第一章 サンクチュアリのアルヴィエ男爵家①

 ──さかのぼること十年前。


 精霊が支配する国、イスフェルク王国には重要な場所がふたつある。

 ひとつは、王都サンク。

 小高いおかを背にして建てられた王城を中心に、美しい街並みが広がるイスフェルク王国最大の都市で、政治・経済はもちろんあらゆる面において国のちゆうすうとなっている場所だ。

 王都には、千年以上も前から精霊と人間のはしわたし役をになっている公爵家『ベルリオーズ家』が存在する。

 精霊が支配するこの国で、ゆいいつ精霊とのこうしよう権を持つベルリオーズ公爵家は、王族並みの権力と絶大なえいきよう力をほこる家だ。

 ふたつめの重要な場所は、辺境の町サンクチュアリ。

 はるか遠い昔、精霊が誕生したとされる場所に作られたサンクチュアリは、聖域とも呼ばれている。その流れをんでいるせいか、精霊と契約できる特別な人間が多く生まれる不思議な町だ。

 このサンクチュアリにも特別な家が存在した。

 それが、この地の統治を任されている『アルヴィエ男爵家』である。



「ニネットー! お母様がおつかいに行ってきてほしいみたいなの。使用人の手がいっぱいで……。私はこれから家庭教師の先生が来る時間だし、たのんでもいい?」

「もちろん! 私が行くわ」

 そうちゆう、ニネットが階段の上にいるまいエッダからのこえけに答えると、となりのティルは不満そうにため息をついた。

「アレ、絶対わざとだぞ。初めからニネットに行かせるつもりだったんだろ? 大体、あの女がおつかいに行ったことなんてあるか?」

「またそんなこと言って。……ほらティル、いつしよに来てくれる?」

 たしなめつつお願いすると、つい今まで生意気な口をたたいていたティルはむすっとしたままぶっきらぼうに答える。

「……当然だろ」

(ふふっ。私の弟は口は悪いけれど、なおだわ)

「ニネット、ティル、それじゃあお願いねー!」

 ティルの悪態が聞こえなかったらしいエッダは砂糖のように甘く愛らしく微笑むと、真新しいドレスをふわりとゆらし、二階の奥へと消えて行った。

 それをがおで見送ったニネットは、ぞうきんを片付け、掃除でよごれたエプロンを外し、外出の準備をする。

 この生活をするようになってからはそろそろ三年。掃除もせんたくも、ハウスメイドとしての仕事は大体できるようになった。

 初めはまどってばかりだったが、今となってはこれがもうすっかりニネットの日常だ。



 十六年前、ニネット・アルヴィエはこの町の領主でもある、アルヴィエ男爵の長子として生まれた。

 ニネットのゆるいウエーブをえがくブロンドのかみと、き通ったあわい空色のそうぼうは母親ゆずり。大好きな母親とよく似た外見は、幼い頃はニネットのまんでもあった。

 けれど、その母親はニネットが五歳の時に流行はやりやまいくなってしまった。

 そこから一年もたないうちに、ままははと連れ子のエッダがアルヴィエ男爵家にやってきた。

 三歳年下のエッダはニネットを実の姉のようにしたってくれ、ニネット十六歳、エッダ十三歳になった今ではすっかり友人のような関係になっている。

 しかし、継母はそうはいかなかった。

 ニネットの父親がいるところではあい良くしてくれるものの、いなくなったたんに態度が冷たくひようへんしてしまう。

 それを幼いエッダがえんりよがちに取り持ってくれるのが、子どものころからの光景だった。

 家族の複雑な関係に気がつかないにぶすぎる父親は、ニネットが六歳のある日、どこかからエッダと同じとしの男の子を連れ帰ってきて養子にした。

 それがティルだった。

(初めて会った時からティルはびっくりするほどれいな顔の男の子だったのよね。口は悪いけど、たたずまいに気品があるっていうか……不思議な子だった)

 神秘的な銀色の髪に、深い青のひとみ。ニネットには、このティルと名乗った男の子は三歳とは思えないほどにかしこそうに見えた。

 そして、ティルはいつの間にか自然とニネットの護衛として育てられることになった。

 それだけではない。どういうことなのか、ニネットの父親はティルにたくさんの家庭教師をつけ英才教育を進めることにしたらしい。

 けんじゆつに体術、あらゆる学問のほか貴族としてのマナーを教える先生までをわざわざ王都から呼び寄せ、最上級の教育を受けさせた。

 そんな毎日を過ごすティルは、この家のあとぎのはずのニネットよりも明らかにいそがしそうで、勉強する姿を見ながらこんわくしたこともある。

 自分が跡継ぎのはずなのにティルの方が目をかけられて複雑な気持ちだったからではない。自分より三歳も年下の男の子なのに、どんなに勉強が大変でもちっとも弱音を吐かないことが不思議だったからだ。

 まるでなにか特別な目標でもあるようにしか思えず、ニネットは何度も首をかしげた。

 あまりにも不思議で、何度か将来の夢を直接聞いてみたけれど、はぐらかされるばかりで教えてはくれなかった。

(ティルは運動神経も頭も要領もいいから、あのままだったらティルがアルヴィエ男爵家を継ぐことになっていたのかもしれない)

 そんなことを考えることもある。

 けれど、現実はつらく厳しいものだった。

 ニネットとティルのゆいいつの味方だった父親は、三年前──ニネット十三歳、ティル十歳のある日、とつぜんの事故で帰らぬ人となったのだ。

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