8/14 & 16 & 17
翌日。お盆休みということで、千和さんがえっちゃんちに帰省してきたのだけれど、一緒にとある人もやってきた。泰輝くんのお父さん――哲也さんだ。ずっと単身赴任をしていたので、わたしはまだ会ったことがなかった。
「単身赴任で会えないことが多いからか知らんけど、父さんは親バカだよ」
以前、泰輝くんがそんなことを言っていたので、てっきり家族や息子を盛大に可愛がるタイプの人を想像していた。
「はじめまして、居候をさせてもらっている夏美です」
「おお、あなたが。はじめまして、泰輝の父です。泰輝が世話になっています」
玄関で挨拶すると、案外しっかりした真面目そうな人だった。ちょっと拍子抜けした。
けれど、親バカの本領発揮はそこからだった。哲也さんは居間にみんなを集合させると、
「はい、泰輝。違う種類の絵の具、試してみたいって言ってただろ?」
「うおっ。父さんやっぱわかってるな」
そんな風にプレゼントを、家族全員に渡していった。真面目な顔をして、これでもかというほどたくさんのプレゼントやお土産を、家族全員にそれぞれ買ってきていたのだ。みんなの反応を見て、哲也さんは幸せそうに表情を綻ばせた。家族思いのいいお父さんだ。
そしてなんと、プレゼントはわたしの分もあった。
「夏美ちゃんの好みがわからなかったから、消費できるものにしたんだけど、どうかな?」
「え、こんないいものもらっちゃっていいんですか!」
「もちろん」
わたしは舞い上がった。某高級チョコレートブランドの、ガトーショコラだった。わたしが甘党だということを聞いていたとしか思えない、天才的なチョイスだ。
「ありがとうございます! お義父さん!」
「お義父さんはまだ早いだろ、お義父さんは。……流石に心の準備がな」
そんなやり取りをして、みんなで笑ったりもした。泰輝くんだけは呆れた顔をしていた。そんな顔も可笑しかった。
「んん~!」
ガトーショコラはほっぺたが溶けるくらい美味しかった。こんな濃厚なチョコレートは今まで味わったことがない。
午後になると、泰輝くんは意気揚々と、滝に依頼の絵を描きに行った。
「せっかくだから、お前には完成してから見せたい」
泰輝くんにそう言われたので、わたしはお留守番。泰輝くんならきっと描けると信じて、えっちゃんちから心のなかで応援した。
空が薄暗くなってきた頃、泰輝くんが帰ってくると、みんなで薄明かりのデッキに出て、ちょっとしたご馳走をいただいた。
「そういえば、毎年この時期にお祭りをしていたわね。ちょうどこんな暑い夕方に」
千和さんが村を見回しながら、懐かしそうにそんなことを言った。
「そうだったねえ」
えっちゃんも懐かしそうに頷く。
「お祭りですか! 楽しみですね!」
「ああ、いや……」
その話にわたしが食いつくと、千和さんは少し慌ててから、寂しそうに微笑んだ。
「ごめんね。私が子どもの頃はまだあったんだけど、今はもう人口が足りなくてやめてしまったのよ」
「そう、なんだ……」
今はもうやってないのか。わたしは少しがっかりしたような、寂しいような気持ちになる。
「あ、そうだ」
と、そこでえっちゃんが思い出したように言った。
「お祭りはもうやってないけど、お祭りの道具は全部、村の物置小屋にまだ残ってるよ? どうよ、この後みんなで見に行かない?」
「いいんですか……! ぜひ見たいですっ!」
わたしが手を挙げると、みんなも賛同してくれた。
すっかり暗くなった頃、静かな村に、ドドンドンドドン――と太鼓の音が響く。お祭りに使っていたという太鼓を、特別に打たせてもらえたのだ。
ドンドンドドン――
すると、その響きに引き寄せられるように、村のじいさんばあさんが集まってくる。昔を思い出すねえと言って、太鼓にあわせて踊ったり、古い歌を歌ってくれたりした。祭と書かれた提灯を持ってくる人もいた。
ただ、お祭りというには熱狂がちょっと足りない。きっと本物のお祭りはもっと盛り上がってたんだろうな。そう思えてしまって、太鼓を打つ手がもの寂しくなる。
そのとき、ドンドン――と隣の太鼓を誰かが力強く叩き出した。
見ると、泰輝くんだった。
「こういうのはみんなでやるから楽しいんだろ?」
こっちを見て、澄ました風に言った。泰輝くんらしくない、と笑いつつ、髪をポニーテールに結んで、ふたりで汗を流しながら気持ちよく太鼓を叩いた。
そんな風に過ごしていたら、あっという間にお盆の終わりが近づいていた。
◆
「ねえ、ぐらちゃん。もう夏が終わっちゃうよ」
お盆最終日の夕方。明日から仕事ということで、千和さんと哲也さんは午前中のうちに山井町の家に帰ってしまった。
泰輝くんの絵のほうはというと、ものすごく順調に進んでいるらしく、今日中に完成すると言っていた。たぶん今は、完成品を持って滝から帰っている頃だと思う。心待ちにしていたことなので、もちろんそれは嬉しいのだけれど……。
そんなときにわたしが何をしているのかというと、近くの空き地で、木に止まったひぐらしに話しかけていた。カラスが鳴きながら山に帰っていく。
「どうする? 夏が終わっちゃったら、また来年まで夏が来ないんだよ? また一つ歳を取った夏は、輝きが一つ減ってるかもしれない。ああ、嫌だなあ」
一体、来年のぐらちゃんはどんな顔をしているのかな。そう考えて――あ、と気づく。
違う。
「ぐらちゃんに来年はないんだ」
ひと夏の輝きしか知らないまま、その短い命を終えるんだ。
カナカナカナ……。
わたしは泣きそうになった。
夏、終わってほしくないよ……。
その帰り道、やけに地面にひっくり返っているセミが多かった。
◆
絵が完成したということで、翌朝、泰輝くんとわたしも山井町に帰ることになった。
帰りたくない。えっちゃんちでの日々が満ち足りすぎた。ずっとここにいたい。
しかし、そうはいかないことはわかっているので、そんな気持ちには蓋をした。荷物を纏めて、日本家屋とデッキに別れを告げたら、えっちゃんと清さんに車でバス停まで送ってもらった。山の開けた一本道で、努めて顔をあげてバスを待っていると、
「なっちゃん」
後ろから、えっちゃんに優しく名前を呼ばれた。振り向く。
「なんですか?」
「もしかして、帰りたくない?」
図星を指されてぎく、となる。
「……顔に出てしまってました?」
えっちゃんはくすくすと笑う。
「うん、それはもうはっきり顔に書いてあったよ。でも、帰りたくないって思うくらい、ここでの生活を楽しんでくれたんだったら、うん、よかった」
嬉しそうに言ってから、わたしの頭を撫でる。
「お盆の夜、お祭りの太鼓を叩いてくれてありがとうね。この村はもう廃れる一方だと思って、村のみんなもここ最近暗かったのよ。それが、あんたたち若い子から溢れる熱量を前にして、私達年寄りも元気をもらった。みんなしばらく長生きできそうな気がしてきたわ」
「本当ですか……!」
胸の奥にしみじみとする嬉しい言葉だった。わたしは喜びのまま頭を下げる。
「短い間でしたけど、お世話になりましたっ!」
「うん。冬には冬で美しい雪景色が見られるから、また来てちょうだいね」
「僕も待っているよ」
隣で腕を組んでいる清さんが言った。
「はい、また来ますっ! また来させてください!」
ここでの日々は、忘れられない楽しい思い出になった。時間が経ってしまえば、あるいはそんな思い出にあるものから、人も景色も変わってしまうのかもしれない。
それでも、またここに来たいと思う。
そして、バスがやってきた。
「それじゃあ、なっちゃん、たいちゃん、元気でね」
「おう」
「えっちゃんと清さんも! また元気で会いましょう!」
よっこいしょと荷物を持ってバスに乗り込む。座席につくと、窓越しにふたりが手を振ってきたので、流れる木々に隠れて見えなくなるまで手を振り返した。
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