予定不調和

「幽霊が出てくるわけじゃないから、聞いたらがっかりするかもしれませんが」


 そう言って悠子さんは一冊の手帳を差し出した。

 淡い黄色の表紙の右端に小さく熊のキャラクターが描かれている。駅ビルのバラエティーショップで購入したというそれは、どこから見ても普通の手帳だった。


「ひとつずつ説明しますね」


 悠子さんは最初に2月のスケジュールページを開いた。

 目に飛び込んできたのは、14日の枠いっぱいに書かれたバツ印だった。

「年明けから付き合い始めた彼氏と、ちょっといいお店でご飯を食べる計画を立ててたんです」

 よく見るとバツの下の方にアルファベットが書いてある。食事をするはずだった店の名前だろう。2週間以上も前に予約して楽しみにしていたそうだが、前日の13日に悠子さんの親戚に不幸がありキャンセルしなければならなかった。


「次は、これです」

 3月の一番初めの木曜日と金曜日に『たかちゃん』と書いてあるのだが、その上からバツが書かれている。

「幼馴染の男の子です。この時、仕事でこっちに来るって連絡があったから久しぶりにご飯でも食べようって約束したんです」

 その約束は、彼が仕事中に大けがをしたために果たされなかった。


 他にも次々にページを捲ってキャンセルになった予定を説明してくれた。映画、ドライブ、旅行、花火大会、出張、ランチミーティング……多い時で月に4、5回はそういうことがあったようだ。


「何となく手帳を見返していて、キャンセルになった予定にバツ書いてみたらあることに気が付いたんです」

 それは、キャンセルになったものは全て男性との約束や予定だということだ。映画やドライブは彼氏と、出張やランチミーティングは悠子さんの上司である男性と行う予定だったそうだ。


 改めて手帳を見せてもらうと、確かに女性の名前や女子会と記されているところにはバツは書かれていなかった。約束は果たされたということだ。

 しかしひとつだけ、バツ印がない男性の名前を見つけた。


「この人は男性じゃないんですか?」


「あぁ、その人は……」


 悠子さんの話によると、それは転職コーディネーターの名前だという。

 何度かメールでやりとりした後、面談を行うことになった。それまでの経験から手帳に書き込むと男性との予定が中止になるということは理解していたのだが、あまり気が進まなかった悠子さんは「キャンセルになってほしい」という気持ちで予定を書いた。


 ところが当日の朝を迎えてもキャンセルの連絡がない。不思議に思いながら指定された場所に向かうと――


「女の人がいたんです」


 元々約束していた男性は待ち合わせ場所に行く途中に事故に遭った。そのため、代わりに女性のコーディネーターが急遽面談を行うことになったのだそうだ。


「これがどういう仕組みで予定を潰していたのか、それが分かればもう少し面白い話になったかもしれませんが、確かめようがないんです。ほら、これ何年も前の手帳だから」


 その後、悠子さんは手帳を購入しても男性との予定は書き込まずに、スマホのスケジュールアプリを使うことにしたそうだ。


 ただ、共通の知人にこんなことを言われた。


「何やっても無駄だと思う。だって男の人が悠子さんの後ろに立って手元覗き込んでるんだもん」


 もちろんだが実体のあるタイプの人ではないそうだ。私には見えないし、悠子さんにも見えない。知ったところでどうしようもないので悠子さんには何も言っていない。ただ、予定を記入する時には相手の名字だけを書いてみてはどうかと提案はした。キャンセルの頻度が低くなったので一応効果はあったようだ。

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