第3話 一日前@街

 世界が終わる前の街は危なくてまともに行動ができない。


 自暴自棄になって暴動を起こすやつだっているし、そもそも公共設備がロクに機能していない。そんな状況下で外に出る人など、物好きくらいだった。


 だが俺は知っている。間違いなく春日崎かすがざきはこのご時世でなお外に出ると。

 なぜならそれが彼女の趣味であり、かつ彼女はだったからだ。


 予想通り、春日崎はいた。


 駅から少し歩いたところにある、使い勝手の悪いバス停。さすがにこの場所までくれば人の喧騒を小さくなり、比較的落ち着くことができる。そんなある種の避難場所で、春日崎はベンチに座って差も当然というようにスマホをいじっていた。


 春日崎は昨日とほとんど同じ服装だった。しかし、用心してのことだろう。長い黒髪は被っている帽子の中に入れられており、昨日とはまた違った雰囲気となっていた。


 俺は物怖じせず、堂々と春日崎に話しかける。


「よっ、春日崎」

「……なんで南木みなきがここにいるのよ」


 スマホから顔を上げ、呆れを通り越した警戒の表情を浮かべてこちらを睨んでくる春日崎。対して俺は冷静に、ここに至った理由を告げる。


「春日崎、いつか言ってただろ。街を歩きながらグラフィティとか見るのが趣味だって。折角の機会だし同行してみよっかなと思ってさ」

「……私は描かないからね」

「はいはい」


 威嚇してくる猫のようになった春日崎を横目に、俺は人通りの少ない路地を目指して歩いていく

 春日崎は渋々といった様子であったが、俺の後ろを歩いていった。



「南木はさ。なんでまた私にそんなに絵を描いてほしいのさ」


 人がいない交差点から、さらに人がいない路地裏。四方を壁に囲まれた場所で、春日崎はぼそっとつぶやいた。


「なんでって……前も言った、昔の春日崎を取り戻すためだよ」

「……昔の私、そんなにすごかったかな?」


 昔のことを昨日の事のように覚えている俺と違って、ほとんど覚えていない様子の春日崎。俺はいい機会だろうと感じ、壁に描かれたグラフィティをなぞりながら語り始めた。


「『絵を描くことしか興味ない』。昔の春日崎、よくこう言ってたよな。あの頃の春日崎は本当にキャンパスしか見えてなくて、絵画一筋だった。そうしてどんどんと傑作を生み出していく春日崎を見て、尊敬心が湧いてきたんだよ」

「……」


 指でグラフィティに描かれた文字をなぞる。『I draw a picture when I finish』、『私は終わる時絵を描く』。昔の春日崎と同じ熱が、作品からはひしひしと伝わってきた。


 僕の独白を聞いて、春日崎は黙りこむ。グラフィティを見つめて、空を見つめてしばし呆然とした彼女は、不意に俺を向いて言い放った。


「南木、ごめん。前言撤回する。描きたいものが見つかった。私は……終わりゆく世界の空が描きたい」

「……ああ!」


 春日崎の顔には、これまでに見たことのないくらいの笑みが浮かんでいた。


 俺はかつての春日崎の片鱗を見て、心が一気に温まるのを感じた。

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