第一章 サンクチュアリのアルヴィエ男爵家②



 そこからは本当にあっという間だった。

 父親が亡くなった日の夜、ぼうぜんしつになっているニネットの部屋のとびらが叩かれた。

 返事もできないでいるうちに勝手にかぎが開き、ずかずかと入り込んできた継母にニネットは自分の部屋を追い出された。

 しきで一番日当たりがよく調度品もごうしやだったニネットの部屋は、あっという間に継母のものになったのだ。

 母親のよめり道具のドレッサーも宝石もドレスも、全部取られてしまったが、ニネットにはこうする気力すら残っていなかった。

 父親の死を受け入れられず泣きじゃくるニネットは、気がつけばティルとともに庭のはなれに押し込まれ、持ち物もほぼ取り上げられてしまっていた。

 離れと言えば聞こえはいいが、元は物置小屋である。造りは信じられないほどにまつすきかぜもひどい。

 後日、使用人用の部屋から簡素な造りのベッドとテーブルが運び込まれたものの、ほかには何もなく、ニネットはとても困惑した。

 けれど、だれも助けてはくれなかった。屋敷で働いているみなが、継母にかいされることをおそれたからである。

 それまでニネットをおじようさまとしてあつかっていた使用人たちはよそよそしく、冷たくなった。

 たった一晩で、これまでのめぐまれた幸せな暮らしはうばわれてしまったのだ。

 当然、ティルに付けられていた特別な家庭教師やニネットのしゆくじよ教育の先生は来なくなったし、これまでは父親の不在時でも許されていたしよくたくへの同席が許されなくなった。

 まさに、父親の後妻と連れ子に『家を乗っ取られた』が正しい表現である。

 父親が万一のときのために準備していた遺言書では『跡継ぎはニネット・アルヴィエ』と指名されていた。

 だが、そもそも未成年のニネットの後見人は継母だ。大人になるまでは従うしかない。

(こんな家、出ていきたいと思ったことは何度もあるわ)

 けれど、イスフェルク王国でのアルヴィエだんしやく家の役割を理解しているニネットはげ出すわけにいかなかった。

(イスフェルク王国はせいれいえいきようを強く受ける国。特別な辺境の町サンクチュアリのアルヴィエ男爵家が健在でないとなると、何が起きるかわからない。だから一応、今のところは国の法律にのつとって私がこの家を継ぐことになっている。でも、実際には居場所がない)

 町を歩きながらぼうっと考えていたところでうでに痛みが走る。

「ニネット様! 今日こそはデートの約束を」

「!?」

 見ると、顔見知りの男性がニネットの腕をつかんでいた。

 顔見知りとはいっても、彼は残念ながらあまりかんげいしたい相手ではない。これまでに何度も言い寄られて苦労している相手だ。

 すかさず、となりを歩いていたティルがその男の手をはらいニネットとの間に入る。

「何をしている?」

「私はただニネット様とお話がしたいだけで」

「彼女に近づくな」

「!? ひ……っ」

 男がもう一度ニネットへ手をばしてきたところを、ティルが掴んでひねりあげる。

 十三歳のティルはニネットと同じぐらいの身長しかないが、幼い頃から英才教育を受けてきたため、身のこなしも力の入れ方も大人の護衛とそんしよくない。

 ティルに腕を掴まれた男は、悲鳴をあげて逃げていってしまった。

「ティル、ありがとう。ぼうっとしていたからかも、ごめんね。もっとちゃんとする」

「……」

 ティルが何も答えない代わりに、遠巻きに見ていたまちむすめたちの会話が聞こえてくる。

「うわぁ。男たらしのニネット様だよ」

「今の人、イネスのこいびとじゃなかった?」

「本当に誰でもおかまいなし……最低ね」

 ニネットのお礼の言葉には無反応だったティルは、彼女たちの言葉にはぴくりと反応する。そしてニネットを背にして守ったまま、今度はそっちをにらみつけた。

「……今なんて言った?」

「「「!!!」」」

 あまりのけんまくに、町娘たちは顔色を変えて逃げていく。

 かと思えばまだ話し足りないことがあるようで、少し離れた場所でまたひそひそとうわさばなしをはじめた。

「あの子かっこいい……っていうかきれいだよね」

「ダメだよぉ。ニネット様のものだもの」

ちようぜつれいな少年護衛を従えた悪女が次期領主さまかぁ。人生って不公平」

 はっきりとは聞こえないが、恐らくこんなところだろう。

 どれも、これまでの人生でニネットが何度も言われてきた言葉だ。

(私だってこんな体質はいやなのにな)

 すっかり慣れてしまったニネットは遠い目をする。

 実は、ニネットは少しとくしゆな体質をしているようで、なぜか不思議と異性を引き寄せてしまう。

 そのせいで、こんなふうに『男をたぶらかす悪女』という目で見られてしまうことがよくあるのだ。

(……だけど、ティルがわかってくれるからそれでいいの。誰か一人でもわかってくれればいいし、それが大事な弟分のティルならなおさら

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