私小説「峠:そのニ」
私は、小学校三年生から五年生までと、中学校一年と二年、三年の前半までをいじめられて育った。
幼稚園児だった頃は記憶が曖昧だ。
私が物心ついた時、母はある新興宗教にハマった。
私はよくその会合だか集会だか講和だかに連れていかれ、恐らく一時間二時間はよくわからない話を聞いていたと思う。ほとんど覚えてはいないが、普通に育っていたらまず殆どの子供は通らないであろうその場所がうっすらと記憶に焼き付いている。
いじめの始まりは、母が子供達の親の間で無視されていたことが原因だとと思う。
次第にその無視の矛先が私に向いた。
周りからの睨みつけるような目線をいまだに覚えている。
今振り返れば、親たちは自分の子供に「○○さんの話、聞いちゃダメよ」と言ったのだろう。
小学二年生、九九を覚え終わった頃から私は無視され始めた。
無視程度なら正直誰だって経験はあるし、いじめだって今の日本では少なくない。
インターネットを探せば掃いて捨てるほど記事がある。
大人になってからも長い間、そう思っていた。
しかし、私の小学校は総人数五十人程度の村の小学校だった。
廊下を歩けば全生徒とすれ違うし、一学年十人にも満たない小さな学校での無視なのだ。
同級生に話す人はいないし、近い学年にも話す人はいない。
それは異質で、本当に人を孤独にさせた。
子供の頃の私は強かった、と思う。
その程度なら下を向いて歩くことで耐えることができた。
問題だったのは年が上の、五年生や六年生だ。
周りの年が近い子供達が無視をするのに対し、彼らは会うたびに罵詈雑言をぶつけてきた。
書きながら思い出すことのできる言葉は、
「臭い」だの「汚ねぇ」だの「息してんなよ」だの「なんでみんな無視してるから知ってる?お前がキメェからたまよ」だので、それをニヤけた顔で俯く私を囲むように言ってくるのだ。
それは先生しか話す相手がいない私の心を、確実に蝕んでいった。
しかしなんと、幸運なことに子供の頃のわたしはそれがいじめだとは思っていなかったのである。
今考えれば当然ではある。
母が新興宗教にハマったことが原因で、私に非はなかったのだから。
ここまでに悪い人はいなく、ただ私が子供ながらに傷ついただけだと思うだが、それは、今でも確かに心に残っている。
そしてその無視と悪口は、小学五年から六年に上がった瞬間にパタリと止まり、私に違和感と気持ち悪さを残した。
急にそれまで無視していた五人だか六人だかの児童が、私の友達へと変化したのだ。
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