第九話 「歓談」

「ここ、かな?」


 僕は本真さんに言われた通り通路の左側、奥から二つ手前の病室の前に行った。ネームプレートには「篠崎しのざき」と書かれていた。篠崎、あやめ...。僕の中で何かがよみがえった気がした。しかし僕はそれを、頭の中によぎったその記憶を、無理矢理掻き消し、現実に戻る。


 彼女の病室の扉をノックしてみる。


 コンコンコン..................


「どうぞ...。」


 と彼女の小さい声が聞こえた。僕は少し緊張していたが、顔には出さないよう押し殺し、扉を開ける。

 僕はカーテンに隠された彼女が見える位置まで足を進ませる。


「こんにちは。さっきは、その、すみませんでし...」


 僕が謝ろうとすると、彼女は僕が誰か分かったようで、表情が変わり、ひっきりなしに


「さっきはごめんなさい!!」


 と声を張り上げた。今までの静かすぎるほどの微かな声が嘘のように。


「え...?どうして?僕が君に何かしちゃったから...」


「違う、違うの!私が...泣いちゃったせいで...その、何もしてないのに君が...怒られて...。」


 彼女は今にも泣きそうな声で、それでもはっきりと聞こえる声でそう言った。

 どういうことだろう...僕が何かしたわけじゃない、のか?


「それは違うよ、僕が君に何かしないと泣くはずないじゃないか。」


「違う...あ...確かに...違わないんだけど...!その、泣くつもりなんてなかったのに...その、えっと...ゴホッゴホッ...」


「落ち着いて、大丈夫だから、ゆっくり話そう!ほら、深呼吸、深呼吸!」


 彼女はゆっくり深呼吸をし、焦ってうまく話せていなかったが落ち着かせることができた。


「...落ち着いた?」


「......うん...ありがとう...。」


 彼女はコクリと頷いてくれた。


「質問してもいい?」


「うん...。」


「あの時、どうして泣いちゃったの?」


 僕は子供に語りかけるように慎重に、優しく話しかける。


「お母さんがいなかったからほっとしたのと、それと、君の言葉が...初めて会ったのに...優しくて、病気で打ちのめされてるのって言われたら、我慢できなくて...。」


 そういうことだったのか。てっきり僕が何か危害を加えたのかと...。でも、そんな一言で泣いてしまうなんて...。そんなにも打ちのめされているのか......。


「そうだったんだ...ありがとう、言ってくれて。」


「ううん、私こそ、ありがとう、話、聞いてくれて。」


 話している間、気づくと彼女との距離が近くなっていた。彼女も打ち解けてくれているようでよかった。実はこの病室に入るとき、彼女のお母さんがいないことは分かっていた。一階で本真さんを探しているときに病院から出ていくのを見ていたからだ。だからこそあの人がいないうちに話をしたいと思っていたのだ。


「あ、そうだ名前、まだ言ってなかったよね。」


 彼女はコクコクと頷く。


「僕は明上佑凌あかがみゆうり、改めてよろしくね。」


「私...は、篠崎彩夢しのざきあやめ、よろしく、ね。」

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