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 翌朝。朗らかなデッキでお茶漬けをいただいてから、レインカバーの材料を買いに、清さんにホームセンターに連れて行ってもらった。その道のりはなんと、車で片道一時間だった。


「田舎はものを調達するだけでも一苦労なのだよ」


 清さんが言った。間違いなく大変だ。遊びに来ているだけのわたしにとっては、新鮮で楽しい経験だったけれど。

 ホームセンターで、防水性のある薄くて透明な板と、瞬間接着剤と、よくわからない金具をいくつか買うと、また一時間の道のりを帰る。手早くおにぎりで昼食を済ませたら、いざ真夏の太陽が降り注ぐデッキで作業開始。

 設計図や完成イメージは、清さんと泰輝くんの間では共有できているみたいだった。流石は創作好きの家系だ。わたしも一応説明してもらったけれど、専門的すぎてさっぱりわからなかった。なので、基本的にはふたりが主導して作業を行い、わたしはその補助にあたる。

 透明な板に、清さんの指示通りペンで線を引くと、ふたりはそれに沿ってのこぎりでパーツを切り出す。その間、わたしは飲み物を持ってこいと言われたので、冷蔵庫で冷やしてあった麦茶をコップに注いで持ってきた。


「あれ、ひょっとしてわたし、ただのパシリなんじゃ……」

「そんなことないぞ。真夏の作業中に飲む、キンキンに冷えた麦茶は格別だからな」

「やっぱりそうですよね! 清さん!」


 それから、切り出したパーツ同士を瞬間接着剤でくっつける。あっという間にガチガチに固まって離れなくなって、おお、すごい、とわたしはその瞬間接着力に感心した。そしてパーツをすべてくっつけて一つになったものに、金具を取り付けて。

 最後に仕上げとして、切り出した断面がざらざらしていて手触りがよくないので、ヤスリで削ったら――


「うーん……」


 泰輝くんが背伸びをした。わたしと清さんも、額の汗をタオルで拭く。

 レインカバーそのものは完成した。作業が楽しかったので、あっという間だった。あとはこれをキャンバスに取り付ければ、と思ったところで、早くも泰輝くんが今回の依頼で使うキャンバスを持ってきた。手際よく取り付ける。サイズはぴったりだった。

 そうして出来上がった、レインカバーのついたキャンバスを見て、わたしは思わず拍手してしまった。

 キャンバスの裏面は全体を、側面はひさしみたいに手前に飛び出すようにして、透明な板に覆われている。この透明な板がまさしくレインカバーとして、飛んでくる水しぶきを防いでくれるわけだ。


「どう? 泰輝くん。側面のカバーは手前に飛び出してるけど、描くのに邪魔にはならなそう?」

「まあ、邪魔っちゃ邪魔だけど、工夫して描けば問題はないな」

「そっか、いいねっ……!」


 わたしはお手伝いをしただけだけれど、それでも共同作業を終えて、染み渡るような達成感がある。泰輝くんと清さんも、それぞれ我が子の成長を見守るような顔をしている。

 と、まるで作業は終わったみたいになっているけれど、まだ終わりではない。大事なのはむしろこれからだ。わたしはそれが待ちきれなくて、自然とその場で足踏みをしてしまう。するとそれを察知したのか、泰輝くんが気合を入れ直すように言った。


「よし、じゃあ早速これを滝の裏側に持っていって、水しぶきを防げるか確かめてみるか」

「うんっ!」


 わたしたちは手つかずの森の中、小川沿いを進んで滝にやってきた。裏側の薄い光の世界に入ると、今日も変わらず水しぶきが漂っていて涼しい。

 泰輝くんはスタンドを立てて、そこにレインカバー付きキャンバスを立てかける。もちろん、全体が覆われているキャンバス裏側を滝に向けて。


「頼むから、うまく水を防いでくれよ。これで駄目だったら、レインカバーはただのおしゃれになっちゃうからな」

「それもかわいいのでアリだとわたしは思うけど、とにかくうまくいきますように」


 もしかしたらいるかもしれない天使様に祈りつつ、しばらく滝の音を聞いて待った。


「そろそろ頃合いか」


 わたしたちの服がびしょ濡れになった頃だった。泰輝くんが手を拭いてから、キャンバスに触れた。ゆっくりとその感触を確かめる彼に、わたしは心配で、堪らず尋ねる。


「どう? 大丈夫そう……?」


 泰輝くんは振り返った。

 そして、サムズアップした。


「うん、いいね。思ったより濡れてない。これならなんとかなりそうだ」

「ほんとう!?」


 泰輝くんはしっかりと頷く。わたしは喜びのあまり思わず両手をあげた。


「やったじゃんっ! ばんざーい!」

「ばんざーい」


 清さんも一緒にばんざいしてくれた。かわいい。こうなると、乗ってくれないのは泰輝くんだけだ。


「うしししっ……!」

「むふふ」


 あなたもやりなさいと圧力をかけるように、清さんとわたしはばんざいしながら泰輝くんに迫る。


「恥ずかしがっちゃってぇ。本当ははっちゃけたいんでしょ?」

「別に、そんなことはねえよ。うまくいって、嬉しくはあるけどな」


 そんなことを言ってぷいっと顔を背けた泰輝くんも、ついには我々の熱い思いに応えてくれて(本当はただ降参して)小さくばんざいした。かわいい。

 なにはともあれ――清さんの協力のおかげで、『キャンバスが濡れてしまう問題』は思ったより早く解決した。レインカバーがあれば、滝の裏でも絵を描ける。これで心置きなく依頼を進められる。

 と、思っていたのだけれど。


「ただ、そうだな……」


 泰輝くんがキャンバスのほうを見て、あまり浮かない表情で首を傾げる。


「どうしたの? まだ何かあるの?」

「滝の裏側にあまり長居はできなそうだな、と思って」

「そうなの? どうして?」

「レインカバーがあれば大きな水しぶきは防げる。それは確かだよ。だけど、それでも、滝の裏側の湿度がとんでもなく高いことに変わりはない。この中だと、キャンバスが湿気るのは避けられない」

「キャンバスが湿気っちゃうとなにか問題なの?」

「キャンバスは湿気ると、伸びてたゆむ性質があるんだ。それが問題でさ――キャンバスがたゆむと、そこに乗ってる絵が歪んだり割れたり、色んな最悪なことが起きるんだ」

「え、まずいじゃん」

「そう。だから、そんな風にたゆむほどキャンバスが湿気る前に、早めに描画を切り上げて、キャンバスを乾かす時間を設けたいって話だ」


 ああ、なるほど。だからここに長居はできないってことね。


「そうすれば、絵が歪んだり割れたりとかしなくなるの?」

「そればっかりはやってみないとわからんけど、まあたぶん大丈夫だ。この季節はデフォルトで湿気がひどいし、そんなに心配しなくていい」

「そっか!」


 安心した。湿気だけでも駄目だって言われたらどうしようかと思った。わたしは専門的なことは知らないけれど、泰輝くんが大丈夫だというなら、きっと大丈夫なんだろう。


「暑い中たくさん作業をして、ああ、疲れたっ。泰輝くんは?」

「俺も集中してたから結構疲れたわ。だからそうだな、絵を描き始めるのは明日からってことにするか」


 そんなわけで、今日は家に帰って、ゆっくり達成感を味わうことにした。

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