正体
@oyahuko
プロローグ
テレビのニュースの内容に興味なんてなかったが、ただ箸が食器にぶつかる音と咀嚼音だけが聞こえる家族の食卓はあまりにも辛かったので、ただ意味のある言語を流してくれるというだけでもありがたかった。家族全員が会話がないことの言い訳をするかのようにテレビを見ながら食事をしていた。
「続いてのニュースです」
お決まりのセリフのあとに続いたのは、都内で専業主婦の女性が無理心中をしたというニュースだった。私がドキっとしたのとほとんど同時に母がリモコンでテレビを消した。
「暗い話は嫌ね」
無理をして、明るく言う母が痛々しく涙が出てきそうで返事なんてできなかった。
父も、もちろん姉も返事それには答えず、ただ食事を続けている。
「そうだな」
あまりの沈黙に耐えかねて父が申し訳程度の返事をした。
「ごちそうさま」
食事を終えた父が蚊の鳴くような声でいう。
「はい、お粗末さまでした」
再びわざとらしい明るい声で母が返事をする。
「おやすみ」
父は急いで食器をシンクに置くと、食卓から逃げるように自室に戻った。
しばらくして母が食事を終える。
「ごちそうさま、あんたたちも早く食べちゃいなさいよ」
「うん」
母がキッチンで自分と父の分の食器洗いを開始すると、食卓には私と姉だけが残された。本当は早く食事を終えてこの場から逃げたかったが、急いでご飯を食べると姉と二人きりなのが嫌だと言ってるようなものなので、結局私はゆっくりとこの地獄のような時間と晩御飯を味わうことにした。
「ちーちゃんはさ」
急に姉に話しかけられて思わず箸を落としてしまった。姉の声を聞くのは何日ぶりだろうか。
「ちーちゃんは、最近も小説書いてるの?」
箸を拾う私にかまわず姉が私に問いかける。
「あーうん。あ、いや、最近は書いてないよ」
「そっか」
再び静寂が訪れる。久方の姉との会話が嬉しいような困るような気分がした。何か話をしたくて言葉をひねりだす。
「でもさ、また書こうかな、出来たら読んでよ」
姉は嘘でも、いいよとは言ってくれなかった。
「小説はさ、感情描写が大事だよね」
「うん、そうだね」
「だからちーちゃんはいろんなことを経験しなね」
「うん」
姉から続きの言葉が出てこないので、私のほうから話をつづけた。
「中学卒業したらさ、私一人暮らししたいんだ」
「そう」
「あ、お姉ちゃんはどうするの?」
姉は返事をしてくれなかった。
「もしお姉ちゃんが私より先に一人暮らしするならさ、私遊びにいくね」
やっぱり姉はいいよと言ってくれなかった。
そして、無言の時間が戻ってきてしまった。
しばらくすると姉が食事を終えた。皿をまとめながら姉が私に話しかけた。
「私が死んだらさ、その時の気持ちとか全部、小説に活かしてね」
「それって何年後になるの?ううん、でもね、わかったよ。私おばあちゃんになるまで小説書き続けるね」
姉が言っていることの意味は涙が出るほどわかっていたが、私はわからないふりをした。私の涙を姉はゆびってぬぐってくれた。その指は乾燥してて、すこし目の下が痛かった。鼻水も出てくるが近くにティッシュがなくて鼻をすすった。
「女の子が鼻水出してちゃだめだよ、おやすみ」
そういって微笑むと姉は食器をキッチンにもっていった。この時だけは昔の明るくて優しかったころの姉の面影が少し残っていた。キッチンから母の「お粗末様でした」が聞こえてくる。姉の声は聞こえなかった。
少ししてキッチンから自分の部屋に戻る姉の背中を私はただ見ていた。言葉はかけられなかった。
その日の夜姉は自室で首をくくって死んだ。そして結局私は小説家にはなれなかった。
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