第2話
白石夏は昔から良い意味で一つのものに執着する男だった。物を大事に大切に扱って、たとえボロボロになって壊れても直せるうちは自分でどうにか直して手放さなかった。同じものを買っても先に壊れてしまうのはわたしの方で、勿論乱暴に扱ってなんていないし大切にしている。大切にしているつもりなのに。
鼻歌まじりに隣を歩く幼馴染のスクール鞄には小学生のときお揃いで買った猫のキーホルダーが青空の下で揺れている。わたしのキーホルダーは今はもう壊れてしまって大切なものをしまう小さな箱の中だ。これ以上壊れてしまわないように大事に大事にしまってある。
「……夏、バレーボール好きだよね。本当に」
「ん? どうした突然。すげー好きだけど」
「そうだよね。うん」
知ってる。何気なくこぼした言葉に、これ以上にないってくらいの満面の笑みで頷くから思わず目を逸らしてしまった。
夏はいつも眩しい。直視できないくらいに真っ直ぐで澱みがない。夏の隣にいると自分が濃く深い影になってそのまま暗闇の中に消えてしまいそうで時々怖くなる。快晴の空の下、どこまでも堕ちていきそうなわたしを他所に「あのさ」といつもより少し低い声が降ってきて、顔を上げたのとほぼ同時。ちょうど駅に足を踏み入れたわたしたちの耳に届いたアナウンスに足を止めた。
「……夏」
「ん?」
「電車来ちゃうかも」
放送に気がついていなかったのか、繰り返しアナウンスされた電車出発の時刻に顔を見合わせた。
「やっべ!! あ、お姫様抱っこする?」
「しないよ!」
「ええっ!!」
「もう早く!」
「よし任せろっ」
「うわ、ちょっ、夏?!!」
不意にがしっと繋がれた手にドキッとしたのも束の間、普段のわたしでは考えられないスピードで走る夏に引っ張られて、縺れて転ばないように必死に足を動かした。
「ハァ、ハァ、ハァっ、もっ、早い」
「悪い。大丈夫か?」
ギリギリ間に合った電車に乗り込んで乱れた呼吸を整える。わたしとは対称的に夏の方は息一つ乱していなくて驚異的な体力に感心してしまった。
本当に運動部ってすごいなぁ。というか夏がすごいのかな? 試合中も絶えずボールを拾って飛んで打ってはまた動いて。そりゃあ、体育意外に特別な運動もしていないわたしとは違うに決まってるか。
「なぁ、理央。さっきの話なんだけどさ」
「さっきの話?」
だいぶ呼吸も落ち着いてきた頃、静かに動き出した電車の中で再び切り出された話に顔を上げる。朝の通勤通学で人の多い電車の中、入り口付近の壁と人混みから守るように立ってくれている夏に挟まれて、電車の揺れで転んでしまわないように踏ん張る。
そういえば、何か話そうとしていたのを止めてしまったんだっけ。いつになく真剣な顔をしている夏に向かい合う。上げた視線の先で夏の喉元がごくりと動くのが見えた。
「今度、他校が何校か集まって試合やるんだけ——」
《ガタンッ》
「わっ!!」
「うおっ、あっぶね……」
いきなり大きく揺れた車体に倒れそうになった身体は伸ばされた夏の腕に支えられた。肩に添えられた手に緊張してしまう。空いている方の手をわたしの後ろの壁に突いているからさっきよりもずっと距離が近くなって落ち着かない。
「あ、あの、ありがとう」
「どーいたしまして。怪我ない?」
「うん、大丈夫。夏は?」
足でも捻っていたら大変だ、とさっきよりも近づいた距離で見上げれば「大丈夫」と笑った。至近距離、眩しい無理。そっと目を逸らして俯くと「どこか痛いのか?」と心配されてしまった。
「ちがうよ、大丈夫。あの、夏」
「ん?」
「もう大丈夫だから、少し離れようか」
「え、でもまた揺れたら大変だろ。この方が安心だし」
「…………うん、ありがとう」
夏は純粋にわたしを気にかけてくれているだけ。他意はないのだから変に意識する方が可笑しいんだ。うん。そうだよ、夏はわたしのこと女の子だなんて意識してないんだから。
「やっぱり朝は混むな」
「そうだね、わたし寝るからちゃんと支えててね」
「え、おい寝るなよ!」
慌てる夏の声を耳に目を瞑る。「おいおい、まじで寝るの?」と呆れた声にさすがに寝はしないしできないけど、と心の中で返す。返事のないわたしを「仕方ねえなぁ」としっかり支えてくれる夏に胸がぎゅっと苦しくなる。ごめんね、でも、この距離で夏を見ていたらきっと立っていられなくなる。
ドキドキと激しく鳴る鼓動に気づかないふりをして、到着するまでの間わたしはずっと逃げ続けた。いやもっと前からずっと、大切な幼馴染から逃げ続けている。
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