足立由香(1)

待ち合わせの喫茶店の店の前まで来た由香は、スマホを取り出して約束の相手とやりとりをしていたダイレクトメッセージを確認する。

『話を他のお客さんたちに聞かれないように、奥のほうの席を確保しておきました。水色のシャツを着ているのが私です。足立様の分のお飲み物も先に注文しておきましょうか?』

『ありがとうござ』

いや、返信するよりも直接話したほうがいいな。そう判断した由香は、スマホを仕舞い、喫茶店の引き戸を開けた。

店に入り、店員のいらっしゃいませの声に会釈で対応しながら、水色を探す。目的の人物はすぐに見つかった。

「あの、三島修さんででしょうか?」

「ええ、足立由香様でございますね?」

前に電話でやりとりをしたときに聞いた声だった。しかし、電話越しで声を聞いていたときのイメージと実物とのギャップがあって、思わずじろじろと顔を見てしまった。

「あの、足立様でお間違いないでしょうか?」

「あ、すみません、間違いないです」

軽く頭を下げて席に座る。ダイレクトメッセージを確認していなかったことで、無視する格好になってしまったことを軽く詫びて、店員を呼んでアイスティーを注文した。


三島修とは高校時代の先輩である高橋輝明の紹介で知り合った。

『俺の知り合いのフリーライターが、足立に取材したいことがあるらしいんだけど、連絡先教えてもいい?』

取材の内容に心当たりがあった由香は、全く乗り気ではなかったが、学生時代の高橋が強引で面倒なタイプだったことを思い出し、渋々OKを出した。断るにしてもそのフリーライターに直接断ったほうが楽だろうという算段だった。

了承の返事を返してからしばらくするとSNSのダイレクトメッセージに三島修と名乗る人物から連絡が来た。チャット上で挨拶を交わしたのち、詳しいことは口頭で話たいという三島の要望に応えて、電話をすることにした。

ーーー国宝美穂さんの件についてはご存知ですよね?

取材の内容は由香の予想通りだった。

その惨劇が起こったのはクリスマスの日のことだった。国宝美穂は息子の敦を巻き込んで無理心中をした。

このことが報道されるとSNSを中心にちょっとした話題になった。自殺大国とも言われるこの国で国宝家の心中が注目されたのは、彼女には息子を巻き込んで自ら死を選ぶ理由が全くと言っていいほど見当たらなかったからだ。金銭トラブル、家庭内暴力、病気そういった心中を引き起こすトリガーとなりうる問題はこの家族にはなかった。一家の大黒柱である大樹の収入は十分で、専業主婦の美穂が家族に隠れて借金をしている、などということはなかった。亡くなった二人の体にはDVを受けていたことを示す証拠は残っていなかった。息子の敦は亡くなる半年前には迷子の幼児を助けて表彰されるほどの優等生で、家庭内トラブルを起こすような子供ではなかった。傍から見る国宝家は平均的な、いや平均よりも大分幸せそうな家族だった。だからこそ世間は美穂が起こした惨劇の理由を想像することを楽しんだ。

美穂が悪魔に憑りつかれたなどというとんでもないものから、実は敦が幼児性愛者で迷子の子供を助けたのには下心があり、自慢の息子が変態であることに絶望した美穂が凶行に走ったなどというそれらしいものまで様々な憶測が飛び交った。また大樹や美穂の過去について、様々な噂が流れた。国宝家の不幸は大衆のクリスマスから年末年始までの退屈を埋めるためのおもちゃになった。

由香はそのことが許せなかった。美穂とその旦那の大樹は由香の高校時代の部活の先輩であった。美人で気が回る美穂は多くの後輩に慕われていたが、由香は自分こそが最も美穂を尊敬しているという自負があった。美穂のほうも自分のことを一番かわいがってくれたと確信をしていた。高校卒業後も美穂とは定期的に連絡を取って女子会をした。家族の自慢を楽し気に話す美穂が大好きだった。

そんな美穂や彼女が愛した家族が何も知らない有象無象に好き勝手言われていることが由香には我慢ならなかった。

三島の申し出を由香は断る気でいた。SNSだけでなくでマスメディアでさえ、真偽不明の情報をもとに美穂の名誉を傷つけかねない発信をするところが多かった。どうせこの三島というフリーライターもそういった輩のうちの一人なのだろうと思っていた。ところがよく話を聞いてみると三島自身もそういったフェイクニュースには義憤を感じているという。そこで、美穂のことをよく知っている由香から美穂の真実の姿を取材したいということだった。電話越しの三島はともかく、美穂の名誉を回復させたいと熱弁していた。由香の心は揺らいだ。取材依頼への返答はいったん保留にして、通話を切った由香は三島修というフリーライターについてネットで調べ始めた。するといくつかの記事がヒットした。田舎の有力者や慈善団体のトップへのインタビューがヒットした。取材対象であるお偉いさんが語っている内容自体には綺麗ごとが多く胡散臭さも感じたが、ライターの所見を述べる部分には三島の正義感や誠実さが読み取れた。三島と通話した日から数日後、由香は取材を受けるという旨をダイレクトメッセージで送った。


注文したアイスティーを店員が由香たちの席まで運んできた。

店員が十分に離れたことを確認して三島が切り出す。

「それではお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」

由香が頷くと三島が自身のスマートフォンをテーブルにおいた。

「ご連絡させていただいた通り今回の取材の内容は録音させていただきます」

「こちらも録音させていただいてもよろしいでしょうか?いえ、三島さんを疑っているわけではないのですが…。」

「もちろん、大丈夫ですよ」

三島は気を悪くした様子はいっさいなく微笑んだ。

やはりこの人は信用できる。

「ありがとうございます」

アイスティーを飲みながら、由香は遠い青春の記憶に思いを寄せた。






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