへの新たな投稿は未だないそうだ。
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