第6話
「あんたたち、何かあった?」
「え? なにかってなにが?」
「それを訊いてるんだけど。昨日から理央も白石もなんか変。いつもは休み時間になると突撃してくる白石が来ないし、話してる姿も見ないし」
「夏が来ないんだから話してる姿を見ないのも普通じゃない?」
「だぁかぁらぁ、なーんで来ないのかって訊いてんのよ」
もう! と頬を膨らませてお弁当をつつく奏の言葉にわたしは卵焼きを口に運ぼうとしていた手を止めた。行き場を失くした卵焼きが元いた場所に落ち着く。今までお昼休みには必ず顔を出していた夏がどうして来ないのか、なんでもない風を装っているけど実はわたしも気になっていた。少し、いや、かなり。
昨日の朝、昇降口で会ってから姿は見かけるけど言葉を交わしていない。嫌な予感が一瞬頭を過ったけれど、どうやらそれは杞憂に終わったようで浮いた話の一つもあがってこなかった。そもそも夏に彼女ができたらもっと大騒ぎになっているはずだ。
実はこっそりと隣の教室を覗いてみたわたしの目には考え事をしているのか、ぼんやりとした夏が一人席に座ってお弁当を広げていた。いつも誰かとバカ騒ぎしているような彼が静かに昼食をとる姿に、何に驚いたかっていつもなら授業の合間合間に間食されて既になくなっているはずのお弁当が、この時間まで無事だったということだ。
それだけでも夏の様子がおかしいのは一目瞭然で、まるで太陽が分厚い雲に隠れてしまったかのようだった。
「喧嘩でもしたの?」
「……喧嘩した覚えはないよ?」
「なんで疑問系なのよ」
「覚えはないけど、何かしちゃったのかなって思って」
現に昨日も今日も夏はわたしに会いに来なかった。今まで毎日暇さえあればくだらない話をしていたのに。そう言うと奏は妙に納得した顔で頷いた。
「あんたならありえそうよね」
「どういう意味?」
「驚くくらい鈍いからでしょうが。知らないうちに傷つけるようなことしたのかもね」
「…………」
「じょっ、冗談よ。そんな落ち込まないで」
ずぅーんと沈んでしまった気分に「ごめんごめん。だいたいね、あんたが鈍いのなんて今に始まったことじゃないし、ちょっとやそっとのことで白石が理央から離れるわけないじゃない」と言ったところで奏は自分の失言に気づいたのか「あ」と開いた口に手を当てた。つまり、ちょっとやそっとじゃない、夏もさすがに看過できないことをやらかした可能性があるということか。
全く身に覚えのないやらかしに眉を顰める。距離を置かれているのは明白で、夏の元気がないのも本当。目すら合わないのも事実だ。わたしの方に夏を避ける理由がない以上、夏が意図的に接触しないようにしているとしか思えない。悶々と考え込むわたしに奏は「話しかけてきたら?」と頬杖をついた。
「話す?」
「こうして考えてても答えは出ないだろうし、いつも白石が理央にべったりなんだからたまには理央の方から行ってあげたら喜ぶんじゃない?」
いやいや、別にそこまで夏はわたしにべったりではないし、喜ぶなんてこともないだろうよ。それに、
「何も用事がない」
そう言ったわたしに奏は虚を突かれたような顔をしたあと、盛大に溜め息を吐いた。
「あんたたちは用がないと話しができないような関係なの?」
「それは……」
「何年幼馴染やってるのよ。何も用がなくても話せるでしょ」
それはいつもなら、の話だ。少しでも避けられているかもと思ってしまえばそんな常もあっけなく崩れる。少なくともわたしにはそんな勇気はない。
「……奏」
「言っておくけど着いて行かないわよ。私の何百倍も白石のこと知ってるのは理央でしょう。もっと地震持ちなよ」
ほら行ってこい、と視線で背中を押されてわたしはゆっくりと立ち上がった。そしてまたゆっくりと座る。奏が信じられないものを見るかのように目を見開いた。
「お、お弁当食べてから行く」
どうか時間の猶予を。その間に覚悟を決めるから、そう訴えるわたしに奏は「仕方ないな」と小さくこぼすのだった。
◇◇◇
なかなか覚悟が決まらず、いつもより時間をかけてお弁当を完食したけれど、お昼休みはまだ終わっていなかった。そこまでの時間はないけど、隣のクラスに行って話しをするくらいの時間は余裕である。奏の無言の圧が怖くてついに
重たい腰を上げて夏の前まで来てしまった。夏の驚きに満ちた瞳が向けられる。嫌そうな顔をされなかったことにほっとした。それにしても改めて対峙すると何を話したらいいのかわからない。奏はああ言ったけど、いつも何を話していたのかわからなくなるくらいにはわたしは緊張していた。
「……」
「……」
いや何か喋れわたし。夏も突然やってきた無言の幼馴染に困惑しているに違いない。座っている夏の前に立つと当たり前だけど見下ろす形になって、普段見下ろされているから夏に見上げられるのは新鮮だった。
「どうした? 理央から会いに来るなんて珍しいな」
いつまでも話し出さないわたしに痺れを切らしたのか、夏が先に口を開いた。たった一日と少し聞いていなかった夏の声がひどく懐かしく感じる。ここにきて声を聞いて漸くわかった。夏は怒っている。誰にって、たぶんわたしに。
「あ、いや、その……特に用事があるわけじゃないんだけど。ただ夏が元気ないように見えて」
夏の真っ直ぐに注がれていた視線が逸らされる。それだけの行為がすごく寂しくてチクン、と胸に針が刺さったような痛みがした。
「夏、何か怒ってる?」
「なんで」
「だって、目とか、逸らすし……」
素っ気ない態度の中に感じる棘。今まで喧嘩をすることはあってもこんなことはなかった。夏はいつもわたしに優しくて、怒ってムスッとしていても冷たさは感じなかった。そう努めてくれていた。
夏はわたしを一瞥して不機嫌そうに眉根を寄せる。
「おまえだって目ぇ逸らすじゃん。俺と話してても目を合わせないだろ」
「——っ」
指摘されて言葉が出なかった。再び黙り込むわたしに夏は険しい表情を浮かべたままで、そこにはいつもの眩しいほどの笑顔はない。ずしりと罪悪感が押し寄せる。
「ごめんなさい」
「別に、謝罪してほしいわけじゃねぇし」
「……」
「なあ、理央にとって俺は幼馴染にすらなれねーの?」
どういう——夏の言葉の意味を問い返す前に予鈴が鳴り響く。足が固まって動けない。喉に声が張り付いて音にならない。
「はやく行けよ」
冷たい声が静かに耳を刺す。ひんやりと反論することを許さないと言わんばかりのその声色にひゅっと喉が鳴った。他でもない夏に突き放される免疫をわたしは持っていない。くらくらと目が回りそうで、そのあとの記憶は曖昧であまり覚えていなかった。
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