第5話
『中野さん、これ白石くんに渡してもらえないかな?』
『……なにこれ?』
『ら、ラブレター……なんだけど。もしかして中野さん、白石くんと付き合ってたりしてるのかな?』
『付き合って、ないけど』
『よかったぁ。じゃあお願いできる?』
昔からこういった頼まれごとをされることが多かった。幼馴染だから仕方がないと言えばそうだけど、正直ラブレターなんて自分で渡せばいいのにと思ったことは何度もある。想いを綴って自分の手で渡すからこそ意味のあるものだろう。せめて机なり下駄箱なりに入れればいい。そう思っていたのも最初だけで、次第にそれが、彼女たちのその行為がわたしに対する牽制だったのだと気がついたのは中学二年生になったばかりのときだった。
放課後、呼び出されて渡されたのはピンク色の可愛らしい花柄の封筒。もちろんわたしに宛てたものじゃないことくらい理解している。頬をほんのり赤く染めた目の前の女の子は付き合っているのかと訊かれ「付き合ってないよ」と答えたわたしに安堵したように頬を綻ばせた。
『よかった。中野さん、夏くんと仲良いから付き合ってるんじゃないかって心配だったの』
『……そうなの』
『勇気出して中野さんにお願いしてよかった! わかってると思うけど、私ね夏くんが好きなの。だからそれ、よろしくね。バイバイ』
勇気を出す場面を間違えてるんじゃないかな、なんて彼女の後ろ姿をぼんやりと見送りながら思った。
想いの詰まった手紙がずっしりと重たく感じて、けれど心のどこかで冷めている自分がいる。名前も知らない彼女の為にこれから夏に会いに行くのかと思うとどっと疲れが押し寄せてきた。手元に残った一通の鮮やかな色が褪せて見える。
そんなことを何十回と繰り返し、中学も後半に差し掛かった頃には郵便配達みたいなことも収まってきて、わたしの学校生活も落ち着いていた。夏は相変わらずモテてはいたけれど、誰からの告白も断り続けていた夏に彼女たちはそっと見守ることを選んだらしい。これは奏からの情報だけど。だからつまり、久しぶりなのだ。
「な、中野さん! これ白石くんに渡してほしいんだけど……」
遠慮がちに差し出された手紙に視線を落とす。今まで朝一で渡されたことはなかったから、久々なのも相まっての不意打ちに驚いてしまった。
「ダメ、かな?」
無言を否定と受け取ったのか、不安そうな瞳が窺うように向けられる。なんでわたしなんだろう。幼馴染だから? 牽制? わざわざ昇降口で待っていたであろう彼女に聞きたいことがたくさんある。それをぐっと呑み込んで、微かに震えている彼女の手からそれを受け取ろうとして、動きを止めた。
これを受け取ったら、またあの日々が帰ってくるかもしれない。ただ手紙を渡すだけ、でもその一通の手紙にはわたしには想像もできないくらいの“想い”が込められている。他人の好きを運ぶのは、確実に何かが自分の心に溜まっていくようで苦しかった。その何かが何なのかいまだにわからないけれど。またあの日々に戻ってしまう。とにかくもう、仲介役にはなりたくなかった。
「——ごめん、できないよ」
謝ると彼女は唇を噛み締めた。
「……中野さんと白石くんは付き合ってないんだよね?」
「うん」
「ただの幼馴染なんだよね?」
「……うん」
ただの、がやけに強調されたような気がして胸がぎゅっと締め付けられる。
「中野さんが白石くんのこと何とも思ってないなら——」
「あれ? 理央!!」
「……なつ」
彼女の言葉を遮るようにして現れた夏は朝練終わりなのか肩にタオルを掛けていて、水浴びでもしたのだろうか髪が濡れていた。
「こんなのとこでなにしてんの? つーか理央まさか今出勤?」
「出勤って……まあ、そんなとこ」
まさかあなたへのラブレターに足止めくらっていたなんて言えない。わたしに手紙を託そうとしていた彼女は彼女で俯いたまま、手を後ろに回して手紙を背中に隠していた。わたしは一度小さく息を吐いて、漸く靴を履き替えると校内へと上がった。
「じゃあね」
歩き出したわたしに「待って待って、俺も一緒に行く」と慌てる夏。それでも振り返らずに先に進めば、夏を引き止める可愛らしい声が廊下に響いた。
確認しなくてもわかる。彼女はきっとあの想いのこもった手紙を渡すのだろう。夏は優しいからちゃんと受け取るんだと思う。そこまで想像して、再び感じた胸の痛みに目の前が霞んだ。
わたしには認める勇気さえない。
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