第一章 サンクチュアリのアルヴィエ男爵家④



 その日、言われた通りのおつかいができなかったニネットはままははからしつせきを受けることになってしまった。

 きちんと謝ったのだが、「申し訳ありません。また後で行ってまいります」とり返し、どんなにってもどうようしないニネットの態度が継母は気に入らなかったらしい。

 説教は外が暗くなるまで続いた。

 このまま朝をむかえるかもしれない、とも思ったのだが、エッダが「ニネットは使用人じゃなくて私のお姉様よ。わざわざお買い物に行ってくれたのに、お母様ひどいわ」と助けに来てくれたおかげで無事に解放されたのだった。

(またエッダに助けてもらっちゃった)

 エッダにお礼を言いつつ、やっとのことでしきすみにある小屋に戻ったニネットはふうと息をく。

「今日はお継母かあ様のお説教が長くってつかれちゃったな」

「ニネットは悪くない。悪いのはあいつらだろ。商店のババアと、この屋敷を乗っ取った親子」

「……屋敷を乗っ取った親子、って。エッダはいい子よ? いつも私たちの味方でいてくれるじゃない。今日だって、エッダのおかげで私はこのはなれに帰って来られたんだし」

「どうだか。あの女が腹黒く見えないニネットはどうかしてるよ」

「そんな……理由もなく人を疑うのはよくないと思う」

 つい反論すると、口争いのようになってしまった。

 ティルは目をらすとあきらめたようにため息をらしている。

(きつい言い方になってしまったかも)

 反省したニネットは、部屋の一番奥、通路をはさんで並んで置かれたベッドにこしけたティルの隣に座った。

 エッダについては、よくティルと意見が食い違う。

 ニネットにとっては、エッダは年下の友人であり、ティルと同じように大事な妹分に変わりない。

 けれど、ニネットの立場をおもってくれるティルの優しさも痛いほどわかる。

「ティル、今のは私がよくなかったわ。ティルは私のことを心配してくれたのに、ごめんね」

 口をとがらせたティルの顔をのぞき込むと、そのひとみいかりに満ちていることがわかる。

「……俺はニネットからすべてをうばったあの親子がにくい」

「私の代わりにおこってくれているのね? でも、確かにお継母様にいきどおる気持ちは……まぁ、わかるっていうか完全にいつしよかな」

「なら……ニネットはこんなにひどい目にってるのに、なんでまだエッダのことだけは信じてるんだよ? エッダはあのババアのむすめだ。絶対にニネットを裏切る」

 ニネットはなだめるようにしてティルの銀色のかみでた。

「お父様がいたころといなくなった後、かくして私たちへの態度が変わらないのはエッダだけでしょう? エッダとこのお屋敷の中で話していると、あの頃に戻れるんじゃないかって思ってしまうの」

「それにしたって」

「……形勢逆転が難しいとわかったら、怒りは消えちゃったのよね。だって、私はせいれいけいやくしていないんだもの」

 ティルが息をんだ気配がする。年下の弟分に弱音を吐きたくはないが、たまにこうして本音が漏れてしまうこともある。

 精霊のえいきようを強く受けるこの世界では、一部の人間は精霊と契約できる資質を持ち、より上位の精霊と契約することこそが強さやゆうふくさのあかしにもなる。

 イスフェルク王国の王都サンクにタウンハウスを持つ名門貴族では、特にそういう人間が多く生まれるのだという。

 そして、アルヴィエ男爵家が治めるこの聖域サンクチュアリにも、同じような言い伝えが存在する。サンクチュアリはこんなに小さな町なのに、精霊と契約できる人間の割合がとんでもなく高いのだ。

 この国では、精霊が見えて契約できる人間の割合は五パーセントほどだといわれているが、サンクチュアリだけに限って見ると十五パーセント程度の人間が精霊と契約できている。精霊が生まれ育つといわれる土地ならではの現象だ。

 しかし、ニネットはサンクチュアリを治めるアルヴィエ男爵家に生まれたにもかかわらず、精霊と契約できていない。

 その理由は継母にあった。

 ニネットの「自分は精霊と契約していない」という言葉にティルが反応する。

「それは、あのババアが俺たちに精霊と契約する許可を出さないからだろう? あのババアが理由をつけて許可を出さないのは、ニネットが高位精霊と契約するのがこわいからだ」

「ティル……大人になれば自分たちでしんせいして契約ができるから、それまでのしんぼうよ」

「その前に、この家は完全に乗っ取られるよ。中位精霊と契約しているエッダがどこかから婿むこを取ればいい話だ。現に、あのババアは十三歳のエッダにもうえんだんを探してる」

 イスフェルク王国では、十三歳で精霊と契約する資格のかくにんするのがいつぱん的だ。

 確認には国へ申請し許可を得ることが必要になる。もちろん、後見人が精霊と契約するのに不適だといえば許可は下りない。

 それは、サンクチュアリのアルヴィエだんしやく家ですら例外ではなかった。

 どうやら大昔、とある名門貴族に生まれた者が、幼いうちにとんでもなく強大な力を持つ精霊と契約してしまい、精霊にあやつられて世界に大きな影響をおよぼしたせいらしい。

 当時、事態はなんとか収束したものの、精霊サイドも無傷ではなかったようだ。

 それ以来、精霊サイドは『十三歳に満たない人間とは契約をしない』、人間サイドも『精霊と関わっても問題ない人間かしんする』とそれぞれの条件をかかげた上で関わるようになったと言われている。

 ニネットとティルは『教育が行き届いていない』という理由から、継母から精霊との契約可否について確認を許されていなかった。

 けれど、今年十三歳になったまいのエッダは誕生日に申請が認められ、精霊が見えることを確認し契約した。

 エッダに見えるのは中位精霊で、そのこともニネットたちの立場を悪くしている。

(精霊が見える人の中でも、中位以上の精霊と契約できるのはほんの一部だと聞いているわ。少なくとも、このサンクチュアリにはエッダだけ。エッダをあとぎにしたいお継母様の気持ちもわからなくはないけれど、ここはお父様の家で、私とティルの家よ。わたしたくない)

 ため息をつくニネットの想いをかしたように、ティルは険しい表情をしている。

「この国では、精霊に愛される人間ほど異性を引き寄せると言われている。それにくなっただん様も高位精霊と契約していた。ニネットだって、きっとすごい精霊と契約できるはずなんだ」

「ティルは物知りね」

「茶化すな。エッダがそれなりにいい精霊と契約できたのだって、この家を乗っ取ったからだろう。精霊が契約者を選ぶにあたって家名を重視することは、王都から来た家庭教師に教わった。アルヴィエ男爵家の名前は精霊にとっても特別だって」

(ティルが言いたいことはわかるけれど、私たちがこのじようきようで家を取り戻すのは現実的ではない……)

 話せば話すほど悪い方にしか考えられず、どうにもならない気がした。

 空気を変えたかったニネットは、パンと両手をたたく。

「今夜は寒いわね。一緒のベッドでましょうか」

「……は」

「ほら、こっち」

 ニネットは自分のベッドに入り、ブランケットをめくってぽんぽんと叩く。

 半分空けたからここにおいで、のジェスチャーのはずだったのだが、さっきまで厳しい顔をしていたティルは信じられないというふうに目と口を開いた。

 まさに、ポカンである。

 そしてもう一度り返す。

「……は?」

「あれ、来ないの?」

じようだんだろ。だれが一緒に寝るかよ。俺はもう十三歳だ。子どもじゃない」

 ティルも『ふざけるな』の顔をしているが、ニネットだって信じられない。

「うそ! 去年までは一緒に寝てたのに……!?」

「それ去年じゃないから! ここ数年は一緒に寝てないだろ!?」

 ティルは半ばヤケクソのようにさけぶと、自分のベッドに入って向こう側を向き勢いよくブランケットをかぶってしまった。

(そんな……。そうだったかな。そうだったかも……最近のティルは、本当に難しい……)

 さみしいが、弟分の成長は認めなくてはいけない。

 ニネットもしぶしぶひとりでベッドにもぐり、明かりを消す。

 するとティルのベッドの方からぶっきらぼうな声が聞こえてきた。

「ニネット。今は金をめて備えて、俺がもう少し大きくなったらこの家を出よう。あいつらを追い出せないのなら、せめて、いつか二人で暮らそう」

「そうね、楽しみ」

 その数分後、おだやかないきだけのせいじやくがやってくる。

(──この言葉は、ねむりにつく前の私たちのしきのようなもの)

 窓の外から差し込む月明かりがほんのり小屋の中を照らしている。

 きようぐうを思えばめぐまれてはいないが、ニネットにとってはささやかな幸せで満ち足りた毎日。

 ──その穏やかな日々はあっけなく終わりをむかえることになる。

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