第一章
フリースクール
第2話 色の暴力
「
「うん」
お母さんの声で現実に引き戻される。
少し寝不足気味の頭が、記憶と相まってぼうっとしている。
不登校になって早一年。
本来なら小学三年生になって初の登校日だった今日は、お母さんに言われて、市内の不登校の学生を受け入れているフリースクールに行く事になっていた。
玄関の扉を開けて久々に家を出ると、ポカポカした春の陽気と共に感じられる人の多さに
桜の
薄い桜色の花に、心がすうっと落ち着くのと同時に少し切なくなる。
一年前に通えなくなった学校に行く事は出来るんだろうか。
いつか、級友達と共に満開の桜の木を見上げる事は出来るんだろうか。
(まあ、まずは人の多い所で顔を上げていられる様になるのが先か)
少し考え込んでしまった思考を止めて、顔を上げなくても母を見失わないように、母の服の
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※
フリースクールには、徒歩で十分程度と、小学校と同じくらいの登校時間で着いた。
「大体七十人くらいの小中学生がいるらしいわよ」
「そうなんだ」
大きな建物の門の前で、そんな風に話すお母さんの横で相槌を打ちながらも、
思っているよりも不登校の子は多いんだな、とどこか他人事のように感じた。
そんな事よりも、早く自分の部屋に帰りたかった。
そうは言い出せずにお母さんについていくと、門から少し歩いた場所には穏やかそうな女性が立っていて、私とお母さんを待っていた。
「こんにちは、
私は
今日はお母様と来てくれてありがとう。ゆっくり見て行ってね」
「……はい」
「校長先生、本日はお時間を割いてくださり、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらへどうぞ。後で校内を自由に見てもらえる時間をとりますので」
通された部屋で、校長の早瀬さんからこの葵スクールという場所の話を聞いた。
帽子は目深に被ったまま、目線は下げた状態で。
絶対に目を合わせないようにするために、ずっと机を
遠くから聞こえる学生の騒ぐ声が、あの日を思い出させる。
それがどうしようもなく不安だった。
「奏、どう思う?」
「……良いんじゃないかな。ここなら、通えそう」
嘘だ。
先生とお母さんの話は、何も頭に入ってなかった。
「そう‼︎良かったわ!早瀬さん、娘をお願いします」
「はい。奏さん、ゆっくりで良いから、来れそうな時に来てね」
「わかりました」
早瀬先生の方を見れない。
優しい声の先生に嘘をつく事に罪悪感を覚える。
「奏、一人で見学する?それともお母さんとする?」
「……私一人で見てみるよ」
何かあった時に、お母さんがいない方が良かった。
「そう。じゃあ、また家でね。何かあったら連絡して」
「うん」
「自由に見てくれて大丈夫だからね。近くの子に聞けば色々教えてくれると思うし」
「ありがとうございます」
二人と別れてから、ゆっくりと歩き出した。
言われたように見学をする為ではなく、この場所から少しでも離れる為だった。
子供達の叫び声から。
人々の喧騒から。
出来るだけ離れようとする。
そうして逃げる様にふらふらと歩いた私は、いつの間にか遠回りをして沢山の子供達が遊んでいる中庭に面した廊下に出てしまっていたようだ。
沢山の子供達が遊んでいる。
ああ、最悪だ。
中庭を見て、まず目に入ったのは沢山の黄色。
次に、青、赤、緑、紫、橙……。
多くの【色】が目に入った。
頭に直接色んな色のペンキを塗りたくられるような感覚。
ベタベタベタベタベタベタベタベタ…………。
学生達の色が重なって、どんどん黒くなっていく。
たまらなく不愉快なのに、目を背ける事は出来なかった。
まるで、身体中を縛られたように動けない。
目の端で私と同じくらいの身長の子が転んだ。
ズキン、と手のひらや
それと同時に、黄色が少なくなって、赤や青がブワッと増えた。
世界が
まるで胃がひっくり返されたようにムカムカする。
耐えきれずに
手が。膝が。何より頭が。
痛かった。
でも、それよりも。
黒く染まっていく世界が。
色に
ただただ気持ち悪かった。
早く、目を逸らさないと。早く、逃げないと。
ここから、離れないと。
心が
なのに、体は
こんな事初めてだ。
少し離れてゆっくりしていたら頭痛もおさまる。
だからお願い。動いて。
その願いは、届かなかった。
中庭に植えられた赤いシクラメンの花が、動かない視界に入る。
ああ、ああ。
赤。赤い。
体が震える。
この感覚を、私は知っている。
恐怖だ。
怖い。あの日のことを、体が覚えている。
歯がカチカチとなる。
手や膝の痛みは治り、代わりに頭の痛みが一層
私を助けてくれる人なんかいるはずがないのに、つい腕が前に伸びる。
助けて。もう、あんなのは……
「大丈夫だよ。大丈夫。ここにあなたを
「落ち着いて目を閉じて。そう、上手」
「あ…………?」
「大丈夫。大丈夫だ。もう大丈夫だから。息を吐いて……吸って……吐いて、
吸って」
目に手のひらが当てられて、ゆっくりと閉じられる。
後ろから回された
優しい声に
どの位の時間そうしていたのだろうか。
いつの間にか動かなかった体は自由になっていた。
「ご
私が落ち着いたのを見て離れた三つの声に、つばの広い帽子を被り直してお礼を言う。
ここは中庭を囲うように校舎があるから、中庭を見ずに過ごすのはハードルが高い。
中庭を見るだけでこんな有様なら、ここには通えないだろう。
助けてくれた人たちと会うのも、最後だ。
感謝を込めて、深く頭を下げた。
(あ〜、ここどこだろ?なんとかして地図見つけて帰らないと)
そんな事を考えて声の持ち主たちに背を向けた所を、呼び止められた。
「さっき君が困っていたのって、もしかして共感覚のせいじゃないか?」
と、そう言って。
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