8/5 その一
「ん~! たけのこ美味しい!」
駅で買った、泰輝くんの地元で採れたという山の幸がふんだんに使われている釜飯。煮物好きのわたしには至上の駅弁だった。それを味わいつつ、わたしは隣の座席に座る泰輝くんの弁当をちらっと覗く。そちらは王道の幕の内弁当だ。
「いや、物欲しそうに見たって、やらねえぞ?」
ちぇ。けちな泰輝くん。
わたしはどうしても泰輝くんのほうにある里芋の煮っころがしが食べたい。なので、無理やり盗ろうかとも思ったけれど、泰輝くんが嫌がるかもしれないと思ってやめた。
静かに窓の外を見やる。眼下に流れる渓流が、夏の光を受けてきらきらと光っている。それに沿って、わたしたちの乗っている電車はカーブを繰り返しながら谷を抜けていく。
こうして電車に乗って、どこに向かっているのかというと――
「そういえば。最近、俺の絵を人に見てもらえる機会を増やすためにさ、描いた絵を写真に撮って、ネットに載せてるんだけど」
昨日。夕食の席で、泰輝くんは突然、千和さんとわたしにそんな話をし出した。気負いなく、スパゲッティをフォークに絡めながら。
「へえ、そうなんだ」
そういえば庭を猫が歩いてたんだけどさ、って言うくらいの軽い前置きだったものだから、わたしはつい頷いてしまったけれど。
泰輝くんが自分から人に絵を見てもらおうとするのは、正直意外だった。
「その投稿を見た人の一人が、俺の絵を気に入ってくれたみたいで、俺に依頼の連絡をしてきたんだ」
「依頼?」
「そう。『俺がこれまでに一番美しいと感じたもの』を描いてほしいっていう依頼だ。それで、出来上がった作品を言い値で買ってくれるらしい」
「え、ちょっと待って、本当に? それってめっちゃすごい話じゃない?」
「そう。すごいんだよ」
「ええ! すごい!!」
わたしは喜びのあまり、その場でばんざいした。やっぱり世の中には、ちゃんと見る目のある人がいるんだ。
そんなわたしを確認してから、泰輝くんは「どうだ?」とでも言わんばかりの顔をして、千和さんを見る。千和さんは澄ました顔をして、「まあ上出来ね」なんてよくわからないことを言った。素直じゃない親子である。
「それで、依頼を引き受けたいんだけど、契約には当然親の許可が必要だからさ――母さん、いいか?」
「もちろんいいけど……それはその依頼主が、ちゃんと信用できる人かどうか次第だわ。だから後で確認させてちょうだいね」
「了解」
確かに、依頼主ってどんな人なんだろう。絵を買うような人といったら、わたしは勝手に、エレガントな紳士を思い浮かべているけれど。もしかしたら全然違うかもしれない。
しかし、そんなことより気になるのは――
「依頼のお題は『泰輝くんがこれまでに一番美しいと感じたもの』ってことだけど、何を描くつもりなの? もう描くものは決まってる?」
「決まってる」
「おおっ! それってもしかして――わたし?」
「えっちゃんちの近くにある風景だ」
「えっちゃん!? 誰よその女!」
「俺のばあちゃんの悦子だ」
おばあちゃんだった。ものすごく恥ずかしいことを言っちゃった。わたしは何もなかったような顔で下手な口笛を吹いて、なんとか誤魔化した。
「ともあれ、依頼の絵を描くために、明日からえっちゃんちに泊まりに行くつもりなんだけど……こんなの、聞くまでもないか?」
「わたしも行きたいっ!」
「だろうな。そう言うと思って、えっちゃんに許可は取ってあるから、好きにしてくれ」
「行く行くっ! やったー! 会ったこともないけど、えっちゃん大好き!」
そんなわけで、翌日――つまり今日。
泰輝くんとわたしはふたりで電車に乗って、千和さんの実家――えっちゃんちに向かっているのだった。一週間は滞在するだろうということで、お互いに大荷物である。
えっちゃんちはどんなところなんだろう。想像を絶する田舎だから期待するなと泰輝くんに言われたけれど、そんなことを言われたら『想像を絶するってどんなの?』と、逆に期待してしまう。
そうして揺られること一時間。のどかな盆地にある駅で降りて、そこからまたバスに乗って一時間。そんな長い道のりの末に、到着した。
「やっとついた……! ここが千和さんのふるさと……?」
荷物を持って、よっこいしょとバスを降りると――緑の山だった。バスが行ってしまうと、鳥の鳴き声しか聞こえなくなって、わたしは置いてけぼりにされたような気持ちになる。見晴らしはいいので、一応、山の斜面にぽつぽつと家が立っているのが見えるけれど……。
「え、まさか、あれが村?」
「そうだよ」
「――ひゃっ!」
突然、耳元で知らない声がして、わたしはびっくりして飛び跳ねた。振り向くと、そんなわたしを見て、口元を隠してくすくすと笑う一人の年配の女性がいた。
「えっちゃん、子どもじゃないんだから、初対面の人の背後に立ってびっくりさせる遊びそろそろやめろよ……」
泰輝くんは呆れたように、その人を『えっちゃん』と呼んで、そう言った。ということは、この人が泰輝くんのおばあちゃん――悦子さんか。本当に、いきなり誰かとびっくりした。バス停まで迎えに来てくれたんだ。
「たいちゃん、久しぶりだねえ。私は忍者の家系だから、やっぱり気配を消しちゃうのは癖なんだよ。体に染み付いちゃってるから、やめろって言われてもなかなか、ね」
「え、忍者の家系なんですかっ!?」
わたしは思わず聞いてしまった。
「そうだよ。昔はほんとに修行が大変でねえ」
「忍者の家系とか、ほんとにあったんだ……!」
「まあ、嘘だけど」
わたしはずっこけた。めっちゃわくわくしたのに、からかわれていただけだった。恥ずかしい。泰輝くんはものすごく呆れた顔をして、溜息をついていた。
「いい反応をしてくれるねえ。私、嬉しくなっちゃうよ」
そんなわたしを見て、えっちゃんは口元を隠してくすくすと笑う。そのにやにやした目が、千和さんそっくりだ。そして、
「あなたが夏美ちゃん? 千和が言ってた、たいちゃんの彼女さんでしょう?」
わたしにそんなことを尋ねてきた。
「おい、あの母親、何を余計なことを言うんだ」
泰輝くんが憎たらしげにそう言ったのに続いて、わたしも慌てて訂正する。
「いかにもわたしが夏美ですけれど、彼女じゃありませんよっ。……まだ」
「おい、お前も話をややこしくするな」
「えへへへ……」
「笑って誤魔化すな! つーか、いつまで道端で喋るんだ? さっさと行こうぜ」
泰輝くんがご機嫌斜めになってしまったので、余談はこのくらいにして。
えっちゃんが車で迎えに来てくれていたので、その車に乗せてもらって、えっちゃんちに向かった。
「荷物が重かったので助かりましたっ。改めて、今日からお世話になります、若山夏美ですっ。よろしくお願いします」
「全然いいのよ。もう知ってるみたいだけど、私はたいちゃんの祖母の悦子だよ。
えっちゃんはからかい上手な、元気なおばあちゃんだった。流石は千和さんの母親である。
泰輝くんの家の前例があったので、正直に言うと、もしえっちゃんと泰輝くんの仲が悪かったらどうしようかと思って少し緊張していた。それが、話してみるとえっちゃんはフレンドリーな人だし、泰輝くんとも仲よさげなので安心した。
坂を少し登ると、こじんまりと民家が並ぶ地区に差し掛かった。
「ここは古池村っていうよくある限界集落で、決して忍者の隠れ里じゃないからね。はい、ついた。うちはここだよ」
チリン、と玄関先で風鈴が鳴る、古めかしい日本家屋がえっちゃんちだった。わたしは初め、老舗の旅館かと思った。今日からここに泊まるんだと思うと、やっぱり旅館に来たような気分になった。
そんな風情ある家をゆっくりと堪能したい気持ちは山々だったけれど、目的を見失ってはいけない。わたしたちは依頼を全うするためにここに来たのだ。到着して早々、荷物だけ置いて、わたしと泰輝くんは一緒に絵に描くものを見に行くことにした。
何やら、目的の場所は、外が明るいうちじゃないと綺麗に見えないらしい。
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