足立由香(2)

高橋さんからお聞きになっているかもしれませんが、私と美穂さんが出会ったのは高校の映像研究会でのことでした。私中学まではバスケをやっていたんでけど、私たちの高校のバスケは強豪で、とてもじゃないけど自分ではついていけないと思っていたんです。でも何か部活には入らなきゃと思ってて。どうしようかと思っていたときに私のクラスに美穂さんが勧誘に来たんです。初めて美穂さんの顔を見たときの衝撃は今でも忘れません。美人で顔も小さくて、昔ドラマの撮影で見に行った女優さんにも負けないんじゃないかというくらいでした。この人と一緒の部活に入りたいと衝動的に思って、私は映像研究会に入ることになったんです。

私映画をあまり見てきてなくて、馴染めるかどうか不安だったんですけど、案外私のような方も沢山いて。私、小道具係に配属されたんですけど、こう見えても手先は器用で、って関係ないですよね、すみません。美穂さんの話だ。部活には馴染めたんですけど、お目当ての美穂さんとはなかなか仲良くなれませんでした。たまにお話をさせていただくこともあったんですけど、話が弾まなくて、というよりも私が緊張して固くなってしまって。勝手に美穂さんを高嶺の花みたいに思ってしまったんです。本当はとっても純粋で気さくな人なのに。

私たちが仲良くなったのは私が1年生で美穂さんが2年生の時におこったある事件がきっかけなんです。私たちの一学年上に立花っていう男の先輩がいたんです。この立花っていう先輩が厄介な人で、色んな女の人と同時に関係を持ったりとか、まあそれだけならいいんですけど、ともかくなんというか、性的に下品な人だったんですよね。当時は今よりハラスメントへの忌避感が薄くてって、三島さん私と同じ年ぐらいですよね?すみません。そういう意識が薄かったじゃないですか。立花さんは映像研の女の子たちにも手を出したりとかセクハラしたりとかしてたんですよね。まあそれぐらいだったら我慢できたんですけど、ある時から立花さん一年生の女子のスカートの中を携帯で盗撮するっていうのを始めたんです。しかもどうやらそれを学校の男の子たち売って儲けてるらしくて。被害を受けた一年生の女子たちも我慢の限界がきて、そのときの部長、木島さんっていう一つ上の女の先輩だったんですけど、木島さんに皆で相談したんです。木島さんは真面目でリーダーシップもある頼りになる人だって後輩からも慕われた人でした。私もよく木島さんに相談ごとをしていました。木島さんはそのたびに真摯に私に向き合ってくれていました。確か私はこの時期に一番尊敬する人を聞かれたら木島さんと答えていた気がします。そのくらい信頼をしていた先輩でした。

「部長、立花さんは流石に酷すぎます。部長から何か言っていただけませんか?」

きっと木島さんなら私たちの味方になってくれると思っていました。

でも木島さん、立花さんの名前を出した瞬間ちょっとムッとした感じになったんです。

「別に、どうせ見せパン履いてるんだしさ、それぐらい我慢したら?」

想定外の冷たい言葉にその場の空気が一瞬凍り付いたのを今でも覚えています。

「いやでも…。」

「これで大事にして研究会の活動が続けられなくなったらあなたたち責任とれる?」

私たちはみんな何も言えなくなりました。研究会に迷惑をかけるって言われちゃったら反論難しいじゃないですか。何より頼りにしていた部長がそんなことを言うのがショックだったんです。

あとあと思うと木島さん、立花さんのことが好きだったんじゃないかなって。立花さん顔はめちゃめちゃ格好良かったので。でも木島さんは盗撮とかセクハラのターゲットに入ってなかったんです。だからちょっと変な嫉妬心みたいのがあったのかもしれないです。

それで木島さんには頼れないぞとなって今度は他の女子の先輩のところに行ったんですけど、そこで立花さんに関する嫌なことを聞いちゃって。

立花さん、同級生にもそういうことやってたらしくて。あるとき、携帯をクラスのマドンナ的な女子のスカートの中に入れている立花さんを見た、正義感の強い女の先輩が、その場で立花さんに注意したらしいんです。そしたら被害者の筈のマドンナが、「私は別に嫌じゃないのに変な正義面しないでくれる?」って逆にその優しい先輩を責め立てたんです。そのクラスのマドンナと立花さんは仲が良かったそうで、別に友達同士のノリの範疇だったらしいですね。

結局その先輩は空気の読めないやつみたいになって、クラスで浮いちゃって学校に来れなくなっちゃったらしいんですけど、まあそういうのもあって2年生たちの間では立花さんのやることに文句を言うのが悪いみたいな雰囲気になってたらしいんです。

そんな感じで先輩も頼りに出来なくて、私以外の一年も諦めちゃったというか、どうせ見せパンだし我慢しようかみたいな流れになったんです。

今思えばおかしいんですけど、学校ってそういう異常な文化が醸成されたりするじゃないですか。どう考えても世間でいうとまともな人が変人として排斥されたりしちゃったり。

同級生は諦めちゃったんですけど私はやっぱり嫌で、なるべく立花さんに近づかないようにとか、後ろを常に警戒するとかしてたんですけど、結局ある日の部活が始まる直前に盗撮されてしまったんですよね。

私は本当に嫌で気持ち悪くて泣きそうだったんですけど、みんな我慢してるのに私一人だけ暗い顔するのが申し訳なくて、というよりそんなことしたら私が悪者みたいになるんじゃないかって怖くて。その日は頑張っていつも通りに振舞ってたんです。

「由香ちゃん、この後暇?一緒に喫茶店いかない?」

「え?あ、はい」

ただでさえ美穂さんに話しかけられるととても緊張する上にこの日はマイナスな感情を抑え込んでたのも相まって、返答が酷く不愛想になってしまったことをとても後悔しました。

学校の近くの喫茶店につくと、美穂さんは入口から離れたところの席に座りました。ドリンクの注文を終えて、改めて正面に座った美穂さんを眺めていると、あまりの美しさに、胸の奥底に沈殿したマイナスの感情が少しずつ薄くなっていく感じがしました。

「由香ちゃん」

不意に名前を呼ばれてドキっとしました。

「なんでしょうか?」

「私さ、コーヒー飲めないんだよね」

「そうなんですか」

「もう大人なのに変だよね?」

どちらかというと高校生の身分で自分のことを大人だという人のほうが変だとは思いましたが、憧れの美穂さんにそんなことは当然言えません。

「いや、そんなことないですよ。私も実は苦手で」

「そうなんだ。お揃いだね」

美穂さんの声が明るくなりました。どうやら本当にコーヒーを飲めないことを気にしていたようでした。

「大人だってさ、出来ないことだっていっぱいあるよ。だから助け合っていかないとね」

「はい」

なんの話をしているのだろうと、この時の私はまだ美穂さんの優しさに気づいていませんでした。

「由香ちゃん、もしよかったら私が力になるよ?」

美穂さんは私が一番欲しい言葉をかけてくれたんです。私は涙を流しながら溜め込んでいた思いを話しました。立花さんにされた性的ないじめが本当に嫌だったこと。木島さんに裏切られたことがショックだったこと。そしてそれを表に出してはいけないような空気の気持ち悪さ。美穂さんは真剣な表情で私の話を聞いてくれました。そして私が話し終えると私の頭をポンポンと優しく触りながら

「辛かったね」

そういってくれました。私がなんとかするから解決するまで部活には来なくてもいいとまで言ってくださったんですよ。私はお言葉に甘えることにしました。

数日後教室で友達とお昼ご飯を食べていると美穂さんが教室にやってきました。

「もう大丈夫だよ」

そういった美穂さんの笑顔で私の周りの温度が上がったような気がしました。

結局立花さんは部活を辞めることになりました。美穂さんは立花さんを警察に突き出そうとしたそうですが、学校側に止められてしまったそうです。自分でいうのも何ですが私たちが通っていた高校はうちの県の私立では偏差値の高い進学校だったんです。世間体を気にしてそういった不祥事は内々で解決しようとする傾向がありました。他にも本来なら停学や退学になるであろうことを何個かもみ消したという噂もありましたね。結局、美穂さんは結局流通させた写真を全部回収することを条件に手を打ったそうです。まあ実際それは難しかったでしょうけど。私としてはもう十分でした。美穂さんが私のためにそこまでしてくれたんですから。

質問?ええ、大丈夫ですよ。美穂さんは立花さんの悪事を知らなかったのかということですね。ええ、少なくとも全部を知っていたということはないと思いますよ。もしかしたら、何かしら勘づいていたかもしれないしれませんが。

先ほど私が勝手に美穂さんを高嶺の花にしてしまったといいましたが、あれは私に限った話じゃないんですよ。なんとなく部の全体でそういう雰囲気がありました。穢れを知らない美穂さんにそんな話はしたくないと、みんなが薄っすらそう思ってたんだと思います。加害者の立花さんの側も美穂さんを敵に回したら分が悪いと思っていたんでしょう。彼も美穂さんにちょっかいをかけることはなかったです。

なにより彼氏の大樹さん影響は大きいでしょうね。大樹さんは本当に美穂さんのことを大事にしていたんですが、なんというか、その…、過保護だったんですよね。私たちは裏ではこっそりママキさんなんてあだ名をつけたりするくらいでしたから。美穂さんにそういう話をすると大樹さんに何を言われるかわかったもんじゃないですから、軽々しくそういうことは言えなかったんです。私の場合は美穂さんのほうから聞いてくださったから言えたんですけど。そういえば立花さんに重い処分を断固として譲らなかった美穂さんを最終的に説得したのも大樹さんでした。建前としてはこれ以上騒ぎ立てるのは私のためにならないと言っていたそうですが、多分本音としては立花さんを追い込みすぎて美穂さんが逆恨みを受けるのを避けたかったのではなあいかと思います。

なので、美穂さんが立花さんのやっていることに気づかなかったこと自体にあまり違和感はないですね。なによりあの正義感の強い美穂さんが卑劣な悪事をほっておくわけありませんから。

この事件を通して私と美穂さんは仲良くなりました。気になったお店があったら一緒に行ったりとか、映画に疎い私と一緒に映画を借りて二人で見たりしました。有名なものから所謂B級なんて呼ばれるものまで。美穂さんが特に好きだったのは『ライフイズビューティフル』や『タイタニック』でした。愛する人のために命を張る映画が好きなのは美穂さんのイメージにぴったりで、映画の最後のほう、感動したり悲しくなったりするべき場面で、なんだか嬉しくなってしまったのを覚えています。

反対に美穂さんの意外な一面も知れました。美穂さんは高校の時から一人暮らしをしていたんです。あまり多くは教えてくれなかったんですけど、ご両親との仲はあまり良くなかったみたいで。それが理由なのか周りよりも大人びてるというか、大人であろうとしているところはありましたね。いつだったか私美穂さんに聞いたことがあるんです。いつから自分が大人になったと思いましたかって。そしたら「サンタさんが来なくなったから」だって言ってました。多分ご両親との不仲をきっかけに自分でしっかりしなくちゃって思うようになったんじゃないでしょうか。まあ結構天然で抜けてるところがありましたけどね。なんというか騙されやすいというか。嘘の雑学を教え込まれて、それを自慢げに他の人に言って笑われたりしてましたね。あとあと嘘だと気づいたとき顔を真っ赤にして、嘘を吹き込んだ人に怒ってましたね。あ、もちろん本気で怒ってたわけじゃなくて、えーっとプロレス的なやつですけど。あのときの美穂さんもかわいかったな

でも人の痛みには敏感なんですよ。あの時の私のみたいに苦しさを隠して笑っている子がいるとすぐに気づくんです。私みたいに救われた後輩もいっぱいいたと思います。

あ、あれ?ちょっと涙が…。すみません。なんで…。


*

「辛いことをお話させてしまって申し訳ございません」

ハンカチで目を抑えている由香に三島が頭を下げて謝る。

「いえ、こちらこそすみません」

鼻声で由香が答える。

ひとしきり泣き終えてアイスティーを一口飲む。

「お辛いでしょうが、質問をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ」

「お二人が高校を卒業されて以降も交流はあったのでしょうか?」

「はい。大体年に一度くらいは直接会っていましたし、メールとかのやり取りもしていました」

「ご家族の話もされていたんですか?」

「そうですね」

そういうと家族の話を嬉しそうにしている美穂の顔が脳裏によぎって、また涙が溢れだしそうになる。

「大丈夫ですか?もうすぐ終わりにしますので」

由香は小さく頷いた。

「大丈夫です。主に息子自慢と大樹さんとの惚気をしていました。悪口どころ愚痴さえも聞いたことがなかったんです。だから…」

美穂さんがなんであんなことをしたのかちっともわからなかったんだ。

「美穂さんは旦那さんとはずっと仲が良かったんですね?」

三島が質問を重ねる。

「ええ。学生時代からずっと仲良しで、隙があれば惚気をするような感じでした」

あれ?なんだろう?何かがひっかかる。

由香は何かに違和感を感じつつもその正体に気づけずにいた。

「他に美穂さんが何か悩んでいるなどの話を聞いたことはないでしょうか?」

「はい」

美穂さんから相談を受けたことは一度もなかった。でもあんな凶行に走ったということは私の知らない何かを抱えていたことは間違いない。私はそれに気づけなかった。

「わかりました取材はこれで以上になりますが、最後に」

三島は自分のスマホの録音を止めた、そして声色を一段階落として聞いた。

「国宝美穂さんの心中の動機に心当たりはありますか?これはオフレコです。もし想像でも良いのでお聞かせ願いたいです」

三島の顔に真剣さが増した気がした。

「本当に記事にはしないんですね?」

「ええ、足立さんのほうの録音はまだ止まっていませんよね?」

そういえばこちらも録音していたのを忘れていた。

「そうですね」

「オフレコだと約束したものを勝手に公表するのはジャーナリズム倫理的に許されることではありません。そんなことをしたらフリーライターとしての信用を失います。場合によっても名誉棄損やプライバシー権の問題で民事上の責任も生じるでしょう」

「わかりました」

由香は暫く考えると三島の質問に答えることにした。

今から言おうとしているのは推測に過ぎない。それも何の根拠もない素人の発想。フリーライターとしての職を失うかもしれないようなリスクを背負ってでも三島が公表したいと思うとは到底思えない。

「これといった心当たりはないんです。今でも美穂さんが無理心中をしただなんて何かの間違いじゃないかって思っています。ただ、ほんの少しだけ思ったことがあるんです。美穂さんについてのネットニュースを見ていた時に、ある書き込みが目に入りました。敦君が何か悪いことをしたんじゃないかとそういう内容だったと思います。その書き込みをみたとき、不快でした。美穂さんの息子さんがそんなことをするはずがないと。ですが、少しだけ説得力を感じてしまった私もいました。美穂さんは、悪いことをした人は罰を受けるべきだという考えを強く持っていた印象があるんです。…。いや、すみませんやっぱり忘れてください。敦君が殺されるべきだと美穂さんが判断するほどの悪事をしたなんて、こんなことを言うべきではなかったです」

三島は暫く何かを考えている様子だった。余計な事を言うべきではなかっただろうか。

「わかりました。聞かなかったことにします。それではこれで本当に終わりになります。ありがとうございました。私はこのまま執筆作業に入りますので」

「了解しました。それではアイスティーのお代は…。」

「いえいえ大丈夫です。私が支払っておきますので」

「すみません。ありがとうございます」

由香はそういうと取り出しかけた財布を再びバッグにしまって、軽く頭を下げて喫茶店を後にした。

喫茶店の店の扉を閉めたとき、由香は三島に質問されたときに抱いた違和感の正体に気づいた。

私が、美穂さんは家族については愚痴の一つもこぼさなかったと言ったとき、三島は、美穂さんが旦那さんとは仲が良かったことのほうを確認した。

胸の奥がざわざわする。私は本当に三島を信じてよかったのだろうか。私は美穂さんが心中するほど追い込まれていたことにちっとも気づけなかった。そんな私が信じた相手は…。

由香は不安から逃げるように歩く速度を少し早めた。


*

音楽を流していたイヤホンから着信音が流れ出す。

修が画面を確認すると輝明からだった。

「もしもし」

「よう、そろそろ話し終わったころじゃないかと思ってな」

電話越しに輝明の軽薄な声が聞こえてくる。

「ご明察だね。ちょうどさっき終わったところだよ」

「だろ。で?どうだったよ」

「まあ、正直言ってほとんど輝明から事前に聞いてたどおりの話だったよ」

「だから言っただろ」

輝明が得意げになっていう。

輝明から事前に聞かされていたことは三つだった。

一つは国宝美穂は超が付くほどの善人だということ。

もう一つは足立由香が国宝美穂のということだった。国宝美穂の名誉を守るという名目であればきっと彼女は取材を受ける。そういうアドバイスを貰った。また足立はほぼ確実に国宝美穂を褒める内容をインタビューで語るだろうということを言っていた。

そして三つ目は、

「やばいのは美穂じゃない。大樹のほうだよ」

輝明は、すら言っていた。

「そこまではまだまだ信用できないな」

「おいおい彼氏の言うことを信じてくれないのか?悲しいな」

電話越しの声は少しも悲しそうではなかった。

「それとこれとは別問題」

「お前も聞いたんだろ?足立の話。国宝美穂がいかに素晴らしく優しい女だって」

「足立は国宝美穂の信者だから証言の信ぴょう性は低くなるって言ったのは輝明でしょ?」

はあ、と輝明が溜息をつく。

「まああとは帰ってから話すか」

「そうだね」

輝明には言わなかったが、今回の取材で一つだけ意外な話を聞けた。

だったということだ。だが、これを言ったところで国宝美穂を軽視している輝明には軽くあしらわれて終わりだろうからそのことは黙っていた。

通話が切れたのを確認して。イヤホンのボタンを押して音楽を再び再生しようとする。しかし音が流れないのでスマホを開こうとする。

『石橋さんから取材の許可とれました』

という件名のメールが届いている。件名を確認すると相川千尋からのものだ。間違いない。これは待ちわびていた連絡だった。

『了解しました。ありがとうございます』

修は連絡を返した。

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