第一章 サンクチュアリのアルヴィエ男爵家③

 ため息をつきつつ顔をあげると、目的の商店にとうちやくしていた。

 気持ちを切りえ、たまにおつかいにくることがある、食品を扱うみの店に足をみ入れる。

 そうして、メモをもとにたのまれたものを探していく。

 小麦粉に砂糖に牛乳。ニネットがおつかいで頼まれるのは、なぜか重いものばかりだ。隣のティルが「あのままははクソババア」と悪態をついているが、ニネットはことづかいを窘めつつ品定めを進めていく。

(早くおつかいを済ませてしまおう。これ以上めんどうに巻き込まれたくないもの)

 けれど、願いはかなわなかった。

 商品を選び始めて数分ったところで、女店主がティルに向かって話しかけてきたのだ。

「あんた、バシュレのチョコレートをぬすんだね?」

「「?」」

 心当たりが全くなかったニネットはティルを見る。当然、ティルも意味がわからないという顔をしていたので、二人そろって首を振った。

 しかし女店主は意地悪く続ける。

「さっきまで確かにあったんだよ。めつに入ってこない高級品を主人にみつごうってのかい? あーやだやだ。男たらしで悪女の領主様が連れている護衛は物をるんだね」

(……! なんてひどいことを)

「私たちはそんなことは」

「フン、男たらしの悪女様もわかってるんだかわかってないんだか」

「おまえ、彼女を何て呼んだ?」

 自分のことなら、いくらでも聞き慣れている。けれど、大切な弟分を悪く言われてはたまらないし許せない。

 しかも、ティルのほうもニネットが悪く言われると信じられないほどおこるのに、自分への言葉に関してはおどろくほどとんちやくなのだ。

 現に今もティルは隣で怒ってはいるが、ニネットが「男たらし」と呼ばれたことの方に腹を立てているようだ。もっと自分を大事にしてほしい。

(とにかく何とかしないと。このお店にはたくさんの人がいて、この店主が私たちに言いがかりをつけているのを見ているわ。もし盗みをするなんてうわさになったら、ティルはこの町を歩けなくなる)

 危機感を覚えたニネットは、大切に身につけていたかいちゆう時計を外す。

 大切なティルを守るためだと思えば、躊躇ためらう理由などない。そして、睨むようにして女店主をえた。

「私の護衛はそのようなことはいたしません」

「へえ。護衛がぬすびとなら、主人も主人だね。領主の家の奥様にうとまれるだけあるよ」

「私に関してはどう思っていただいても構いません。でも、あなたが私を認めないこととティルが盗みをする人間かどうかは別です」

「何だって!?」

 一見弱々しくも見えるニネットが反論したことに驚いたのか、女店主は目を丸くした後で顔を真っ赤にしている。

 そこへ冷ややかな視線を送りながら、ニネットは懐中時計を差し出した。

「ですが、これをお代に」

「!? そ、それは……」

 さっきまでえらそうだった女店主は、ニネットが差し出した懐中時計を見て目を泳がせた。

 まだいかりが収まらないニネットはあえてにっこりと微笑ほほえんで見せる。

「これならチョコレートのお代に足りるでしょう。お金がほしいのなら差し上げます」

「あ……アタシは何もそこまで」

 この女店主が狼狽うろたえているのには理由がある。

 今ニネットが取り出して見せた懐中時計は、領民みなからとてもよくしたわれていた父親の形見なのだ。

 ニネットは悪女として遠巻きにされているが、父親はそうではなかった。領民に慕われる良き領主だったし、今でも命日にはたくさんの領民がしのんでいる。

(この懐中時計が、お父様が私に残してくれた形見だということは町の人皆が知っているもの。だからこそ価値がある……っ)

 ニネットは心の中で自分に気合いを入れ、店主をさらに睨みつける。

「いいえ、受け取って。ティルはお父様が大切に育ててきた私の護衛よ。失態があったのならお父様の責任です」

 さすがに店主は受け取れないようで、目を泳がせてくちびるふるわせはじめた。

 受け手のない懐中時計が空中でゆらゆらと彷徨さまよう。その向こうに見える店主の顔はいつの間にか青ざめていた。周囲が息をんで見守っているのがわかる。

(居合わせた人たちに、ここまで見せておけばだいじよう

 ころいだと判断したニネットは、しゃらりと音を立てて店主の目の前のカウンターに懐中時計を置き、背後のたなを指差した。

「……確信があったから盗人あつかいしたのでしょう? ──それで、そこにあるバシュレと書かれたチョコレートの箱は何?」

「えっ!?」

 カウンター奥の棚には、盗ったとされたチョコレートの箱が置いてあった。

「行きましょう、ティル。こんなところに長居する必要ない」

 女店主の驚いた声と同時に、ニネットはティルを引き連れ出口へと向かう。

「やるなぁ、次期領主のおじようさん」

「代金はらったうえであんなふうに言われたんじゃなぁ。何もかも、アンタの負けだよ」

 そんな声が聞こえてくるが、怒っているニネットは立ち止まることはなかった。

(ひどい言いがかりだわ。許せない……!)

 本当は、形見など持ち出さずにただチョコレートがそこにあることをてきすればいいだけの話だ。

 けれど、あの店には多くの客がいた。サンクチュアリは小さな町だけに、悪い噂が広まるのも早い。

(あれだけやれば、チョコレートを盗んだという誤った噂ではなく、あの店主が代金としてお父様の形見を手に入れたという噂の方が広まるにちがいないもの)

 自分のことには無頓着なティルが何としてでもニネットを守ろうとするように、ティルが悪く言われると絶対に許せないのはニネットも同じことだった。



 すっかり腹を立てながらの、商店からの帰り道。

「ほんっとうに信じられないわよね。いやになっちゃう」

「……」

 ニネットの怒りはまだ収まらないが、当のティルはなぜか上の空だ。

(ティル、さっきから心ここに在らずって感じだけれど、どうしたのかな。考えごと?)

 なにか気になることがあるらしい弟分を心配しながら、アルヴィエだんしやく家のしき前まで来たところで、見慣れない馬車が門を出ていく場面にそうぐうした。

 この辺ではあまり見ないごうな造りの馬車である。

 よく商人が乗っている、荷台が大きな馬車ではなく、とびらそうしよくがつき、窓には高級そうなのカーテンがかかっている。

 ちらりとしか見えなかったので定かではないが、例えば公爵家のもんが入っていてもおかしくない、この町にり合いなふんにニネットは首をかしげた。

「王都からお客様……? でも、そうだとしたら、めったにないことなのに、知らされていないのは不思議よね。おもてなしの準備もしていなかったし」

「……別に気にしなくてもいいんじゃない。あんな馬車を持つような高貴な家がうちに用事があるなんてどう考えてもおかしいし」

「あっ、ティル!?」

 ぶっきらぼうに言って歩き始めたティルの後ろを、あわてて追いかける。

 最近のティルは、大人ぶりたいのか言葉少ななことも多い。

 それにしても、さっきから何かかんがあるような気もする。秘密が多くなるおとしごろなのか、と少しさびしくなっていると。

「それより、ニネットはいいの?」

「? なぁに? ああ、おつかいなら、後で私一人で行ってくるから大丈夫」

「違う。買い物じゃなくて、だん様の懐中時計のこと」

(なんだ。そんなことを気にしていたのね)

 帰り道、ティルはほとんど話さなかったが、どうやらニネットが手放した父親の形見のことを気にしてくれていたかららしい。

 ティルらしい不器用なやさしさがかわいい、好きだ。そう思えば自然とほおゆるむ。

「いいの。私にとってはティルのめいを守れたことの方が大事なの。あなたは、私の護衛ではあるけれど、お父様がしんらいして大切に育てていた私の大事な弟なんだもの。だから、あの懐中時計はティルのものでもあったのよ。正しい使い方だったわ」

「…………」

 ティルから、どことなく不満そうな視線が向けられているのは気のせいだろうか。

「ん? 何? 私、何かおかしなこと言った?」

「……別に」

 首を傾げていると、ティルはニネットのとなりどおりして屋敷へともどっていく。

 こつのあたりをぽりぽりとき、気だるそうに歩く仕草からは何らかの不満が感じ取れるが、ニネットにはその原因がわからない。

(最近、ティルをかわいがろうとすると不満そうにされるのよね……。難しいお年頃なのだと思うけれど……前は何でも話してくれたのに……!)

 いつの間にか、自分と変わらないたけになってしまった背中を見送る。

 ずっとふたりで寄りって生きてきた分、なかなか弟ばなれはできそうにない。

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